2008年03月 / 02月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫04月
 
[洋楽英語]Jamiroquai "Stillnes In Time"  
2008.03.31 (Mon)
ジャミロクワイ、The Return of the Space Cowboy収録の"Stillnes In Time"より。

 People find it hard to be strong
 'Cos they don’t know where they’re coming from.
 There was nothing left to do but hang on
 For that stillness in time.



ちょいと長めだが順番に見ていこう。

1行目。
"find + O + C"で、「OがCだとわかる」なんだけど、
この"it"は「仮目的語」であって、"to be strong"がこの"it"の正体です。
全体で、「peopleはto be strongがhardだということがわかる」という感じになる。

この"find it [形] to do"「doするのは[形]だとわかる(思う)」っていう形はけっこう頻出。

2行目。
"'cos"っていうのは、="because"です。
歌詞では"because"が頻繁に'causeとか'cosとかに略されるんですな。
こういうのは学校では教わらないから、意外に歌詞を訳すときにつまづくところなんだな。

3行目。
"There is/are ~."で「~がある(いる)」はよいでしょうか。
"there was nothing left to do"だと、「できることは何も残されてなかった」となるんだけど、
"nothing but ~"「~だけ」(="only")になる。
"hang on"は「しがみつく」→「がんばりぬく」みたいな意味になるので、
全体で「残されたできることはがんばりぬくことだけだった」という感じになります。

4行目。
"stillness"は「静けさ・静寂」。
"stillness in time"はそのまま訳せば「時の中の静寂」となる。
でも"in time"で「そのうち・やがて」という意味になったりもするんだよなー。
だからもしかしたら「やがて来る静寂」としたほうがいいのかも。


全体でこんな感じです。

「人は、強くはなれないと気づく
 自分たちがどこから来たのかもわからないから
 がんばることしかできなかった
 時の中の静寂を求めて」



あれ…日本語にしたら意外とかっこよくならないな(汗)

【続きを読む】

スポンサーサイト



edit |  03:08 |  洋楽英語  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
教えてダンコーガイ!学生の学びと社会人の学び  
2008.03.30 (Sun)
先日のエントリーで、学生と社会人の違いとは何か?と問いをたてておいて、
「結局学生も社会人も同じなんだよ」みたいなどうにもならない結論を述べて終わっていた。

今回、小飼弾氏が2008年度の新社会人が読んでおくべき12冊のまとめとして、
学生と社会人の最大の違いは「責任と自由」であるとおっしゃっていたのを受け、
いま一度、学生と社会人の「学び」の質の違いについて考えてみようと思った。

えらい人のありがたい挨拶では「自由と責任」とされることがほとんどだと思いますが、私はあえて逆に言います。
たしかに責任は重大です。学生ならたかだかテストの点数で済む失点が、社会人では報酬に響きます。回答の重みがまるで違うのです。しかし、社会人にはそれを上回る自由があります。学生ならカンニングにあたる行為は、社会人であればむしろ賞讃される行為。教室でググったら落第かもしれませんが、職場でググらなかったらあなたはググレカスです。どんな知識をどこから仕入れ、それをどう知恵と変えるかは、すべてあなたが決めていい。もちろんどんな本をどのように読むかも。


なるほどねって感じです。
以下私の考え。


◆知識はどう覚えるかより、どう使うか

小飼氏が「教室でググったら落第だが職場でググらなかったらググレカスだ」とおっしゃるように、
学校では、知識をどれだけの精度で身につけているかを問われることが多かったが、
社会では、その知識をいかに活用するかが問われる。
極端に言えば、必要に応じて仕入れれば済む知識に関しては、覚える必要すらない。

どんなに多くの知識を身につけていても、
例えば物理の知識を物理の枠組みの中でしか使えないのであれば、
その人に専門書以上の価値はない、ということ。


◆個人の成績より全体の成績

学校では、少なくとも勉強に関していえば、常に個人である自分の成績だけが問題とされてきた。
「うちの学校の世間的な評価を上げるにはオレが勉強しないと!」なんて生徒は普通いないだろう。

しかし、社会で働く上では、自分の成績を上げることが
どのようにしてその企業の業績を上げることに繋がるか
(さらには、それが社会全体をどのように良くするか)を常に意識すべきだ。

