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不必要に疑わない習慣をつける  
2007.05.17 (Thu)
社会心理学の世界で、興味深い実験がある。

相手が嘘をついているかどうか見分ける課題で、
日常的に疑い深い人(=「人を見たら泥棒と思え」という人)のほうが、
人を信じやすい人(=「渡る世間に鬼はなし」という人)よりも、
なんと成績が悪かったのである。


同じことを、和田秀樹氏は
頭をよくするちょっとした「習慣術」』の中で、以下のように説明している。


 疑い深い人というのは、いったん信用できると思った人間に対しては
 何でも信用してしまうところがある。
 お金が絡んだり、物理的な損得が絡んだ時に初めて客観的な判断が必要になる。
 つまり疑うことが必要になるのに、そのポイントが分からない。
 逆に普段から「疑わない」習慣を持っている人は、
 疑うポイントを押さえているわけだから、どんなに親切にされようとも、
 そのポイントに来れば一瞬立ち止まることができる。



どっちが人を見分けることができるかという議論を抜きにしても、
何の得にもならない疑いを持つ人が多いなぁと日常的に感じることがある。

例えば、政治家が何か不祥事を起こしたとする。
そして会見で「そんなことになっていたとは・・・私は何も知りませんでした」
なんて感じで弁解したとする。

このとき、「こいつ絶対嘘ついてるじゃん」と
何の根拠もなく直感的に決め付けてしまう人は、
それ以上、真相を解明しようとはしなくなる。

つまり、「疑うポイント」がわからないままなのである。


政治的な事件の真相なんてものには興味がないという人もいるかもしれないが、
こういったことは普段の生活の中でもいくらでもある。

例えば、遊びにいくはずの友達からの、前日のキャンセル。
「ごめん、急に外せない用事が入っちゃって・・・」
「風邪ひいちゃったんだよね。明日行けないかも・・・」

遅刻のいいわけ。
「すいません!電車が遅れてまして・・・」
「ごめんなさい!時計が止まってまして・・・」

これらを疑ったところで、
友達が来れるようになるわけでもない。
遅刻した事実がなくなるわけでもない。

ただ自分が(あるいは互いに)嫌な気分になるだけである。


真相が分からないときに、とりあえず疑っておくというのは
実はこれほど楽なことはない。

しかし相手にしたら、あらぬ疑いをかけられることほどつらいことはない。
また、疑い深い人間に限って、
「自分の場合も疑われているはずだ」という被害妄想に陥りやすい。

必要のないことで疑いを持たないことが
周りの人のためにもなるし、結局自分のためにもなるのである。



札幌だけの家庭教師「考動力研究会」


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