うまくいかなかったときに、それまでの疲労がドッとまとまってやってくる気がするな。
しっかし、「落ち込む」という行為ほど非生産的な行為もないと思う。
プロは行動で感情を支配すると聞きました。
まだまだプロフェッショナルへの道のりは遠いですね。
さて明日(もう今日だ)は楽しい就活コンパスVol.7。
いざ楽しもうぞ。
そして今回の御題は「傘」。ずっとやってみたかったお題です。傘ってあまり進化していないですよね。
↑を読んで感動!!
私自身も、傘についてはずっと思ってたところがあったのであります!
これだけ文明が発達している世の中にあって、あの傘のだらしなさは何だ!と。
ちょっと風がふく度にバキバキ折れて、
あるいは雨が止んだがために出先に忘れて、
あるいは傘立てに立てといたばかりに盗難に遭い、
とまぁなんやかんやあるために使い捨てがデフォルトになってしまってる。
しかし、使い捨てるにしては、あの資源の無駄さは地球的にどうなの?と。
そんなわけであの傘に関してはずっと何とかならんもんかと思っていたわけですが、
思えばその解決を自分で考えてみたのは今回が初でした。
そんなワタクシの回答。
その傘は雨の日にみんなが感じている(A:傘に関する諸々の不備さ)という問題を、
まさか傘と連動するなんて!という驚きの
(B:自転車の錠)なるアイテムと組み合わせることにより、
(C:自転車と一体化し、U字ロックとして機能する)という方法で解決していた。
その傘の名前は(D:カサイクル)。

いつにもましてイカした図解になったぜ。
盗まれたくないもので、外に出るときにのみ使うもの・・・と考えたとき、
自転車だ!!と思ったわけです。
このカサイクルは、自転車の胴体に沿うように傘を装着できて、
しかもその傘を装着した状態でクルっと回転させることで、
その傘の柄の部分がU字ロックのように機能し、自転車の盗難も防止する。
これにより、自転車と傘にまつわる諸々の問題を見事に解決してみせた!
・出かけようとして外に出てみたら雨が降っていた。
⇒自転車にセッティングされているので、傘を取りに戻る必要なし!
・外にいるときに急に雨が降ってきた。
⇒常に自転車に装着されていればいつでも使用可能!
・雨が降ってないときに傘を持ったまま自転車に乗るのはわずらわしい。
走行中の車輪に傘を挟んでしまったら大変!!
⇒胴体部分に沿うように装着できて、わずらわしさゼロ!
・建物に入るときに傘を持ち歩くのがじゃまくさい。
かといって傘立てにおいておくのは心配だし・・・。
⇒駐輪場所にセットで置いておけるし、盗まれる心配もない!
自転車のロックになるくらいだから、柄のところを金属にしなくちゃいけないし、
重くなるんじゃないの??と思われる方もいるかもしれないが、
傘なんてもっと重くていいと思うのです。
軽ければ軽いほど風のあおりを受けやすくなって
どうせ体感的には重くなってしまうのだから、
どうせなら初めから重いかわりに丈夫で壊れない傘のほうが嬉しいでしょ。
Sol・Be(ソルびー)

東急ハンズで\367(税込)で購入。
なんとこいつは、電気を使わない手動ひげそり。
カバンの奥に忍ばせておけば、「あ、今日ひげそるの忘れた!」ってときも無問題。
就活生必携じゃね?

