2007.07.30 (Mon)
先日の就活コンパスの中で、グループディスカッション体験の時間をとった。
はじめに有志の6人をみんなの前でディスカッションさせ、
それをみんなで見て、なんとなく要領をつかんだところで、
その後、各グループでそれぞれディスカッション。
最初のディスカッションのテーマは、
「自分が人事担当者だったらどういう人を採用したいか」であった。
ちなみに私だったら、採用したいのは
最初に「みんなの前でのディスカションをやってくれる人?」
と希望者を募ったときに、自ら進んで出てきてくれる人。
それはつまり、「様子見ぐせ」がついていない人である。
世の中には、様子見ぐせがついてる人があまりに多い。
「とりあえず今回は様子を見よう」
「また次の機会に検討しよう」
そういうくせである。
「保留ぐせ」と言ってもいい。
良く言えば「慎重」、悪く言っても「慎重」。
かくいう私も、根っからの様子見タイプである。
普段はかなり無理をしてこの悪しきくせを無くそうとしているが、
こやつは少しでも気を抜けばすぐ顔を出す。
だから全然人のことは言えない。
こういうイベントに「参加してみよう」と思えたことがまずスゴイと思うから、
イベントの参加者はみんなスゴイと思う。
しかしその中でも、やったこともないグループディスカッションを
いきなりみんなの面前でやらされるというときに、
自ら挙手できる人は段違いにスゴイ。
様子見ぐせがついていないだけでなく、
出る杭になるのは「勇気」がいるし、
ここで他の人より得意になってやろうという「向上心」があったのだろうし、
「積極性」、「度胸」、「挑戦心」etc.
どんな言葉を使っても褒められそうな気がする。
そしてそういう人は、
イベントが終わった後の懇親会にも例外なく参加しようとする。
そこでまた他の人と差をつける。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
はじめに有志の6人をみんなの前でディスカッションさせ、
それをみんなで見て、なんとなく要領をつかんだところで、
その後、各グループでそれぞれディスカッション。
最初のディスカッションのテーマは、
「自分が人事担当者だったらどういう人を採用したいか」であった。
ちなみに私だったら、採用したいのは
最初に「みんなの前でのディスカションをやってくれる人?」
と希望者を募ったときに、自ら進んで出てきてくれる人。
それはつまり、「様子見ぐせ」がついていない人である。
世の中には、様子見ぐせがついてる人があまりに多い。
「とりあえず今回は様子を見よう」
「また次の機会に検討しよう」
そういうくせである。
「保留ぐせ」と言ってもいい。
良く言えば「慎重」、悪く言っても「慎重」。
かくいう私も、根っからの様子見タイプである。
普段はかなり無理をしてこの悪しきくせを無くそうとしているが、
こやつは少しでも気を抜けばすぐ顔を出す。
だから全然人のことは言えない。
こういうイベントに「参加してみよう」と思えたことがまずスゴイと思うから、
イベントの参加者はみんなスゴイと思う。
しかしその中でも、やったこともないグループディスカッションを
いきなりみんなの面前でやらされるというときに、
自ら挙手できる人は段違いにスゴイ。
様子見ぐせがついていないだけでなく、
出る杭になるのは「勇気」がいるし、
ここで他の人より得意になってやろうという「向上心」があったのだろうし、
「積極性」、「度胸」、「挑戦心」etc.
どんな言葉を使っても褒められそうな気がする。
そしてそういう人は、
イベントが終わった後の懇親会にも例外なく参加しようとする。
そこでまた他の人と差をつける。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
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2007.07.29 (Sun)
問題を解かせてみたとき、
生徒によっては、とにかく間違えることを恐がり、
「たぶんこうかな?」という考えがあっても
口に出さずに「わかりません」と言ったり、
正解を教えてもらうまで答えを書こうとしなかったりする子がいる。
しかし、自分で解いてみることなしにはなかなか知識として定着しないし、
自分がどこまで理解できているのかということも見えづらい。
そこでそういう場合は、「わざと正解じゃない答えを書いてみて」と言って、
とにかく解いてみることへの抵抗をなくしてやる。
(「間違えてもいいから」では効果無い!
