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夜のすすきのを成敗して歩く男たちを見た。名をば一世一代時代組とぞ。  
2008.08.17 (Sun)
少し前に、珍しくおーせんちっくなバーなんぞに足を運んだ帰りに
ほろ酔いで、狸小路で路上の弾き語りを聴きながらぼーっとしてたときのこと。

粋な和服姿で背中に大きな籠を背負った男2人が歩いていた。

ふと、こちらのほうに目をくれると、
「ちょいちょいちょい・・・」とか口にしながら近づいてきた。

そして2人は私のいた場所の一歩手前で止まり、
「やりますか」とかなんとか確認し合うと、
おもむろに1人が背中の籠を傾け、1人が腰から刀を抜くように火ばさみを抜き、
小さな声で、しかしはっきりとこう言った。

「成敗!」

そしてその火ばさみを使ったり、結局は素手を使ったりしながら、
私の目の前に散らかっていたお菓子の食べかすのようなゴミを拾いはじめた。


そして拾い終わると、静かに、速やかにその場を去っていった。

去っていったほうを目で追うと、さらに同じような2人組が別の方向からやってきて
4人合流して、また新たなゴミを探しに行ったようであった。

私は、一瞬狐につままれたような、夢でも見ていたような心地がしながらも、
とにかく、「かっけぇ・・・」と思った。
酔いはすっかりさめてしまった。


後日調べて、彼らは「一世一代 時代組」というらしいことがわかった。
いや、ほんとかっこいいっす。


「いいこと」「かっこいいこと」としてやることには、
非常に重要な意味があると思っている。

昔っから思っていたが、
学校の授業で発表したり、募金箱を見つけて募金したり、
そうやって頑張ることが「かっこ悪い」ようにみなされて、
授業さぼって屋上で煙草をふかすような、
ただだらけてるだけのことが「かっこいい」とみなされるような風習というのは
本当に非生産的だと思う。

頑張って授業で発表した上に
「頑張っちゃって、なんだあいつ」と思われるんなら、
そりゃあ誰だって頑張る気なんてなくなるよなぁと思う。

だからこそ、彼らのように、ただゴミを拾うだけでなく、
それをかっこいいものであると、世間の認識を変えてくれることには
2倍以上の価値があると思うのだ。


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edit |  15:23 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
教育人間塾:「人望のある人」とは  
2008.03.09 (Sun)
7日からスタートした、「教育人間塾」に参加。

教育大の前学長村山氏の主催で、現役の校長やら、教員やら民間人やらで
福沢の「学問のすすめ」を読みながら、教育の本質について議論するアツい会だ。


第1回は「人望論」。

福沢曰く、「人望」のある人とは、人に当てにされる人であり、
「たしかなる人」(=しっかりした人)である、と。

その人望の中身は3つ。

一、言葉
・文章も大事だけど、人に会って自分の考えを伝えるにも、「言葉」以外にないよね。
・用いて不自由なき言葉を用いずして不自由するは、必竟演説を学ばざるの罪だよね。

ニ、顔色容貌
・人の顔色は家の門戸と同じ。君子きどりでことさら渋い風にするのは
 戸の入り口に骸骨をぶら下げて、門の前に棺桶を置くようなものだ。
 誰も近づかないよね。
・「虚飾」じゃないよ。「和して真率」が交際の要だよ。

三、交際
・学者と医者、町人と役人など、「立場が違えば知らん振り」はやめよう。
・旧友を忘れないだけでなく、新友を求めよう。
 10人に会って1人の良き偶然に当たるなら、20人に会えば2人の良き偶然を得られるよ。


このことに関して、「交際の機会を増やすことで言葉も磨かれる」とおっしゃった人がいた。
交際の機会が減っているから言葉も失われると。

これにはすごく同意できる。

自分の場合、小さい頃は友達と遊ぶために友達の家に電話をかけるときというのが、
幼い自分が「他人」である大人に自分から言葉を投げかけねばならなかった機会であり、
ある種のハードルであった。

「○○ですが、××くんいますか?」が原点。

それが成長するにつれ、
「○○と申しますが、××くんいらっしゃいますか?」
「△年□組の○○と申します。こんばんわ。××くんはいらっしゃいますか?」
と、進化を遂げていく。