見よ!この洗練されたフォルム。
(左は大きさ比較のための綿棒)
でも、剃り味びみょー。
剃り味びみょー。
なかなか厳しい志望校の受験を控えていながら、
どうにも危機感が足りない生徒になんとか危機感を持たせようと
毎回躍起になってる。
「ホントに○○校行く気あんの?」
「やる気ねーならあきらめなよ」
普段なら絶対言いたくないようなネガティブワードを連発してる。
決して不真面目な生徒ではないから、
反発するわけでもなく、真摯に受け止めた様子を見せる。
それでその後は緊張感をもって授業することができているけど、
重い空気の中黙々と勉強させるのは、本当は好きじゃない。
特に、陽気で楽しいことが好きな生徒だと知っているから、なおのことつらい。
「でも、これも生徒のためを思えばだ」なんて自分を正当化しつつ、
「ホントにそんな方法でしかできねぇのかよヘタクソ」と
心の底では自分のことを責めたくなる。
今回は授業時間の30分を使って、先1週間の学習計画を詳細に考えさせた。
できあがったのは、ちょっと気合いの入った計画。
この1週間これを頑張ってこなせたら、もうアホみたいに褒めてやろう。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
ビジネスデザイン論(通称「ビジ論」)という授業がある。
学生にプロジェクトチームを組ませ、実際の企業からの依頼を受けて、
経営上の問題への解決を考え、提案し、実行するというもの。
樽商の学生だけでなく、他大の学生も参加している。
先日、このビジ論の中間報告会に参加させていただいた。
いやぁ、意識の高い学生がわんさかいておどろいた。
こちらから特に働きかけをしたわけでもないのに、
座っていたところに名刺交換をしに来た学生が何人もいた。
その当日のうちにお礼のメールをくれた人までいた。
もちろん経営コンサルのようなことは初めて体験する学生ばかりで、
発表の内容が完璧というわけでは決してないわけだが、
それを許さない会場の雰囲気がまたすごかった!
特にOB・OGの人たちからの意見はなかなか厳しい・・・。
そのまま懇親会までお邪魔させていただいたのだけど、
頑張った人っていうのは、いい顔をしてお酒を飲むものだなぁと
あらためて思った。
懇親会ではビジ論の代表の方の隣に座らせていただいたが、
「お酒弱いんですよ」と言いつつ、いいペースで美味そうにビールを飲み、
予告通り、後半はずっと爆睡してた(笑)
このビジネスデザイン論も、酒井准教授が今年でご退官ということで、
今年で最後になるだろうとのこと。
大学でこれだけ学生を成長させる授業もなかなか無いと思うから、
とてももったいない気がしてしまうけれど。
参考
大学編 変わる授業<47> 企業戦略 学生が指南 (2004年11月8日)~
大学編 変わる授業<54>「与えられない」学問 (2004年11月17日)(YOMIURI ONLINE)
今回は投票フォームを考えます。
気合入れていきます。

それでは回答。
その投票フォームは、投票フォームにありがちな
A:タモさんの気分を味わえない
という問題を、
B:ボキャ天風に投票できるようにすることによって解決していた。
その投票フォームの名前は、
「誰もが誰かのタモリさん」

ボキャブラ天国、懐かしいですね。
この投票フォームは、単にどれかに1票を投じるだけではなくて、
好きな数だけ作品を評価できる。
しかも、「良い」「悪い」といった二元論ではなくて、
あの初期ボキャ天の画期的な評価システムを用いて評価できるわけだ。

操作はドラッグ&ドロップのみ。
「これはバカパクの・・・8,8くらいいくんじゃないか」
などとぶつぶつつぶやきながらお楽しみ下さい。
川柳に自信のある方は↓こちらもどうぞ(15日までですが)
今日もガンバレ!足クサ男
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
というセリフが出てくる。
作品のなかでは結構重要な役割のある言葉だが、
高校生のときに国語の教科書でこれを読んだときは、
「向上心」という言葉が、いまいちピンとこなかった。
当然それまでにも、学校の月間目標だとかその他いろいろの機会に
この「向上心」という言葉を幾度となく目にしていたはずだし、
辞書的意味はもちろん理解できていたわけだが、
この作品を読んだときに「そんなに重要な言葉か?」という感想をもった覚えがある。
それをふと思い出して、なぜだったのかと考えてみた。
答えはきっと、当時は何も考えなくても向上していってたからだろう。
幼稚園→小学生→中学生→高校生と育つにつれて、
目に見えて身体的に発達するだけでなく、
経済的・社会的な制約も段階的に少なくなっていき、
やれることは無条件で増えていった。
「向上心」なんて言葉を持ち出すまでもなく、僕らは向上をいくらでも実感できた。
ところが、20代になり、身体的発達も止まり、社会的に禁止されることもなくなり、
受動的な学習の機会も一通り卒業してしまうと、
途端にその後の生き方について丸投げされてしまったような感覚に陥る。
知的な向上を得るためには、自分でテーマを決めて勉強しなくちゃならない。
身体的な向上を得るためには、スポーツなりビリーなりをやらなくちゃならない。
社会的な向上を得るためには、コンクリートジャングルで戦わなくちゃならない。
経済的な向上を得るためには、給料の高い仕事なり役職なりを求めなくちゃならない。
こういった「向上しよう」という気持ちを指して、「向上心」と呼ぶのだ。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
今ならずしんと胸にひびくぞ。
新年をむかえ、今年はあれをやりたい!これをやりたい!っていうことはたくさん思いつくが、
「今年やらないことは?」って考えると、かなり悩んでしまった。
あれもやりたいし、これもやりたいし。
だから計画倒れになるものが多いのか自分・・・。
1.今年は何の戦略、プロジェクト、活動をやらないことにしますか?