「間違えてみて」と言うのがポイント)
この方法は、集団授業においてもなかなか有効である。
みんなの前では、生徒はよけいに答えたがらなくなる。
そこで、「前に出て、わざと間違えて書いてみて」と言えば、
精神的負担は軽くなるし、生徒本人の印象にも残りやすい。
ただ、このとき注意すべきは、
わざと間違えたほうの答えが強く印象づけられてしまうと、
そっちで覚えてしまう可能性があるという点。
間違った答えを書かせた後は、
ことさらに正しい答えを強調してやることが大事。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
生徒によっては、とにかく間違えることを恐がり、
「たぶんこうかな?」という考えがあっても
口に出さずに「わかりません」と言ったり、
正解を教えてもらうまで答えを書こうとしなかったりする子がいる。
しかし、自分で解いてみることなしにはなかなか知識として定着しないし、
自分がどこまで理解できているのかということも見えづらい。
そこでそういう場合は、「わざと正解じゃない答えを書いてみて」と言って、
とにかく解いてみることへの抵抗をなくしてやる。
(「間違えてもいいから」では効果無い!
「間違えてみて」と言うのがポイント)
この方法は、集団授業においてもなかなか有効である。
みんなの前では、生徒はよけいに答えたがらなくなる。
そこで、「前に出て、わざと間違えて書いてみて」と言えば、
精神的負担は軽くなるし、生徒本人の印象にも残りやすい。
ただ、このとき注意すべきは、
わざと間違えたほうの答えが強く印象づけられてしまうと、
そっちで覚えてしまう可能性があるという点。
間違った答えを書かせた後は、
ことさらに正しい答えを強調してやることが大事。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.28 (Sat)
第2回「就活コンパス」が無事終了。
今回はゲストとして、
株式会社ジェイ・ブロードの前田さんにお越しいただいた。
ありきたりな感想だが、やはりプロは違う。
今時期の学生が、何を知っていて何を知らないのか、
そしてどの段階から説明すべきかを的確に判断されるのはさすがだ。
日常の会話の中でも、
自分が知っていることは相手も知っているだろうと勝手に思ってしまって、
議論の前提を確認しないために失敗することがよくある。
もっと大きくいえば、
常に自分は多数派だと錯覚してしまうバイアス。
(ここでタイトルに戻る)
そういやそんな理論が社会心理学にあったなぁ。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
今回はゲストとして、
株式会社ジェイ・ブロードの前田さんにお越しいただいた。
ありきたりな感想だが、やはりプロは違う。
今時期の学生が、何を知っていて何を知らないのか、
そしてどの段階から説明すべきかを的確に判断されるのはさすがだ。
日常の会話の中でも、
自分が知っていることは相手も知っているだろうと勝手に思ってしまって、
議論の前提を確認しないために失敗することがよくある。
もっと大きくいえば、
常に自分は多数派だと錯覚してしまうバイアス。
(ここでタイトルに戻る)
そういやそんな理論が社会心理学にあったなぁ。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.28 (Sat)
北大で、なんか「理系応援キャラバン隊」ってのをやってますね。
「理系は男が多くて、女子なら文系で・・・」
っていう既成概念が、進路選択において女性の理系離れを進めていると。
うん、確かに。
そもそも世界的に若者の理科離れが進んでいるらしく、
そんな状況を打破するために昨年結成されたのが、
「理系応援キャラバン隊」だというわけです。すばらしい。
でもなんか、札幌よりも北海道内の他の地方で
イベントとかをやっているみたいだ。
今年の第一弾は、8月4日(土)、北広島にて。
詳細は↓こちら
理系応援キャラバン隊「エルフィンと一緒に理科ピカッ!」
ぜひ札幌市でもやってください。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
「理系は男が多くて、女子なら文系で・・・」
っていう既成概念が、進路選択において女性の理系離れを進めていると。
うん、確かに。
そもそも世界的に若者の理科離れが進んでいるらしく、
そんな状況を打破するために昨年結成されたのが、
「理系応援キャラバン隊」だというわけです。すばらしい。
でもなんか、札幌よりも北海道内の他の地方で
イベントとかをやっているみたいだ。
今年の第一弾は、8月4日(土)、北広島にて。
詳細は↓こちら
理系応援キャラバン隊「エルフィンと一緒に理科ピカッ!」
ぜひ札幌市でもやってください。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.25 (Wed)
ママNaviさんの主催する、子どものための職業体験プログラムのご紹介です。
Kid's職業体験プログラム
8月10日(金)アリオ札幌店にて
5歳から小学生までの子どもを対象としたプログラムで、
販売や接客、アリオ店の1日店長、新聞記者、カメラマンの仕事など、
スタッフに混じっていろんなお仕事を体験できちゃうそうです。
→詳細はこちら
応募締切は7月31日(火)になってますが、
応募が殺到しているそうなので、早めのほうがよさそうです!