集団としての成果に集中できない人間はBクラスになる。


◆皆が生徒であると同時に教師にならなくてはならない

学校では、一方的に先生からの教えを受けていればよかった。
友人が勉強がわからずに困っているときに教えてあげることは、義務ではなかった。

しかし会社では、好むと好まざるに関わらず部下を持つことになる。
自分が教わった内容は、自分で下へ教え継がなくてはならないのだ。


◆挙手しないと当ててもらえない

学校では、手を挙げなくても答える機会を先生が作ってくれたかもしれないが、
会社で働く中では、自分から手を挙げないとチャンスはまわってこなくなると思うべし。

「今日は10日だから・・・社員番号10番のあいつに頼むか」なんてことにはならないのである。


◆「わかりません」では済まされない

学校の授業では、当てられても「わかりません」で済まされることも多かった。
テストの答案を空欄のまま出しても、低い点数をつけられるだけだった。

しかし社会ではそうはいかない。
なぜなら、リターンが保障されてしまっているからだ。
給料をもらうことが前提になっているから、その分の仕事はしなければならない。


◆答えは無い

学校と社会の学びの質の違いはこれに尽きる。
社会で直面する問題の多くに、あらかじめ正解は用意されていない。

自分がその時点でベストだと思う解答を出し、
後から振り返ってみて、より良い答えがなかったものかと考える。
その繰り返しである。



社会人と学生は本質的には何も変わらないはずだと言っておきながらも、
「学び」の質の違いという意味で考えれば、他にもいくらでも挙げられそうだ。

ただ自分としては、上記のようなことからすぐに
「結局学校の勉強なんて、社会に出たら役に立たないんだ」
という結論には持っていきたくない。

ただ、小飼氏の以下のような言葉を見ると、
学校教育なんて、しょせんお遊びみたいなものと感じられてしまうのかななんて、
ちょっと考え込んでしまったりする。

社会人に、ようこそ。本物の学びが、今はじまるのです。



学校で勉強したことが役に立たないなんて決して思わないけど、
じゃあ具体的には、どういう部分が今の学校教育の強みなんだろう?

社会に出てから気づく学校教育のありがたみってなんだろう?
(読み書きからしてそうだといえばそうだけど…)


子どもたちが社会でマッチョに生きていけるようになるために、
教育者が本当に教えるべきことは何なんだろう?


教えて!ダンコーガイ!



関連エントリー
 「Bクラス理論」:Bクラスとは、成果に集中できない人のこと
 「ぜってーチクんなよ、女子。」
 学生と社会人の違い

 参考
2008年度の新社会人が読んでおくべき12冊 (404 Blog Not Found)
edit |  03:53 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
家庭教師業界における高額教材販売の手口  
2008.03.29 (Sat)
静岡県で「家庭教師のフレンズ」を名乗って営業していた有限会社ウィルが、
違法に高額教材を販売していたとして、業務停止処分を受けた。

高額教材を違法販売  家庭教師派遣業者を3カ月の業務停止処分(中日新聞)

 静岡県は18日、高額な学習教材を不適切な方法で販売したとして、特定商取引法に基づき「家庭教師のフレンズ」を名乗って営業している家庭教師派遣・学習教材販売のウィル(静岡市葵区昭和町)に対し、19日から3カ月間の業務停止にすると発表した。

 県民生活室によると、ウィルは学生の家庭教師を派遣する際、学習教材をセットで販売。ちらしやダイレクトメールには「家庭教師を無料派遣する」と記載していた。

 教材販売の目的を明らかにしないまま営業担当者が家庭を訪問し、家庭教師だとうそをついたケースがあった。契約内容や教材の単価を記載した書類を、契約時に相手に渡さないといった違法行為もあった。契約金額は平均で43万円、最高では109万円だった。




この件が、静岡県のホームページで
特定商取引に関する法律第8条第2項及び第47条第2項の規定に基づく公表
として公表されていて、勧誘事例がわりと具体的に紹介されていたので、
同じような手口にひっかからないように参考にしましょう。

