毎日のように何かしらの新製品が発売される病的な市場の中で、
とにかく「従来の洗剤よりもきれいになる」ということが
異口同音に叫ばれる。
敏感肌にも安心だとか、部屋干しで臭くならないだとか
他製品と違う切り口でアピールする手もあるが、
そうではない、本来の目的――衣料をきれいにすることこそを
主眼においた商品の場合、なんとかしてそれを伝えようとして、
他社製品との比較検証をしてみたり、
なんだがよくわからない汚れ物質の減少率をグラフ化してみたり、
ケチャップまみれのワイシャツを白くしてみせたりする。
幼さい頃、そういうCMにウンザリして、
いっそ「なんでもない洗剤」って出せばいいのにって思った。
齋藤孝氏の『コメント力―「できる人」はここがちがう』を読む。
ちなみに出版されたのも、この順。
齋藤氏によれば、質問する力も「コメント力」の一部であるとのこと。
本書は「どうすれば良いコメントができるか?」という問いに対する答えを
期待して読む本ではないかもしれない。
面白法人カヤックでは、毎月の給料の一部を「サイコロ給」として、
なんとサイコロの出た目によって決めているという。
どうせ「一流のビジネスパーソンたるもの運も味方につけねば」とか
そんな理由だろうと予想して、よく社員がそれで納得するなぁと思いながら
読んでいたら、意外にも素敵な理由で、ちょっといいなぁと思ってしまった。
面白法人カヤックは、同級生だった友人3名で設立したらしいが、
その際、多くの人から「友だち同士での起業は失敗するからやめておけ」
とアドバイスされたという。
最初はうまくいっても、将来絶対お金のことでもめるからと。
そこで、年月が経っても、「お金よりも、もっと大事なものがある」ということを
思い出させてくれる仕組みとして、サイコロ給というものを考えたということだ。
また、人が人を評価するのに正解なんてないのだから、
そんなことで必要以上に悩まずに、
「給料なんてサイコロで決まるくらいでちょうどいい」くらいの感覚で
楽しく生きましょう、という意味もあるのだという。
そんなカヤックを表すキーワードが、「何をするか」より「誰とするか」だという。
この考え方には個人的にとても賛同できる。
今就職活動をしている学生を見ていると、
自分がどんな仕事に向いているかについて結構な時間をかけて悩み、
志望動機としてそれをもっともらしく語ってみせるが、
実際のところ、何に向いてるかなんて、やってみなきゃわからんもんだ。
やりたいことがあって選んだ会社に入ったからといって、
やりたいと思ってたことをやらせてもらえるとも限らないし。
それならば、何をやってる会社なのかはよくわかってないけれど、
この人と一緒に働きたい!と思える人のいるところに行くというのも
企業選びの仕方としては全然アリだ。
そんなことを改めて考えさせられた一冊でした。
関連エントリー:
・悪者を排除しようとすることほど非建設的なことはない
・「Bクラス理論」:Bクラスとは、成果に集中できない人のこと
・やりがい
もちろん、ファーストフード店の話。
ハンバーガーだけでなくてサイドメニューにフライドポテトがあることくらい
客の98%程度は知ってるだろうし、
知ってる上で自分なりのベストメニューをチョイスしてるのに
なんでそこに口を挟んでくるかな。
実はキャンペーンでポテトを増量中とか
セットで特別割引実施中とか
そういう新情報を教えてくれるんならわかるけど、
そんな特別な情報があるわけでもないのに
ただ売上を伸ばしたい一心で訊いてくるのはいただけない。
仮にすこぶる気の弱い、あるいは定員想いの客がいたとして、
意志に反してポテトを追加注文したとしても、
次からそんな店に行きたいとは思わなくなるだろう。
本部の指示なのか店長の指示なのか知らないが、
アルバイトにそんなこと言わせてくれるなよ。
客から冷たい態度で「いらない」って言われて
傷つくのは接客現場のアルバイトなんだから。
少しでも楽しく仕事させたれよと思う。
関連エントリー:
GAPの店員が目を見てこんにちはと言ってくる
うまいこと言うもんだ
サウイフモノニ ワタシハナリタクナイ
店員がみんなして目を合わせて「こんにちは」と挨拶してきた。
以前からGAPでは「いらっしゃいませ」じゃなくて
「こんにちは」と言ってくるということには気がついていたのだけれど、
しっかりこっちの目を見て挨拶してくるものだから、
思わず「あ、こんにちは」と返してしまった。
言ってしまってから、ヤベっ、挨拶し返しちゃったよと思って、
その後さらに何人かに挨拶されたときには返事をしなかったが、
また後から思い返して気づいた。
別に挨拶されたら返すのは普通じゃん、と。
あっちが店員でこっちが客だから、
店員が挨拶してくるのは当たり前だし、
こっちが挨拶し返す必要なんてないなんて
自分もずいぶん思い上がった消費者になってしまっているのだなあと反省。
挨拶といえば、少し前に、
店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか。。。
という議論が盛り上がっていた。
意外だったのは、
「おつりをもらうときにありがとうなんて言うヤツは気持ち悪い」
というような意見の人が少なからずいたこと。
その中にも、「ありがとう」というのが偉そうで嫌いというタイプと、
そもそも挨拶をする意味がわからないという人がいた。
前者についてはわかる気もする。
「どうも」とかならわかるけど、「ありがとう」という言い方が
既に上から言っているという主張である。
わかる気もする。
後者はつまり、
店員だって「ありがとうございました」とか仕事で言ってるだけであって、
そこに個人的な挨拶を持ち出すのがいやらしいという主張だ。
これもわからなくはない。
挨拶が形骸化された場面においては
形骸化されていない挨拶が不自然に浮いてしまうのだ。
まさにそれゆえ自分も前述の場面で挨拶を返さなかったのだ。
しかし、大事なポイントは、
レジで「ありがとう」と言うようにしているという人や、
おつりを渡すときに「ありがとう」と言われたら嬉しいという人のほうが
どうも多そうだという事実だ。
レジで『ありがとう』と言葉を返す?