学生団体コンパスでも学生の就活支援をしているが、
就活に至るまでに、社会に接するチャンスがあまりに少ないなぁと兼々思っていた。
小さいときから少しでも働くということを体験できるこういうイベントは
もっともっとあってほしい。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
Kid's職業体験プログラム
8月10日(金)アリオ札幌店にて
5歳から小学生までの子どもを対象としたプログラムで、
販売や接客、アリオ店の1日店長、新聞記者、カメラマンの仕事など、
スタッフに混じっていろんなお仕事を体験できちゃうそうです。
→詳細はこちら
応募締切は7月31日(火)になってますが、
応募が殺到しているそうなので、早めのほうがよさそうです!
学生団体コンパスでも学生の就活支援をしているが、
就活に至るまでに、社会に接するチャンスがあまりに少ないなぁと兼々思っていた。
小さいときから少しでも働くということを体験できるこういうイベントは
もっともっとあってほしい。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.24 (Tue)
「面白きこともなき世をおもしろく」
高杉晋作が作った有名な和歌。
(「面白きこともなき世におもしろく」?)
この歌を見ると、松本人志氏が
「人生なんて楽しいもんやない。せやから楽しまな」
みたいなことを言っていたのを思い出す。
国をして国であらしめているもの。政治。
今、日本の政治は、国民のものになっていない。
「選挙に行こう!」って言われたって、
誰に投票しても一緒な気がする。
そんな中で、「国民として意思表示しないと」ってことだけ言われて
とりあえずしぶしぶ投票に出かけるのって、なんか違うでしょ。
『オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク
』
「『政治家FUCK!』って100回言っても、
文句を言ってるだけじゃ、結局、何も変わらない」
賛否両論あると思うが、本当に政治が国民のものになるためには、
こういうちょっと極端にぶっとんだ本でも必要だと思う。
参考
2007年7月頃読んだ本(藤日記)
選挙へGO♪ イベントとして選挙日を楽しむ方法(硬式テニスをはじめた人に向けた上達日記)
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
高杉晋作が作った有名な和歌。
(「面白きこともなき世におもしろく」?)
この歌を見ると、松本人志氏が
「人生なんて楽しいもんやない。せやから楽しまな」
みたいなことを言っていたのを思い出す。
国をして国であらしめているもの。政治。
今、日本の政治は、国民のものになっていない。
「選挙に行こう!」って言われたって、
誰に投票しても一緒な気がする。
そんな中で、「国民として意思表示しないと」ってことだけ言われて
とりあえずしぶしぶ投票に出かけるのって、なんか違うでしょ。
『オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク
「『政治家FUCK!』って100回言っても、
文句を言ってるだけじゃ、結局、何も変わらない」
賛否両論あると思うが、本当に政治が国民のものになるためには、
こういうちょっと極端にぶっとんだ本でも必要だと思う。
参考
2007年7月頃読んだ本(藤日記)
選挙へGO♪ イベントとして選挙日を楽しむ方法(硬式テニスをはじめた人に向けた上達日記)
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.22 (Sun)
内定者&就活生の作り上げる就活イベント「就活コンパス」
第2回開催のお知らせです。
「就活コンパス」Vol.2
日時:2007年7月26日(木)18:30-20:30
場所:北海道大学 文系共同講義棟 W408
(北区北10条西7丁目)
対象者:これから就職活動をはじめる人
服装:私服でOK
参加費:無料
主催:学生団体コンパス
参加申込み:compassあっとkodoken.comまでメールしてください
(※迷惑メール対策のため、「あっと」→「@」に直してください)。
今回は、どこよりも早く、
エントリーシート&グループディスカッション体験です。
ゲストとして、なんと、
株式会社ジェイ・ブロード北海道支社長の前田健郎さんが来ちゃいます。
より詳しくは↓の画像をご覧ください。

→第1回「就活コンパス」の様子はこちら
学生団体コンパス
第2回開催のお知らせです。
「就活コンパス」Vol.2
日時:2007年7月26日(木)18:30-20:30
場所:北海道大学 文系共同講義棟 W408
(北区北10条西7丁目)
対象者:これから就職活動をはじめる人
服装:私服でOK
参加費:無料
主催:学生団体コンパス
参加申込み:compassあっとkodoken.comまでメールしてください
(※迷惑メール対策のため、「あっと」→「@」に直してください)。
今回は、どこよりも早く、
エントリーシート&グループディスカッション体験です。
ゲストとして、なんと、
株式会社ジェイ・ブロード北海道支社長の前田健郎さんが来ちゃいます。
より詳しくは↓の画像をご覧ください。