Xは、「じゃあお母さん、月々の負担は25,000円くらいになりますが、よろしいですか?」と言った。Aは、電話帳やインターネットで調べたときの時給から、月15,000円くらいと思っていたので、<何でこんな値段かなー。高いな。>と思いながらも承諾した。

Xは、「月々9,000円の教材費がかかり、36回払いです。」「理系希望なので数1 ~数3 までの27冊セットです。」と初めて教材が必要だと話し始めた。Aが、「うちの子は宿題が多く、やる暇がない。」と伝えると、Xは、子どもに「教科書をやるより、このテキストは教科書に沿っているから、これをやるといいよ。」と1冊の教材を見せながら、「僕が教えている子にも毎日宿題を出している。これをやる方が自分で予習をやるよりもむしろ早い。」と説明した。

Aは、契約書を見て初めて教材の総額が分かり、「一括払いにすれば安くなりますか?」と聞くと、Xが「一括にしても値段は変わらない。」と言うので、<なんだか変だな。>と思った。


ポイントは、料金体系が不明瞭で、契約時まではっきりした金額がわからないという点と、
高額の教材を小額に分割して長期間かけて支払わせるという点。

いきなり明日何十万円払ってくださいと言われて契約する家庭はなかなかないが、
授業料に上乗せされると「仕方ないか」という気分になりやすいのかもしれない。


Bが値段を聞くと、Yは、「国・数・英は1教科3,000円、社・理は2教科で4,000円です。」「教材は、月々13,800円です。家庭教師は、お宅の場合は1週間に1回、時間は1時間半でいいと思います。1週間1回1時間半として、金額3,000円を設定して、合計25,800円です。大丈夫です。塾へ行かせるより安いですよね。」とメモ紙に毎月の支払金額を書いて説明した。Bは、月にかかる金額が高かったので返事をしないでいたが、子どもが「やらしてもらいたい。」と言ったので、契約することにした。Yは、契約書面を取り出し、商品名、金額、支払方法を書いていった。Bは、このとき初めて、この教材の支払総額が496,800円と高額で、支払回数が36回払いのローン契約であることが分かりびっくりした。

Bは、<子供をその気にさせて、家庭教師の時間を設定し、3,000円から始めて、月25,800円をアピールして、実際は高い教材をローン契約で買わせるような売り方>に不信感を持ち、契約日より一ヵ月以内の違約金として、商品代金の15%の74,520円を振り込み、解約した。


営業マンは自分から教材の総額を言わず、分割払いで月にいくらかということだけ言うわけです。
さらに、高額の違約金を設定しておいて、簡単に解約する気にさせないようにしている、と。


Zは、「毎日の予習・復習は大切だけど、いくら時間をかけてやってもだめ。」「私たちが教えるときはいいけど、いないときはどうする?そういう時にとってもいい教材があるの。」と言って、教材を取り出し、「5分から10分で予習・復習ができちゃう。重要なポイントが、毎日の授業で一か所ある。このページで重要なところは分かる?」「それがどこかわかるようになるから。ほら、ここを見れば要点が書いてあるから。」と説明した。

「こんなに高いんですか。」「教材は本屋さんに売ってないんですか?」と聞くと、Zは、「これは分かりやすくなっていて、特別にお願いして作ってもらっているので、どこにも売っていません。」と言った。


結論。
楽して全てうまくいくような、そんなウマい話はまず無いと思っておくべし。

そしてこれははっきり言っておきたいが、
塾や家庭教師の業者オリジナルの教材が
市販の教材よりも格段に素晴らしいことなど、まずありえない。


そんな素晴らしい教材があるなら、市販したって売れるんだから、そうしているはずだ。
実際予備校講師とかは自分で参考書を書いて出版してる。

市場に並んでいるものは、それなりに淘汰されながら生き残っているものなので、
市販の教材にも十分質の良いものは多い。

そして価格も適正である。
業者オリジナルの教材に高いお金をかけるくらいなら、
同じだけのお金で買えるだけ市販の教材を買いこんで、
使い比べながら自分に合うものを見つけたほうがずっと有益である。


高いお金を払ったからといって、全てを解決してくれるような
そんな万能の教材など無いものだと心得ましょう。



札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
edit |  00:58 |  家庭教師業界話  | トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
[洋楽英語]Foo Fighters "Learn To Fly"  
2008.03.27 (Thu)
Foo Fighters、There Is Nothing Left to Lose収録の"Learn To Fly"より。

 Make my way back home when I learn to fly.