(What strategies, initiatives and activities will you say no to?)
2.今年はどんな数値に注意しないことにしますか?
(What measurements will you not pay attention to?)
3.今年はどんな顧客を相手にしないことにしますか?
(What customers will you not target?)
4.今年は誰とつきあわないことにしますか?
(What people will you not keep?)
5.今年は誰と競争しないことにしますか?
(What competitors will you not follow?)
6.今年はウェブから何を削除しますか?
(What will you remove from your web site?)
7.今年は何にお金を使わないようにしますか?
(What money will you not spend?)
8.今年はどのミーティングに行かないようにしますか?
(What meetings will you decline?)
9.今年はどの旅行に行かないようにしますか?
(What trips will you not make?)
10.今年はどんなスライドを作らないようにしますか?
(What slides will you not create?)
11.今年は何を言わないようにしますか?
(What will you not say?)
12.今年はどんなことを考えないようにしますか?
(What thoughts will you not entertain?)
やー、しっかり取捨選択しておかないとダメだなー。
受験勉強においても「やらないこと」を決めてしまうのは有効な戦略である。
私自身が大学受験の勉強をしていたときには、
例えば国語であれば、「漢字」と「文学史」は勉強しないことにしていた。
漢字は昔からかなり苦手であったが、それを克服するための労力が大きいわりに、
入試問題ではたいした点数にならないので、バッサリ切り捨ててしまった。
そのため入試本番でも書けない漢字があったが、
その分の勉強時間を他の分野に割り当てられたので、結果成功だったと思っている
(そのかわり今になって漢字で苦労しているが・・・)。
文学史についても、自分は日本史も選択していなかったし、
本番で文学史の問題が出るかどうかもわからなかったので、
初めから一切勉強しないことにした。
これも結果的には成功であった。
勉強が苦手な人に限って、全分野で均等に点数を取ろうとしてパンクしてしまうことが多い。
ちょっと本題から逸れてしまうが、
性格的に几帳面すぎることが、勉強をする上で仇となっている子どもは少なくない。
授業のノートをとるときも、いちいちペンの色を変えて、定規を使って、
間違えたら修正ペン使って・・・ってやってるうちに先生の話が先にすすんでたりする。
定期テストのときに一緒にノート提出なんて課されたときには、
ノートを作りこむのに一生懸命になって、全然勉強ができてなかったりする。
「やらないこと」を決めて、サクっと物事をこなせる能力っていうのは、
言い換えれば「優先順位を見極められる」っていうことか。
これは大人になってからも非常に重要な能力ですね。
「何かを得るためには、何かを捨てなきゃいけないんだ」
なんて、ちょっと大人の階段をのぼっている気がするぜ・・・。
参考
まず、今年やらないことを決める(シゴタノ!)