→第1回「就活コンパス」の様子はこちら
学生団体コンパス
2007.07.22 (Sun)
本気になってみて初めて、自分がそれまで本気じゃなかったことに気がつく。
そんなことはよくある。
サバイバル
(さいとう たかを)を読んで、
ちょっとだけ今までよりも本気で、「社会貢献」について考えた。
今ぼくらは、争いの無い日常を生きている。
自分が生まれてから今までにただの一度も、生存の危機というものはなかった。
銃で撃たれることを警戒しながら外を歩いたこともないし、
血眼になって食料の確保に勤しんだこともない。
それどころか、自分がこの世に生まれ落ちた瞬間から、
知らぬ間に「健康で文化的な必要最低限度の生活」が保障されていた。
人類の歴史を考えたとき、
ひょっとしたらこんなことは今までに一度もなかったんじゃないか。
自分が生まれるほんのちょっと前まで、世界中が戦争していた。
そしてそれ以前は常に、人の生活の傍らには「生存の不安」があった。
今を生きるぼくらにその不安がないのは、ただ運が良かったからではなく、
過去400万年分の人間の努力の結晶なわけだ。
400万年の苦労がようやく実って、ここ数十年の我々が平和で豊かに暮らせているわけだ。
ああ、良かったね。
そいつは良い時代に生まれたね。
ところで、400万年もかけてようやく実らせた果実を、
土を耕したわけでもない、水をやったわけでもない我々がただ貪り食ってたら、
流石にマズいよね・・・。
やるべきことがもう無いならまだ許されるかもしれないが、
やらなきゃいけないことはまだまだあるわけだし。
世界を見てみれば、今日にいたっても生存の危機と隣り合わせの人だって
まだまだいくらでも居る。
信じられないくらいたくさん居る。
もっと身近にも、助けが必要とされてること、
早急になくさなければならないもの、
次の世代まで維持しなければならないことetc.
いくらでもあるわけだ!
それを、
「楽しいことだけやって生きていたい」
「幸せに生きて幸せに死にたい」
「一度きりの人生、本当にやりたいことをやろう」
なんていうんじゃあ・・・。
400万年分のみなさん
「ええっ!?」
って感じか・・・。
「豊かさ故の義務」ってことが、少しだけ理解できたかも。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
そんなことはよくある。
サバイバル
ちょっとだけ今までよりも本気で、「社会貢献」について考えた。
今ぼくらは、争いの無い日常を生きている。
自分が生まれてから今までにただの一度も、生存の危機というものはなかった。
銃で撃たれることを警戒しながら外を歩いたこともないし、
血眼になって食料の確保に勤しんだこともない。
それどころか、自分がこの世に生まれ落ちた瞬間から、
知らぬ間に「健康で文化的な必要最低限度の生活」が保障されていた。
人類の歴史を考えたとき、
ひょっとしたらこんなことは今までに一度もなかったんじゃないか。
自分が生まれるほんのちょっと前まで、世界中が戦争していた。
そしてそれ以前は常に、人の生活の傍らには「生存の不安」があった。
今を生きるぼくらにその不安がないのは、ただ運が良かったからではなく、
過去400万年分の人間の努力の結晶なわけだ。
400万年の苦労がようやく実って、ここ数十年の我々が平和で豊かに暮らせているわけだ。
ああ、良かったね。
そいつは良い時代に生まれたね。
ところで、400万年もかけてようやく実らせた果実を、
土を耕したわけでもない、水をやったわけでもない我々がただ貪り食ってたら、
流石にマズいよね・・・。
やるべきことがもう無いならまだ許されるかもしれないが、
やらなきゃいけないことはまだまだあるわけだし。
世界を見てみれば、今日にいたっても生存の危機と隣り合わせの人だって
まだまだいくらでも居る。
信じられないくらいたくさん居る。
もっと身近にも、助けが必要とされてること、
早急になくさなければならないもの、
次の世代まで維持しなければならないことetc.
いくらでもあるわけだ!
それを、
「楽しいことだけやって生きていたい」
「幸せに生きて幸せに死にたい」
「一度きりの人生、本当にやりたいことをやろう」
なんていうんじゃあ・・・。
400万年分のみなさん
「ええっ!?」
って感じか・・・。
「豊かさ故の義務」ってことが、少しだけ理解できたかも。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.17 (Tue)
「発言の責任」なんてことは、
小さいうちから教えなくてもいいんじゃないかと思う。
「近頃の若いモンは言ったことに責任を持てない」なんて話を聞くこともあるけど、
どちらかというと、責任を恐れて「言わない」人の方が多い気がする。
例えば学校の授業で発表するときも、
「合ってるかどうかわかんないですけど・・・」
なんて前置きをわざわざ用意したりする。
「できない」って言葉がまるで安牌のようにポイポイとはき出される。
「できない」んじゃなくて、「頑張りたくない」だけでしょ?って思う。
だから、仕事を頼んだりしたときに、
「余裕です」
「任せてください」
とか言われると嬉しくなってしまう。
子どものうちは、どうせ責任なんてとれないんだから、
言うことくらいでっかくても良いんじゃないかな?