レジでおつりを貰うとき「ありがとう」って言いますか?
挨拶が形骸化されている場面であるからこそ
形骸化されていない挨拶が突然とび込んできたときに
嬉しく感じてしまうという人のほうが多いようである。
コミュニケーションというのはそもそも
どちらかがリスクを負うことから始まるものだと思う。
別に知らない人同士でなくても、
自分から挨拶をするには勇気がいる。
でもだからこそ、挨拶は先手必勝!が基本ですよね。
でも、店員相手に先手必勝はないか・・・と思ったが、
そういえば『気くばりのツボ』に書いてあったわ。
行きつけのカフェとかで店員と仲良くなりたければ、
2度目以降、店に入るなり、「あ、どうも」と店員に言ってしまえと。
これはまさしく「先手必勝」の挨拶じゃないか!
この前の本当に「使える」言葉遣いを僕は知らなかったのエントリーもそうだけど、
さりげなく頭をなでられるようになるには、場数を踏むしかないを読んでから、
こういうのはホントに場数だよなーってすごい思うようになった。
試験の本番で力を出せるようになるのも、
知らない人だらけの交流会でうまく振舞えるのも、
営業をうまくこなせるようになるのも、
ホント場数。
経験値っていうか、場数。
知識のインプットだけではどうにもならない部分ってけっこうある。
えーと、つまりまとめますと、
GAPの店員で挨拶の場数をふむうちに
挨拶上手になれますよという話でした。
関連エントリー:
本当に「使える」言葉遣いを僕は知らなかった
できるまでできるふり
ウザがられるフェーズ
毎日新聞の英語版サイトのWaiWaiの問題。
これだけの騒ぎになってるんだから、
てっきりネチズンに限らず広く認知されたもんだと思ってたら、
友人数人と話してるときに、自分以外誰もこの話を知らなくて、
かなりショックを受けたので、とりあえず貼っときます。

毎日新聞の英語版サイトがひどすぎる まとめ@wiki
毎日新聞問題の情報集積wiki
(とりあえずこのページを読むのが一番わかりやすいかな)
(※07.21追記:GIGAZINEさんにわかりやすいまとめ記事ができました。
テレビや新聞で詳しく報道されない「毎日新聞英文サイト変態記事事件」、一体何が問題なのか?)