これは相当かっこいいぞ。


まずこの文、動詞から始まっていますが、命令文ではありませぬ。
英語は基本的に主語を省略しない言語なんだけども、
歌詞の場合はけっこう省略してしまうのだ。
この場合も、"I"(I'll?)が省略されてる。

"way back home"っていうのは「帰り道」のこと。
"make my way back home"は、さらっと訳してしまうと「家に帰る」ですね。

learnは「学ぶ」というより、「身につける」とか「習得する」と覚えたほうがわかりやすい。
"learn to ~"は、「~できるようになる」という意味。


なので、かっこよく訳すとこんな感じ。

「飛び方を覚えたら家に帰るよ」


洋楽英語、早くも4つ目。
意外とネタはあるもんだ。


【続きを読む】

edit |  00:54 |  洋楽英語  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
メーラーデーモンめが  
2008.03.26 (Wed)
なんか、1/1 0:00の日付でMAILER-DEAMON@softbank.ne.jpから
携帯(au)にメールが来た・・・。
「指定された送信先はエラーのため~」とかいって。
何ですかこれは??

いつかソフトバンク宛てに送ったメールが実は届いてなくて
今頃になって戻ってきたってことなのかなぁ?
いつのメールだか全然わからん・・・。

あるいは何者かがマイアドレスを偽ってメールしてるのか。

あるいは、↓これかぁ?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2591520.html


edit |  23:58 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
[洋楽英語]Eric Clapton "Tears in Heaven"  
2008.03.26 (Wed)
多少教科書的(?)だけど、仮定法過去をとりあげるには
これほど良い教材もないでしょう。

エリック・クラプトン、Unplugged収録の"Tears in Heaven"より。

 Would you know my name if I saw you in heaven?
 Would it be the same if I saw you in heaven?



「仮定法過去」と呼ばれるように、
「現実と反対の仮定」「実現しそうにない仮定」を表す場合は、
 if+S+過去形 ~, S+would(could/should/might) ~.
で表し、「もし~だったら、~なのになぁ」と訳します。
今回のフレーズは、その疑問文の形。

ちなみに、2行目の主語"it"は、前回もやった通り、特別意味のないitですね。


訳すと、こんな感じ。

「もし天国できみに会ったら、私の名前を覚えていてくれるだろうか?
 もし天国できみに会ったら、何も変わらないままだろうか?」



有名だけど、これはクラプトンが事故で亡くなった息子に捧げた歌。
息子に捧げるために歌ってた以降、最近は全く歌っていないことでも有名。

【続きを読む】

edit |  00:09 |  洋楽英語  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
札幌のまちの教育屋  
2008.03.24 (Mon)
先週末は、家庭教師のVamos !の今野さんと沖縄料理店にて会食。
いやー、このお忙しい時期にお時間とっていただいて感謝っす!

それにしてもアツい人に出会ってしまった。
本当に生徒たちがかわいくてたまらなくって仕事してますって感じ。


一度、指導先の家庭のご主人が酔っ払って
「うちの子どものバカの病気は治ったか?」とか言ったとき、

「あんたの子かもしれないが、同時にオレの教え子だ」
と言ってキレたという・・・。

すごいなー。きっと自分にはできない。

ただのアルバイトとして働いていた学生時代ならまだしも、
今では立場とか責任とか、いろいろ考えてしまうなー。

なんて、想いだけで動けなくなっていることに改めて気づかされた。

雑念多いわ、雑念。


愛だろ、愛っ。







札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
edit |  22:07 |  家庭教師業界話  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
教育人間塾:世話の字の義  
2008.03.24 (Mon)
恐れ多くも先生からご期待いただいているようなので、
今回もまとめます、学問のすすめ@教育人間塾。

第2回は「世話の字の義」について。


福沢曰く、「世話」には2つの意味がある。
ひとつは「保護」、もうひとつは「命令」

「保護」とは、人の傍について、財物を与えたり時間をかけたりして
その人の利益や面目を失わせないようにすること。

「命令」とは、その人のためになることを差図(指図)し、
その人のためにならないことに異見を加え、
心の丈を尽くして忠告すること。

おおかたどんな人間関係でも、世話をするか、世話をされるか、
あるいはその両方が含まれているものだ。
先生と生徒の関係然り。
親と子の関係然り。
国家と国民の関係然り。


「保護」と「差図」とは、ふたつながらその至るところを同じくすべし!