まあ大人になっても誇張広告なんてやってるところは論外ですが・・・。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
小さいうちから教えなくてもいいんじゃないかと思う。
「近頃の若いモンは言ったことに責任を持てない」なんて話を聞くこともあるけど、
どちらかというと、責任を恐れて「言わない」人の方が多い気がする。
例えば学校の授業で発表するときも、
「合ってるかどうかわかんないですけど・・・」
なんて前置きをわざわざ用意したりする。
「できない」って言葉がまるで安牌のようにポイポイとはき出される。
「できない」んじゃなくて、「頑張りたくない」だけでしょ?って思う。
だから、仕事を頼んだりしたときに、
「余裕です」
「任せてください」
とか言われると嬉しくなってしまう。
子どものうちは、どうせ責任なんてとれないんだから、
言うことくらいでっかくても良いんじゃないかな?
まあ大人になっても誇張広告なんてやってるところは論外ですが・・・。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.15 (Sun)
夏休み限定の短期パックの提供を開始しました。
→詳細はこちら
「やればできる」子はたくさんいるけど、
受験は、やれるかどうかの勝負に他ならない。
「勉強する時間がない」という言い訳のできない夏休み、
今のうちに、しっかり家庭学習の習慣付けをしておきたいものですね。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
→詳細はこちら
「やればできる」子はたくさんいるけど、
受験は、やれるかどうかの勝負に他ならない。
「勉強する時間がない」という言い訳のできない夏休み、
今のうちに、しっかり家庭学習の習慣付けをしておきたいものですね。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.14 (Sat)
第1回「就活コンパス」、無事終了。
これだけ早い時期にもかかわらず、
約20名もの意識の高い学生にお集まりいただいた。
当日の内容をちょっと紹介。
「あなたの性格は?」
・明るい
・負けず嫌い
・人見知り
・オタク etc.
みんなどんどん思いつくままに書いていく。
そして次の作業。
「今書いた自分の性格を証明するエピソードは?」
就職活動において、面接やエントリーシートなどで、
何度も何度もやらされるのが「自己PR」、いわゆる自己ピー。
就職活動に限らず、履歴書には「長所」の欄が大抵あるもの。
「明るい性格です。」
「根気強さがあります。」
と口で言うのは簡単だけど、
「本当に?」って聞き返されたら困ってしまう。
そんなときのために、「本当です。なぜなら~」って言えるための練習でした。
みんななかなか書けないだろうなぁと思っていたが、
流石は意識の高い学生達。
短い時間でどんどん書いていく。
その後グループ内で発表し合い、
グループで一番説得力のあるエピソードを決定して、全体の前で発表。
いやぁ、皆のエピソード笑った笑ったw
本州の企業様方、
北海道なめんなよ。
学生団体コンパス
これだけ早い時期にもかかわらず、
約20名もの意識の高い学生にお集まりいただいた。
当日の内容をちょっと紹介。
「あなたの性格は?」
・明るい
・負けず嫌い
・人見知り
・オタク etc.
みんなどんどん思いつくままに書いていく。
そして次の作業。
「今書いた自分の性格を証明するエピソードは?」
就職活動において、面接やエントリーシートなどで、
何度も何度もやらされるのが「自己PR」、いわゆる自己ピー。
就職活動に限らず、履歴書には「長所」の欄が大抵あるもの。
「明るい性格です。」
「根気強さがあります。」
と口で言うのは簡単だけど、
「本当に?」って聞き返されたら困ってしまう。
そんなときのために、「本当です。なぜなら~」って言えるための練習でした。
みんななかなか書けないだろうなぁと思っていたが、
流石は意識の高い学生達。
短い時間でどんどん書いていく。
その後グループ内で発表し合い、
グループで一番説得力のあるエピソードを決定して、全体の前で発表。
いやぁ、皆のエピソード笑った笑ったw
本州の企業様方、
北海道なめんなよ。
学生団体コンパス
2007.07.10 (Tue)
今年はこの早い時期から就活イベントを開催することになりました。
「就活コンパス」Vol.1
日時:2007年7月12日(木)18:30-20:30
場所:北海道大学 クラーク会館 大集会室
(北区北8条西8丁目)
対象者:これから就職活動をはじめる人
服装:私服でOK
参加費:無料
主催:学生団体コンパス
参加申込み:compassあっとkodoken.comまでメールしてください
(※迷惑メール対策のため、「あっと」→「@」に直してください)。
より詳しくは↓の画像をご覧ください。

今後少しずつ、各所で就活セミナーが増えてくると思いますが、
どこのセミナーも内定を獲得するためのノウハウばかりにとらわれていて
肝心なその先の、社会人として働くということに目がいっていないものばかりだというのが
私の印象です。
そこで我々のイベントでは、
まだ本格的に選考がスタートする前の余裕があるこの時期に、
社会について、仕事について、そして自分について、
ちゃんと知っておこうということをひとつのねらいとしています。
アットホームなイベントなので、お気軽にお越しください。
→昨年度の「就活ごっこ」の様子はこちら
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