「しないことリスト」で考えてほしいこと(My Life Between Silicon Valley and Japan)
ところが「曲がり角に立つブックオフ」で紹介されてたデータ資料を見ると、
ブックオフも業績に陰りが見え始め、これまでのスタイルの見直しを迫られているご様子。
そこで、いちユーザーとして、日ごろブックオフに対して感じていた不満を述べてみる。
きっと自分以外にも同じことを感じていた人がいるはずだ。きっと。
◆棚検索(在庫検索)ができない
一般の書店には棚検索のコンピュータがもうだいぶ普及しているが、
古本屋でこれを導入するのはやはり難しいんだろうか。
これがあればブックオフ利用がどれだけ快適になるか、はかり知れない。
◆ジャンルの分類がめちゃくちゃ
本のカテゴライズが全くもっていいかげん。
同じ本が別々の棚に置かれてたりするし。
コンピュータ検索もできない、そのくせジャンルもめちゃくちゃ。
だから、目当ての本が全然探せない。
ちゃんと整理されてて探しやすいのはコミックくらいだ。
なので今の状態では、たまたま目についた本を買いあさる分には良いが、
もとから目当ての本があって、ブックオフに置いていないか見てみるという利用には
大変不便なのである。
◆CDの販売戦略がない(わからない)
先述の資料に、「本に強く、ソフトに弱いBOOKOFF」ということが書いてあった。
確かに、なぜかあまりブックオフでCDを買う気になれない。
理由を考えてみると、まず最初に思いつくのが、探すのが面倒だということ。
アーティストの50音順で並んでいるので本よりはずっと探しやすいが、
メインの棚のほかに、「250円~750円」の棚があり、
あと105円の棚もあったかな?ともかく、
ひとつのCDを探すのに2つか3つの棚を見てまわらないといけないのが不便なのだ。
そして、全く知らないCDについては購買をそそるような工夫がまったくない。
いくつかピックアップして試聴できるようになっていたり、
あるCDについて、似たアーティストのCDが紹介されていたり、
ロックフェスの前に出演アーティストのCDをまとめて並べたり、
いくらかやりようはある気がするのだが
(もしかしたら店舗によっては導入されているのかも)。
◆買取価格が悪すぎ!
これは本当にいち消費者としての感想なので、
経営上のことを考えると仕方ないものなのかもしれないが、
本の買取価格がビックリするほど低い。
こんなに低くしないととても利益にならないものなのだろうか。
そのあたりはよくわからないが、
ただ、「ブックオフは買取が安い」という認識はある程度広まっていて、
そのせいで、いらない本を売らずに友達にあげたり、
あるいはamazonのマーケットプレイスやオークションに出したりしている人も
少なからずいるのではないかとは思う。
ざっと思いつくのはこんなところです。
でも基本的にブックオフはいつも愛用させていただいております。
参考
曲がり角に立つブックオフ(本屋のほんね)
何回かコメントさせていただこうと試みているのだけど
なんかCGIが機能してねえ的なことを言われていつもできないので、
トラックバックはできるかな?というテスト。
悪魔の証明について。
指摘されているとおり、実際にたぶん普段我々は、
直感的にはまさにこの方法によって物事を判断していることのほうが多いはずなのに、
それでは証明にならないという指摘を受けて、
なんか判断が間違っていた気になってしまう。
でも理不尽な「悪魔の証明」の困難さを受け入れるより、
事例の有無から確率的に判断することのほうが
ずっとサックリいってるんだよなぁ。
厳密な話にはならないにしても。
ただ、このタイミングでこの話をもってきたのは
もしかすると南京事件についての含みがあるんでしょうか・・・。
学生時代にいくつかの会社のもとで家庭教師をやってた中で遭遇した、
いくつかの「教師用マニュアル」について検討してみる。
◆初回は約束の15分前に行くべし
→初回指導日はご家族への挨拶などをするために、
約束の時間の15分前にはご家庭へ行きなさい
いや、これは普通に迷惑でしょ(笑)
もっと根本的なことを言えば、15分前に行って仕事しろというなら、
教師のその15分間分の給料も保証すべきでしょー。
◆初回だけでもスーツで行くべし
→最初くらいはきちっとした格好で行きなさい
個人的には、スーツの使い方にはもっと慎重になるべきだと考える。
生徒の学年にもよるが、基本的にスーツは、良くも悪くも「大人」という印象を与える。
ちょっと生徒との関係が友達同士みたいに「なあなあ」になってきたなーというときに
あらためて緊張感を作るときなんかには役立つ。
逆に、なかなかうちとけにくい生徒の場合には、
「大人だ」という認識が、壁につながってしまったりする。
そういう意味で、早く生徒とうちとけたい初回指導時にスーツを着ていくのは
あまり理にかなったことではないかなと思う。
◆「家庭教師の~」と言うべからず
→玄関で「家庭教師の○○です」と名乗るな
家庭教師をつけていることを近所に知られたくない家もある
これ・・・。
ちょっと極端じゃないっすかね。
まず、初めて行ったときなんて「○○です」と名前だけ名乗ったって
なかなか認識されてなかったりするからなぁ。
要するに結論としては前回と同じなんですが、
いろんなケースがあるから、マニュアルで決められることには限界がある。
マニュアルで判断できない事態に遭遇したときは
結局何が一番そのお客さんのためになるだろうかというのを軸にして判断するしかない。
ということだね。
関連エントリー:
コンビニのアルバイトから学んだこと
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
多くの人が一度はやってみたいと思う「教師」という仕事。
それを手っ取り早く体験することができて、
ご家庭からも派遣センターからも先生、先生ともてはやされ、
生徒には「学校の先生よりわかりやすい」なんて言ってもらえるんだからいい仕事だ。
それゆえか、この仕事をしていると、
自称「スーパー家庭教師」に数多く出会う機会がある。
自分のおかげで生徒の点数が何十点も上がった、
なんたら校に何人も合格させた、
自分が受けもった子で成績が上がらなかった子はいない etc.
