2008.02.02 (Sat)
忙しいことは決してかっこいいことじゃないなと、
最近思うようになってたが、今日改めてそう思った。
よく言われる、「忙」は「心」を「亡」くすことだというたとえがあるけど、
本当にその通りだと思う。
分刻みのスケジュールで生活してるような多忙な人でも、
自分をしっかりもった生活をしてる人は、あんまり自分で「忙しい」とか言わない気がする。
「ああ忙しい忙しい」って言ってる人は、
だいたい予定にふりまわされて、行動の意義を忘れてるような人だ。
実際、「忙しい」アピールって、言ってる当人が思ってる以上に
聞いてる人にとっちゃどうでもいいことだ。
そう考えるようになってから、自分でも「忙しい」とは決して口にせず、
逆に「ヒマだヒマだ」と言うようにしているが、
今のところ、これがすこぶる調子がいい。
自分のように単純な人間は、自分で口にした言葉がそのまま自分の意識を左右したりする。
「忙しい」って言うほど余計に心に余裕がなくなり、
「ヒマだ」って言うことで本当に心に余裕が生まれるものだってことがわかった。
さらにこれが対人的にもなかなか良い効果がある。
「ヒマだ」って言うと、「何にもしてないダメなヤツ」と思われそうな気がしてしまうものだが、
人は、絶対に「忙しい」って言われるよりは「ヒマだ」って言われるほうが気分が良い。
「忙しい」って言う言葉には、機会を損失する効果、相手を突き放す効果しかない。
例えば、旧友にばったり再会したときのことを考えてみると、
旧友「久しぶり!最近どうなの?」
自分「忙しいよ」
旧友「そっか、頑張ってなぁ。」
となる。
これが、「ヒマだ」だとどうなるか。
旧友「久しぶり!最近どうなの?」
自分「ヒマだよ」
旧友「ほんと?じゃあ飲みに行くか!」
となるわけだ。
こういう機会を失いたくないなら、「忙しい」という言葉を使うべきではないな、
というのが現時点での結論。
そんなわけで、今日は「ヒマ」な旧友と飲みに行ってきた。
「おー、よく来たな」 「ヒマだったからね」
「明日は何かあるの?」 「なーんもないよ」
こういった反応がいちいち心地良い。
よくドラマやコントなんかで、お偉い人が口にしてる
「私はね、忙しいんだよ!」
っていうセリフが最低の部類に属する。
最近思うようになってたが、今日改めてそう思った。
よく言われる、「忙」は「心」を「亡」くすことだというたとえがあるけど、
本当にその通りだと思う。
分刻みのスケジュールで生活してるような多忙な人でも、
自分をしっかりもった生活をしてる人は、あんまり自分で「忙しい」とか言わない気がする。
「ああ忙しい忙しい」って言ってる人は、
だいたい予定にふりまわされて、行動の意義を忘れてるような人だ。
実際、「忙しい」アピールって、言ってる当人が思ってる以上に
聞いてる人にとっちゃどうでもいいことだ。
そう考えるようになってから、自分でも「忙しい」とは決して口にせず、
逆に「ヒマだヒマだ」と言うようにしているが、
今のところ、これがすこぶる調子がいい。
自分のように単純な人間は、自分で口にした言葉がそのまま自分の意識を左右したりする。
「忙しい」って言うほど余計に心に余裕がなくなり、
「ヒマだ」って言うことで本当に心に余裕が生まれるものだってことがわかった。
さらにこれが対人的にもなかなか良い効果がある。
「ヒマだ」って言うと、「何にもしてないダメなヤツ」と思われそうな気がしてしまうものだが、
人は、絶対に「忙しい」って言われるよりは「ヒマだ」って言われるほうが気分が良い。
「忙しい」って言う言葉には、機会を損失する効果、相手を突き放す効果しかない。
例えば、旧友にばったり再会したときのことを考えてみると、
旧友「久しぶり!最近どうなの?」
自分「忙しいよ」
旧友「そっか、頑張ってなぁ。」
となる。
これが、「ヒマだ」だとどうなるか。
旧友「久しぶり!最近どうなの?」
自分「ヒマだよ」
旧友「ほんと?じゃあ飲みに行くか!」
となるわけだ。
こういう機会を失いたくないなら、「忙しい」という言葉を使うべきではないな、
というのが現時点での結論。
そんなわけで、今日は「ヒマ」な旧友と飲みに行ってきた。
「おー、よく来たな」 「ヒマだったからね」
「明日は何かあるの?」 「なーんもないよ」
こういった反応がいちいち心地良い。
よくドラマやコントなんかで、お偉い人が口にしてる
「私はね、忙しいんだよ!」
っていうセリフが最低の部類に属する。
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