「就活コンパス」Vol.1
日時:2007年7月12日(木)18:30-20:30
場所:北海道大学 クラーク会館 大集会室
(北区北8条西8丁目)
対象者:これから就職活動をはじめる人
服装:私服でOK
参加費:無料
主催:学生団体コンパス
参加申込み:compassあっとkodoken.comまでメールしてください
(※迷惑メール対策のため、「あっと」→「@」に直してください)。
より詳しくは↓の画像をご覧ください。

今後少しずつ、各所で就活セミナーが増えてくると思いますが、
どこのセミナーも内定を獲得するためのノウハウばかりにとらわれていて
肝心なその先の、社会人として働くということに目がいっていないものばかりだというのが
私の印象です。
そこで我々のイベントでは、
まだ本格的に選考がスタートする前の余裕があるこの時期に、
社会について、仕事について、そして自分について、
ちゃんと知っておこうということをひとつのねらいとしています。
アットホームなイベントなので、お気軽にお越しください。
→昨年度の「就活ごっこ」の様子はこちら
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.10 (Tue)
mixiをされている方向けの内容です。
試験的にmixi日記をこちらの外部ブログに設定してみました。
んー、しかし今までのmixi日記は全て見れなくなるんですね
(消えてはいないようですが)。
そして実は「【mixi】外部ブログとミクシィ日記を両方使う」という
便利そうな方法を見つけていたので期待していたのですが、
いざやってみたところ・・・
「外部ブログが設定されているため、mixiで日記を作成する事はできません。」
mixiに先手を打たれていたか・・・。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
試験的にmixi日記をこちらの外部ブログに設定してみました。
んー、しかし今までのmixi日記は全て見れなくなるんですね
(消えてはいないようですが)。
そして実は「【mixi】外部ブログとミクシィ日記を両方使う」という
便利そうな方法を見つけていたので期待していたのですが、
いざやってみたところ・・・
「外部ブログが設定されているため、mixiで日記を作成する事はできません。」
mixiに先手を打たれていたか・・・。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.05 (Thu)
内田樹氏のエントリー「若者はなぜうまく働けないのか?」より引用。
>労働を経済合理性の枠内でとらえると、労働者は自分の労働の成果に対して、「等価の」報酬が、「遅滞なく」、「固有名宛て」に給付されることを望む。
>学生たちが知っている「work」の経験はさしあたり受験勉強と就活だけであるが、それはまさに、努力に対する報酬(成績や合否採否)が(成績発表、内定通知の日に)「遅滞なく」、努力にふさわしい評価として、固有名宛てに届けられるシステムである。
>労働は本質的に集団の営みであり、努力の成果が正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない。
>報酬はつねに集団によって共有される。
>個人的努力にたいして個人的報酬は戻されないというのが労働するということである。
>個人的努力は集団を構成するほかの人々が利益を得るというかたちで報われる。
>だから、労働集団をともにするひとの笑顔を見て「わがことのように喜ぶ」というマインドセットができない人間には労働ができない。
>これは子どものころから家庭内で労働することになじんできている人には別にむずかしいことではない。
>みんなで働き、その成果はみんなでシェアする。働きのないメンバーでも、集団に属している限りはきちんとケアしてもらえる。
>働くというのは「そういうこと」である。
>だが、社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就活しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。
>若い人たちは「やりがい」ということをよく口にする。
>「やりがいのある仕事」を求めて、たびたび転職したりする。
>この場合の「やりがい」ということばを年長者は「使命感」とか「社会貢献」ということと誤解しがちだが、当人たちはたいていの場合「受験勉強と同じ」という意味で使っている。
>つまり、自分の努力の成果が、まちがいなく自分宛に、適切な評価を受けてもどってくるような仕事のことである。
>残念ながら、ほとんどの仕事はそういうふうには構造化されていない。
>だから、彼らが最後にゆきつく「やりがいのある仕事」はミュージシャンとかアーティストとか作家とかいう「個人営業のクリエーター」系に固まってしまうのである。
なるほど。
つまり、受験にしても就職活動にしても、
基本的に自分のために頑張るのだ。
自分が合格したいから、自分が内定をもらいたいから頑張るのであって、
自分が頑張ったことによって他人が合格するのでは、喜べるわけがない。
高校のときの先生が、
「学校の勉強ほど努力が報われるものなんて社会に出たらないぞ」
と言っていたのを思い出した。
もっとも、学生としての活動の中に、
個人的努力の成果を集団で共有するような体験がないわけではない。
例えば、クラスでの文化祭への取り組みであり、
例えば、部活動でのチーム競技である。
そこで、考えてみた。
文化祭で、自分のクラスが表彰されたらうれしいか?