それはそれで素晴らしいことだと思うが、
家庭教師という仕事をよくわかってないのかなぁと思ってしまう。
ご家庭が家庭教師に求めていることは何だろう。
ある派遣会社の元で働いていた頃、そこの社員と軽くもめたことがある。
口論の経緯は省くが、その社員は
「だってご家庭が望んでいるのは、テストの点数が上がることですよ?」
と言い切った。
それを聞いて、これ以上話しても無駄だと思って(悪いクセだが)、
「ではそのように努めさせていただきます」と言って話を切り上げたが、
今考えても、やはり納得がいかない。
親は、子どもの次のテストの点数を何十点か上げるためだけに
家庭教師に高いお金を払うのだろうか。
中にはそういう方もいらっしゃることは確かだが、
私はそれは賢いお金の使い方だとは思わない。
同様のことなら、クラスの勉強のできる友だちに頼めば無償でしてくれるだろう。
家庭教師の本質は、
いかに子どもの学習的自立をサポートするかにこそある
と、私は(そして我々は)考える。
子どもに家庭教師をつけたら点数が上がった。
ところが、家庭教師をやめたらまた点数が下がった。
これではこう思われることだろう。
「あー、高校卒業まで、教育費にいくらかかるんだろう」と。
指導のゴールは、子どもが家庭教師を必要としなくなることであるべきだ。
テストの点数が上がる、成績が上がるというのはその過程でしかなく、
必要条件でこそあれ、十分条件にはなりえない。
親としては、子どもの成績が上がること自体も当然うれしいだろう。
でも、親が本当にうれしいのは、
「なんだか勉強がちょっと楽しくなってきた」
とか子どもが言い出した瞬間なんじゃないだろうか。
いろんな考え方があるだろうが、2008年も我々はこのスタンスでいきたい。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
Fake it until you make it!
(できるまで、できるふりをしていなさい。)
『人生のプロジェクト』より。
人は誰だって、自信のないことを人前で見せるのは恥ずかしい。
だけども恥ずかしがっていては前へ進めない。
わかりやすい例が英会話。
「間違って変なことしゃべっちゃったら恥ずかしい・・・。」
「伝わらなかったら気まずい・・・。」
と思って、ついつい僕らシャイボーイは、
「家で完璧に習得してからまた来よう」なんて思ってしまう。
そしてその間に、ブロークンイングリッシュでも気にせず
ンーフン、アーハン、パードゥン?なんてプロっぽくふるまいつつ、
積極的に会話をしている人に、どんどん差をつけられてしまう。
そこでこれ。
Fake it until you make it!
批判を恐れずトライする人間になりたいもんだ。
2008年、考動力研究会は、
より多くの皆様の支持を受け、益々の発展をとげるべく、
どこよりもまじめなサービスをさらに追求していきます。
このブログも、もっと更新頻度を上げて
私赤坂の考えをより多く発信できるように頑張ります。
本年もよろしくお願い申しあげます。
2008年 元日
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」