ヤブンすいません」
オコトヅテお願いします」

と、覚えたての言葉を取り入れてみたりもする。
すると、その友人の家に行ったとき、お母様からの印象が良くなってたりする(笑)

携帯電話の普及によって、こういう機会が失われる。

子ども同士で直接連絡がとれるのは「便利」なんだけど、
「不便」の周辺にあった「交際」も一緒に失われてしまう。


というか、グラウンディングラボの都丸さんがすでにもっといいことをおっしゃっているので、
そちらを引用させていただきます。

100円 < お願い

地域のお祭りをやる意義って、地域の人同士がお願いをし合って、お礼を言い合って、日常で挨拶をするようになることだと思う。だけど、モノが豊かな現代は100円ショップがお願いする機会を奪ってしまっている。ハサミ、ガムテープ、ビニールヒモ、菜ばしetc...ちょっとしたものをお願いして借りるよりも、100円で買って捨ててしまったほうが気が楽なのだ。

モノを貸し借りすることを通じて、流通していた有難うというやり取りが少なくなっているんだなぁと実感。




福沢から学ぶこと、まだまだ多し。

edit |  11:02 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
つまようじよりもプリッツ  
2008.03.04 (Tue)
あるケーキ屋が、チーズケーキの試食を出すときに
つまようじの代わりに、短く折った「プリッツ」を刺してた。

コストが多少上がっても環境に配慮しようとしたんだとしたら、
感心してしまうなぁ。


実際につまようじがどの程度環境に悪なのかわからないが、
大量に使い捨てられるつまようじを見ると、あまりいい気はしない。

あとはデパートやスーパーの傘袋とか、
飲食店のおしぼりを包んでるビニールとか、
なんとなくいい気がしない。

まあそんなこと言い出したら、
スーパーのビニール袋も無駄すぎだし、
いたるところにある大量の紙ビラもそうだし、
ビニール傘だって割り箸だってそうだしな。

ああ、あと本。
本のカバーってなんのためについてるんだろうかと思う。
しかもそのカバーの上に帯をつけられて、
さらに購入時にはブックカバーをつけられて、
なんなんだあれは。


というわけで何がいいたいかというと、
安易につまようじを使う前に、プリッツの使用を検討しましょう。

でも、プリッツの二重の外装が結局ゴミになるけどね。


関連エントリー:
 消費大国でゴミ大国
 傘にはそろそろ本気で画期的になってほしい。
 画期的な食器
 ビジネスのあり方
edit |  01:03 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
「ごはんつぶを残すな。」  
2008.02.23 (Sat)
「茶碗にごはんつぶを残すな」と言われて育った。

親が古いタイプの人間であって良かったと感じるのはこのことくらいだ…。


同年代の友達を見ていても、茶碗が米粒だらけの状態で
平気で「ごちそうさま」と言う人間に昔から違和感を感じていた。
それは今現在でも続いている。

あとは最近でいえば、飲み会のときに大量に残される食べ物。
かなり気になる。
かといって、自分ひとりで何とかなる量でもないし、
食い意地がはってると思われるのもアレだし・・・なんて考えつつ
目の前の光景を正当化しようとしてしまう自分もいる。


食べ物をもったいないと思わなくなったのはなぜかを読んで考えたこと。

食べ物をもったいないと思わなくなったのはなぜか。

教育的側面から考えてみると、今の子どもは皆、
小さいときから食べ物が捨てられるシーンを見せられすぎてるんじゃないだろうか。

小学生の頃から、給食で大量の残飯がごっちゃまぜにされて、
捨てるために運ばれていくのを、きっとほぼ全員が見せられている。
そんな光景を見てしまえば、「ごはんつぶを残すな」なんてセリフは
あまりに無意味に思えて当然じゃなかろうか。

さらに高校生くらいになってアルバイトを始めると、
コンビニエンスストアではおにぎりやら弁当やら大量の廃棄商品を、
飲食店では客の大量の食べ残しが捨てられるのをまざまざと見せつけられる。

自分がコンビニでアルバイトをしていたときの経験からしても、
入ったばかりの新人アルバイターは、最初こそ
「うわー、もったいない…。捨てちゃうんですか」なんて言ってるものの、
1ヶ月も経つ頃には、すっかり手際よく廃棄処理できるようになってしまう。