部活動で、自分のチームが優勝したらうれしいか?
うれしい。
なぜか?
それは、自集団への帰属意識があるからにほかならない。
要するに、「自分はこのチームの一員だ」という強い意識である。
そう考えると、
入社したばかりの新人である若者が仕事にやりがいを見出せないのも、
自分がその会社の一員であるという意識を持ちにくいためではないかと
考えることもできる。
ただ、その帰属意識というのも、
普通、帰属意識があるから頑張るのではなくて、
一丸となって頑張った結果として帰属意識が芽生えるんじゃないかと思う。
学校のクラスの場合を考えてみても、
文化祭への取り組みを通じてクラスの絆が深まることはよくある。
だから、クラスで、部活動で、集団への帰属意識を持つことで
集団の利益を喜ぶ体験をしてきた人は
仕事へのやりがいを見出しやすいのではないか。
反対に、「ケッ、やんてらんねーよ」スタンスで、
集団の利益を味わう体験をしてこなかった人は、
社会に出ても「ケッ、やってらんねーよ」なのではないか。
受験競争が過熱しすぎて、
合唱コンクール、球技大会などの行事が削減されたり、
毎日塾通いで、部活動をする時間もないような子が増えることは
このような面からいっても危惧されるべきだ。
参考
若者はなぜうまく働けないのか?(内田樹の研究室)
そろそろ内田樹についてひとこと言っておくか(猫型蓄音機)
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
>労働を経済合理性の枠内でとらえると、労働者は自分の労働の成果に対して、「等価の」報酬が、「遅滞なく」、「固有名宛て」に給付されることを望む。
>学生たちが知っている「work」の経験はさしあたり受験勉強と就活だけであるが、それはまさに、努力に対する報酬(成績や合否採否)が(成績発表、内定通知の日に)「遅滞なく」、努力にふさわしい評価として、固有名宛てに届けられるシステムである。
>労働は本質的に集団の営みであり、努力の成果が正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない。
>報酬はつねに集団によって共有される。
>個人的努力にたいして個人的報酬は戻されないというのが労働するということである。
>個人的努力は集団を構成するほかの人々が利益を得るというかたちで報われる。
>だから、労働集団をともにするひとの笑顔を見て「わがことのように喜ぶ」というマインドセットができない人間には労働ができない。
>これは子どものころから家庭内で労働することになじんできている人には別にむずかしいことではない。
>みんなで働き、その成果はみんなでシェアする。働きのないメンバーでも、集団に属している限りはきちんとケアしてもらえる。
>働くというのは「そういうこと」である。
>だが、社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就活しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。
>若い人たちは「やりがい」ということをよく口にする。
>「やりがいのある仕事」を求めて、たびたび転職したりする。
>この場合の「やりがい」ということばを年長者は「使命感」とか「社会貢献」ということと誤解しがちだが、当人たちはたいていの場合「受験勉強と同じ」という意味で使っている。
>つまり、自分の努力の成果が、まちがいなく自分宛に、適切な評価を受けてもどってくるような仕事のことである。
>残念ながら、ほとんどの仕事はそういうふうには構造化されていない。
>だから、彼らが最後にゆきつく「やりがいのある仕事」はミュージシャンとかアーティストとか作家とかいう「個人営業のクリエーター」系に固まってしまうのである。
なるほど。
つまり、受験にしても就職活動にしても、
基本的に自分のために頑張るのだ。
自分が合格したいから、自分が内定をもらいたいから頑張るのであって、
自分が頑張ったことによって他人が合格するのでは、喜べるわけがない。
高校のときの先生が、
「学校の勉強ほど努力が報われるものなんて社会に出たらないぞ」
と言っていたのを思い出した。
もっとも、学生としての活動の中に、
個人的努力の成果を集団で共有するような体験がないわけではない。
例えば、クラスでの文化祭への取り組みであり、
例えば、部活動でのチーム競技である。
そこで、考えてみた。
文化祭で、自分のクラスが表彰されたらうれしいか?
部活動で、自分のチームが優勝したらうれしいか?
うれしい。
なぜか?