この件は、記事を真に受けた外国人が日本に来て性犯罪を犯すんじゃないかっていう
実害について怒っている人も多いが、
「日本を代表する報道機関のくせになんばしょっとか!!」
ってことで怒ってる人も多いと思う。
「教育」もそうだけど、
「報道機関」という職も、社会的に特別視する見方がある。
特に報道機関に身をおいて働いている人には
自分達が真実を世に知らしめるんだという社会的使命感に燃えて
働いている人も多い(と願っている)。
今回の件でいうと、残念ながら毎日新聞の中の人には
そういう特別な存在である報道機関としての自覚は全くなかったわけだ。
騒動になった後、毎日新聞はなんと、
Mainichi Daily Newsのrobots.txtに検索エンジンのクローラーを拒否する設定を記入。
(参考:毎日新聞が検索エンジンを拒否!? メディアの自殺行為か)
これはつまり、「Google先生、このページは見にこないでください><」
っていうことである。
報道機関のニュースサイトがである。ギャグとしか思えない。
今回の件であらためて思ったのは、悪いことはできなくなってきたなぁっていうこと。
最近は不祥事が相次いでいるような印象を受けるけど、
今までは隠し通せてきたものが、
隠せなくなってきたということなのかもしれない。
大きいのはやっぱりインターネットの成熟。
情報伝達経路の発達と、オフラインへのそこそこの影響力アップ。
個人の発信があっという間に日本を巻き込むことも可能になってきた。
今回の件も2ちゃんねるに書き込まれて騒動になったものだし、
robot.txtに関してははてなブックマークのいちユーザが見つけて発覚した。
それでインターネットは恐いみたいなイメージをもたれることも多いが、
勘違いしてはいけないのは、
インターネットそれ自体が勝手に騒ぎを大きくしてくれるわけではないということ。
インターネット自体は便利なツールでしかなく、
それを利用して騒いでいるのは、他ならぬ人間である。
それに考えてみると、
最近の不祥事の内部告発とかは、インターネットは関係ない。
これは漠然とした印象でしかないけど、
なんか社会的に「悪を憎む意志」が強くなってるのかなーというイメージ。
「正義」というのとはちょっと違う感じで、
どちらかというと「子ども」みたいな感じ。純粋な心の子ども。
悪を憎むっていうか、大人の「汚さ」や「ズルさ」を憎むような感じ。
働きたがらない若者が問題とされているのと関係があるのかわからないけど、
普段学生たちと話していても、なんというか、
みんな「お金の臭い」を嫌うようなところがある。
何か面白いことをやっている人や、興味深いことを言っている人がいても
お金をもらってやってるってことがわかると
「なんだ金儲けかよ」って冷めちゃうような、そんな感じ。
自分が働くときにも、「お金のため」と割り切ってどんな仕事でもやれるという人は
なかなか少ないんじゃないかと思う。
就職活動中には「企業理念に共感できる会社で働きたい」みたいな
かっこいい声もよく聞くが、決して嘘を言っていないと思う。
だから、想像でしかないけど、
内部告発する人の心理も、正義感からっていうより、
そういう二面性のある企業に属していると、
なんか疲れちゃうんじゃないかなーって思った。
当事者意識を持って働いている社員ほどそうだろう。
というわけでまあ企業に関してだけいえば結局は
公開できない「暗部」のある組織はもうもたない、でもそれだけのことっていう
アンカテさんの話に集約されると思うんですが、
企業だけでなく、個人の悪事も隠しにくくなってきつつある気がします。
mixiの日記で飲酒運転したって書いたら広まって問題にされたり、
いじめの動画がネットにアップされて学校特定されたり、
大聖堂に落書きしたら騒がれてイタリアまで謝りに行くはめになったり
(それで感動されて学校名入りの銘板作られちゃったり…)。
誰もが、自分の行った悪事について
顔も名前も知らない大勢から一斉に非難を受ける可能性を持っている
(まあ警察に捕まった場合と同じかとも思うけど)。
これはなんでなんだろう。
飲酒運転とかいじめとか落書きとかは
企業の汚さとか、お金の臭いとかとは違うよな。
落書きに関しては、野蛮で残酷な日本的茶番では、
日本人の「道徳」と呼ばれているような「権威主義」によるものだと考察している。
うーむ。
いずれにしても、ある個人の悪事が、
それが法で裁かれぬものであっても、
多数派の気分を著しく害するものであった場合、
匿名の働きかけによって大勢に公表される可能性がある。
少年法という法も保護してはくれない。
なんてスリルのある日常!