テレビのバラエティ番組で食べ物をぞんざいに扱ってたときだけ
「食べ物を粗末にするな!」なんて抗議してみたところで、あまりに虚しい・・・。


あとは、生産体験・収穫体験の不在っていう理由も考えられるか。

家の畑で自分で育てた野菜を取って食べたり、
近所の川で釣ってきた魚を焼いて食べたり、
自分で育てた鶏やその卵を食べたり、なんて
都会の子どもの多くはほとんど体験できない。
子どもはっていうか、大人もだけど。

「魚は切り身で泳いでると思ってる」なんていうのは極端な例だけど、
食べ物を「実感」できないっていうのは確かだろうなぁと思う。


さてこういった点をふまえて、これからの教育の道について。

例えば子どもに野菜を作らせたり、鶏を飼わせたりっていう生産・収穫体験の補完は、
既にやっているところもけっこうある
(例として『豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日』とか)。

給食もなんとかならないだろうか。

あらかじめ生徒一人一人に自分の食べる量を申告させて
(ご飯○g、サラダ○gとか、親が協力して)、
それに基づいて各クラスに配給する量を決定するとか。

そしてやむなく残すときは、菜園の肥料にできるものは自分で撒きにいくとか、
あるいは代わりに食べてくれる人を自分で見つけなきゃいけないとか。

んー、難しいかなぁ。


関連エントリー:
 コンビニのアルバイトから学んだこと
 消費大国でゴミ大国
 道徳とは感動体験の異名である


 参考
食べ物をもったいないと思わなくなったのはなぜか(WIRED VISION)
edit |  01:53 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
便座クリーナーを設置しとけば便座は勝手にキレイになる  
2008.02.06 (Wed)
ずっと思ってたこと。

ちょっと前から公衆トイレの個室に見かけるようになった、便座クリーナー。
プッシュしたら消毒液みたいのが出て、
トイレットペーパーにつけて便座ふいてねってやつ。

あれ考えた人、すごい。

なにがすごいって、あれがあると、便座に座るときに汚れが気になる人が、
"自分の為"に、自主的に便座を拭いてキレイにするわけだ。
だから、放っておいても、システムそれ自体が便座をキレイに保つようになってる。

これは画期的だなと思う。
水に流せる便座型の紙シートを設置した人よりずっとすごい。


他に似たような機能をもつシステムといえば、Wikipediaが思いつく。

誰でも自由に編集できる百科事典なんて、誰がうまくいくと思っただろうか。
ところが実際は驚くほどうまく機能している。

結局、ウィキペディアにとんでもなくおかしいことが書いてあるよりも
価値のある情報が書いてあったほうがハッピーな人のほうが多いから、
自然に価値のある情報が蓄えられていってるわけだ
(もちろん、すべて「自然に」というわけではないが)。


ある集団の行動の流れを思い通りに動かしたかったら、
「○○してください!」と声を大にして叫ぶよりも、
自然とそうなるシステムを考えるべきだ。

例えば、公衆のゴミ箱でゴミを分別させたかったら、
「ゴミを分別してください」という貼り紙をするより、
ゴミ箱を透明にして、あらかじめ中にきっちり分別されたゴミをいくらか入れておくほうが
ある程度効果があるんじゃないかと思う。

ビン・カン用のゴミ箱の入れ口が"○"の形になってるのもそういった工夫のひとつだ。
ゴミ箱の入れ口の形が、ビン・カン類を入れることをアフォードしてる。


逆に最悪な例をあげるなら、
「貼り紙禁止!!」っていう貼り紙だな。


edit |  00:59 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
傘にはそろそろ本気で画期的になってほしい。  
2008.01.27 (Sun)
さておなじみの百式企画塾、今回のお題は「画期的な傘」。

そして今回の御題は「傘」。ずっとやってみたかったお題です。傘ってあまり進化していないですよね。



↑を読んで感動!!
私自身も、傘についてはずっと思ってたところがあったのであります!