それは、自集団への帰属意識があるからにほかならない。
要するに、「自分はこのチームの一員だ」という強い意識である。
そう考えると、
入社したばかりの新人である若者が仕事にやりがいを見出せないのも、
自分がその会社の一員であるという意識を持ちにくいためではないかと
考えることもできる。
ただ、その帰属意識というのも、
普通、帰属意識があるから頑張るのではなくて、
一丸となって頑張った結果として帰属意識が芽生えるんじゃないかと思う。
学校のクラスの場合を考えてみても、
文化祭への取り組みを通じてクラスの絆が深まることはよくある。
だから、クラスで、部活動で、集団への帰属意識を持つことで
集団の利益を喜ぶ体験をしてきた人は
仕事へのやりがいを見出しやすいのではないか。
反対に、「ケッ、やんてらんねーよ」スタンスで、
集団の利益を味わう体験をしてこなかった人は、
社会に出ても「ケッ、やってらんねーよ」なのではないか。
受験競争が過熱しすぎて、
合唱コンクール、球技大会などの行事が削減されたり、
毎日塾通いで、部活動をする時間もないような子が増えることは
このような面からいっても危惧されるべきだ。
参考
若者はなぜうまく働けないのか?(内田樹の研究室)
そろそろ内田樹についてひとこと言っておくか(猫型蓄音機)
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2007.07.03 (Tue)
昨日は英語教室を経営されている方とお話をさせていただいた。
小学生に入る前の児童英語から中学生の英語まで教えられている方であるが、
最近の子どもの傾向として、問題にしておられたのが、
「主体性」のなさ。
あれをやって、これをやってと言われたことはきちんとやるが、
「なんのためにそれをやるのか」ということを考えない。
それ故、言われたことしかやらない。
小学校に入学するまでは、なんでも興味を持って自分から行動していた子でも、
小学校に入った途端に指示を待つ姿勢に変わる子が多く、
学校では、それが「良い子」と評価されるのだろうということを
大変危惧しておられた。
そういった話を聞ききながら、
大学生であっても状況は全く変わっていないなーと考えていた。
講義の内容をきちんと聞いて、
テストなりレポートなりにそれを反映させれば「優」(あるいは「秀」)。
それで定められた単位数を取得すれば卒業。
そういう評価制度は高校までとなんら変わりないし、
そうでなければ、
「講義を聞いていても単位が取れないなんておかしい」と
学生(またその親)から苦情が出るところだ。
もちろん、大学なんて自分で勉強するところだから、
成績の評価なんてものはミニマムの仕組みでいいと思う。
だから今の大学の制度でも別にそれはそれでいいと思う。
大学生になっても学校に何から何まで面倒見てもらおうなんてほうがお門違いである。
問題は、学生自身がそのことに気付けているかどうか。
与えられるものを最低限のレベルとして、
プラスアルファを自分で見出して動くことができるか。
もちろん、企業もそこを見ている。
いくら売り手市場といっても、その他大勢の学生は別に欲していない。
プラスアルファを持っているか。
自分で考え、自分から動くことができるか。
それが考動力。
というまとめ。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
小学生に入る前の児童英語から中学生の英語まで教えられている方であるが、
最近の子どもの傾向として、問題にしておられたのが、
「主体性」のなさ。
あれをやって、これをやってと言われたことはきちんとやるが、
「なんのためにそれをやるのか」ということを考えない。
それ故、言われたことしかやらない。
小学校に入学するまでは、なんでも興味を持って自分から行動していた子でも、
小学校に入った途端に指示を待つ姿勢に変わる子が多く、
学校では、それが「良い子」と評価されるのだろうということを
大変危惧しておられた。
そういった話を聞ききながら、
大学生であっても状況は全く変わっていないなーと考えていた。
講義の内容をきちんと聞いて、
テストなりレポートなりにそれを反映させれば「優」(あるいは「秀」)。
それで定められた単位数を取得すれば卒業。
そういう評価制度は高校までとなんら変わりないし、
そうでなければ、
「講義を聞いていても単位が取れないなんておかしい」と
学生(またその親)から苦情が出るところだ。
もちろん、大学なんて自分で勉強するところだから、
成績の評価なんてものはミニマムの仕組みでいいと思う。
だから今の大学の制度でも別にそれはそれでいいと思う。
大学生になっても学校に何から何まで面倒見てもらおうなんてほうがお門違いである。
問題は、学生自身がそのことに気付けているかどうか。
与えられるものを最低限のレベルとして、
プラスアルファを自分で見出して動くことができるか。
もちろん、企業もそこを見ている。
いくら売り手市場といっても、その他大勢の学生は別に欲していない。
プラスアルファを持っているか。
自分で考え、自分から動くことができるか。
それが考動力。
というまとめ。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」