でもまあ、もともと悪事ってのは千里を走るものなのかも。
少し昔の村社会的生活スタイルを考えれば、
どこそこの家の悪ガキがこんな悪いことをした
なんて話は、あっという間に村中に広まったものだろう。
それが最近は、人々の活動範囲が広くなった分だけ
近所の付き合いが希薄な人達が多くなってた。
社会で接する人の総数は増えても、
親しい人、深い交流のある人の数は少なくなってた。
そこにインターネットというツールが登場して、
離れている人とも深く交流することができるようになってきた。
このままの流れで、世界中が皆仲良しになっちゃえばいいのにな~とか、
話が飛躍しすぎですか・・・。
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やりがい
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組曲「ニコニコ動画」全自動マリオVer.に人間の恐ろしさを垣間見た
教育人間塾:「人望のある人」とは
違法に高額教材を販売していたとして、業務停止処分を受けた。
高額教材を違法販売 家庭教師派遣業者を3カ月の業務停止処分(中日新聞)
静岡県は18日、高額な学習教材を不適切な方法で販売したとして、特定商取引法に基づき「家庭教師のフレンズ」を名乗って営業している家庭教師派遣・学習教材販売のウィル(静岡市葵区昭和町)に対し、19日から3カ月間の業務停止にすると発表した。
県民生活室によると、ウィルは学生の家庭教師を派遣する際、学習教材をセットで販売。ちらしやダイレクトメールには「家庭教師を無料派遣する」と記載していた。
教材販売の目的を明らかにしないまま営業担当者が家庭を訪問し、家庭教師だとうそをついたケースがあった。契約内容や教材の単価を記載した書類を、契約時に相手に渡さないといった違法行為もあった。契約金額は平均で43万円、最高では109万円だった。
この件が、静岡県のホームページで
「特定商取引に関する法律第8条第2項及び第47条第2項の規定に基づく公表」
として公表されていて、勧誘事例がわりと具体的に紹介されていたので、
同じような手口にひっかからないように参考にしましょう。
Xは、「じゃあお母さん、月々の負担は25,000円くらいになりますが、よろしいですか?」と言った。Aは、電話帳やインターネットで調べたときの時給から、月15,000円くらいと思っていたので、<何でこんな値段かなー。高いな。>と思いながらも承諾した。
Xは、「月々9,000円の教材費がかかり、36回払いです。」「理系希望なので数1 ~数3 までの27冊セットです。」と初めて教材が必要だと話し始めた。Aが、「うちの子は宿題が多く、やる暇がない。」と伝えると、Xは、子どもに「教科書をやるより、このテキストは教科書に沿っているから、これをやるといいよ。」と1冊の教材を見せながら、「僕が教えている子にも毎日宿題を出している。これをやる方が自分で予習をやるよりもむしろ早い。」と説明した。
Aは、契約書を見て初めて教材の総額が分かり、「一括払いにすれば安くなりますか?」と聞くと、Xが「一括にしても値段は変わらない。」と言うので、<なんだか変だな。>と思った。
ポイントは、料金体系が不明瞭で、契約時まではっきりした金額がわからないという点と、
高額の教材を小額に分割して長期間かけて支払わせるという点。
いきなり明日何十万円払ってくださいと言われて契約する家庭はなかなかないが、
授業料に上乗せされると「仕方ないか」という気分になりやすいのかもしれない。
Bが値段を聞くと、Yは、「国・数・英は1教科3,000円、社・理は2教科で4,000円です。」「教材は、月々13,800円です。家庭教師は、お宅の場合は1週間に1回、時間は1時間半でいいと思います。1週間1回1時間半として、金額3,000円を設定して、合計25,800円です。大丈夫です。塾へ行かせるより安いですよね。」とメモ紙に毎月の支払金額を書いて説明した。Bは、月にかかる金額が高かったので返事をしないでいたが、子どもが「やらしてもらいたい。」と言ったので、契約することにした。Yは、契約書面を取り出し、商品名、金額、支払方法を書いていった。Bは、このとき初めて、この教材の支払総額が496,800円と高額で、支払回数が36回払いのローン契約であることが分かりびっくりした。
Bは、<子供をその気にさせて、家庭教師の時間を設定し、3,000円から始めて、月25,800円をアピールして、実際は高い教材をローン契約で買わせるような売り方>に不信感を持ち、契約日より一ヵ月以内の違約金として、商品代金の15%の74,520円を振り込み、解約した。
営業マンは自分から教材の総額を言わず、分割払いで月にいくらかということだけ言うわけです。
さらに、高額の違約金を設定しておいて、簡単に解約する気にさせないようにしている、と。
Zは、「毎日の予習・復習は大切だけど、いくら時間をかけてやってもだめ。」「私たちが教えるときはいいけど、いないときはどうする?そういう時にとってもいい教材があるの。」と言って、教材を取り出し、「5分から10分で予習・復習ができちゃう。重要なポイントが、毎日の授業で一か所ある。このページで重要なところは分かる?」「それがどこかわかるようになるから。ほら、ここを見れば要点が書いてあるから。」と説明した。
「こんなに高いんですか。」「教材は本屋さんに売ってないんですか?」と聞くと、Zは、「これは分かりやすくなっていて、特別にお願いして作ってもらっているので、どこにも売っていません。」と言った。
結論。
楽して全てうまくいくような、そんなウマい話はまず無いと思っておくべし。
そしてこれははっきり言っておきたいが、
塾や家庭教師の業者オリジナルの教材が
市販の教材よりも格段に素晴らしいことなど、まずありえない。
そんな素晴らしい教材があるなら、市販したって売れるんだから、そうしているはずだ。
実際予備校講師とかは自分で参考書を書いて出版してる。
市場に並んでいるものは、それなりに淘汰されながら生き残っているものなので、
市販の教材にも十分質の良いものは多い。
そして価格も適正である。
業者オリジナルの教材に高いお金をかけるくらいなら、
同じだけのお金で買えるだけ市販の教材を買いこんで、
使い比べながら自分に合うものを見つけたほうがずっと有益である。
高いお金を払ったからといって、全てを解決してくれるような
そんな万能の教材など無いものだと心得ましょう。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」