これだけ文明が発達している世の中にあって、あの傘のだらしなさは何だ!と。

ちょっと風がふく度にバキバキ折れて、
あるいは雨が止んだがために出先に忘れて、
あるいは傘立てに立てといたばかりに盗難に遭い、
とまぁなんやかんやあるために使い捨てがデフォルトになってしまってる。
しかし、使い捨てるにしては、あの資源の無駄さは地球的にどうなの?と。

そんなわけであの傘に関してはずっと何とかならんもんかと思っていたわけですが、
思えばその解決を自分で考えてみたのは今回が初でした。

そんなワタクシの回答。


その傘は雨の日にみんなが感じている(A:傘に関する諸々の不備さ)という問題を、
まさか傘と連動するなんて!という驚きの
B:自転車の錠)なるアイテムと組み合わせることにより、
C:自転車と一体化し、U字ロックとして機能する)という方法で解決していた。

その傘の名前は(D:カサイクル)。



いつにもましてイカした図解になったぜ。


盗まれたくないもので、外に出るときにのみ使うもの・・・と考えたとき、
自転車だ!!と思ったわけです。

このカサイクルは、自転車の胴体に沿うように傘を装着できて、
しかもその傘を装着した状態でクルっと回転させることで、
その傘の柄の部分がU字ロックのように機能し、自転車の盗難も防止する。
これにより、自転車と傘にまつわる諸々の問題を見事に解決してみせた!

・出かけようとして外に出てみたら雨が降っていた。
 ⇒自転車にセッティングされているので、傘を取りに戻る必要なし!

・外にいるときに急に雨が降ってきた。
 ⇒常に自転車に装着されていればいつでも使用可能!

・雨が降ってないときに傘を持ったまま自転車に乗るのはわずらわしい。
 走行中の車輪に傘を挟んでしまったら大変!!
 ⇒胴体部分に沿うように装着できて、わずらわしさゼロ!

・建物に入るときに傘を持ち歩くのがじゃまくさい。
 かといって傘立てにおいておくのは心配だし・・・。
 ⇒駐輪場所にセットで置いておけるし、盗まれる心配もない!


自転車のロックになるくらいだから、柄のところを金属にしなくちゃいけないし、
重くなるんじゃないの??と思われる方もいるかもしれないが、
傘なんてもっと重くていいと思うのです。

軽ければ軽いほど風のあおりを受けやすくなって
どうせ体感的には重くなってしまうのだから、
どうせなら初めから重いかわりに丈夫で壊れない傘のほうが嬉しいでしょ。


edit |  23:30 |  その他雑談  | トラックバック(1) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
声を荒らげるより、飲んで帰ろう  
2007.12.15 (Sat)
いやぁ、昨日のJRトラブルは大変でしたね。


札幌圏JR、5時間半ストップ(YOMIURI ONLINE)

14日午後3時50分ごろ、JR札幌駅近郊を走行中の列車で事故などの発生を知らせる防護無線が誤作動し、同駅周辺のすべての列車が緊急停止するトラブルがあった。JR北海道で誤作動を起こした列車の特定に手間取り、函館、千歳、学園都市の各線が札幌―小樽、岩見沢、新千歳空港、石狩当別間でそれぞれ運転を見合わせ、5時間半後の午後9時25分すぎに運転を再開した。

(中略)

再開のめどを聞かれた駅員が「確認中です」と答えると、「何度確認すれば気が済むんだ」と声を荒らげる男性も。中には「帰宅はあきらめた。一杯飲んで帰ろう」と電話で仲間を誘うサラリーマンの姿もあった。

 札幌市中央区の会社員、深井徳男さん(60)は「今日中に函館に行きたかったが、これでは明朝に行くしかない」と早々に15日の切符を購入。会社の研修で余市町から来たという会社員笹山優子さん(49)は「バスで帰るしかないが、混雑しそうなので泊まったほうがいいかも。とにかく大迷惑です」と話していた。




この記事を読んで、
「何度確認するんだ!」
「とにかく大迷惑です!」

とイライラする人よりも、
「飲もう飲もう♪」と思える人になりたいなぁ、と思った。



人それぞれに急ぐ事情があり、怒る理由がある。
それはわかるのだけれど、
JRもバスも地下鉄も、動いて当たり前だと思ってしまっているよね我々。



札幌だけの家庭教師「考動力研究会」

edit |  12:41 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
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