「保護」を求めるなら、「差図」も受け入れるべきである。
「一身独立」できずに、人から何らかの恩恵を受けているにもかかわらず、
「保護」のみを要求して「差図」するななどということはもってのほか!

また、人に「差図」をするのは、「保護」の届く範囲でなければならない。
「保護」もせずに「差図」だけをするのは、まさしく「大きなお世話」である。

逆に、「差図」もできずに「保護」だけを与えているのは、
5升の米をもらえば3升は酒にして飲んじゃうような者に、禁酒もさせずに米を与えるようなもので、
「大きにご苦労」である。


福沢のこのような考え方が、「名分をもって偽君子を生ずるの論」につながっている。
身分や権威の上にあぐらをかいているようなやつぁ「偽君子」だと。

大人と大人の付き合いは「他人」と「他人」の付き合いなのだから、
対等な規律があってしかるべき!
(とはいうけど、人の交際は「和して真率」なんだよなぁ。このへんが深い)


本題に戻りまして。

当日の議論では、今の社会は「保護」と「差図」のバランスが崩れていて、
「保護」ばかりを要求する人間が多い、というような話があった。
(クレーマー、モンスターペアレント etc.)

でも個人的には、それって相手の顔が見えづらくなってるだけだと思うんだよなぁ。

自分が誰からの「保護」を受けているかがわかりづらくなっていて、感謝の対象が見えにくい。

子どもも学校で権利ばかり主張するとかいうけれど、
家庭教師のように1対1で相手が見える状況では、
「差図」も受け入れてくれるし、ちゃんと感謝してくれてますよ、子どもは。



関連エントリー
 教育人間塾:「人望のある人」とは

edit |  00:46 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(6) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
[洋楽英語]Rage Against The Machine "Guerrilla Radio"  
2008.03.19 (Wed)
洋楽英語、2発目はレイジ。
The Battle of Los Angeles収録の"Guerrilla Radio"より。

 It has to start somewhere.
 It has to start sometime.
 What better place than here?
 What better time than now?



"has to"は、もとはhave toなので、「~しなければならない」ですね。

"it"はこの場合、特定の何かを指してるわけでないので、特に訳す必要なし。
こういう意味のないitはけっこう多いのだ。
「What time is it?」のitとかも意味ないよね。


"What better place than here?"は、be動詞がないけど、
直訳すると、「ここより良い場所はどこですか?」
だけど、ここでは「反語」と考えましょう。
高校古文風に訳せば、「ここより良い場所があるだろうか?いや、ない」ってことだ。
次の"What better time than now?"も同じ。


訳すと、こんな感じ。

「どこかで始めなければならない。
 いつかは始めなければならない。
 ここより良い場所があるか?
 今より良い時があるか?」



かっこいいねぇ。

【続きを読む】

edit |  23:54 |  洋楽英語  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
学生と社会人の違い  
2008.03.19 (Wed)
学生団体コンパスとしての活動が、初年度はひとまず終了。

締めくくりとしての、「コンパスってそういうことだったのか会議」という大会議を終え、
ある者は社会へ巣立つべく、ある者は自身の就活へ専念するべく、
みなそれぞれの道へ歩きだした。


最近、ふと「学生と社会人の違いって何だ?」と考えることがあり、
学生たちとの飲み会のなかで、聞いてみた。

ある人は「責任の重さじゃないっすか?」と言った。

ある人は「付き合う人を選べるか選べないかじゃないですか?」と言った。

またある人は「時間の価値じゃないですか?」と言った。

なんか、どれも合っている気がするが、どれも本質ではない気もする。
学生だって責任を背負っている人はいるし、
不特定多数と活動を共にしている人もいるし、
一刻一秒を惜しみながら生活している人だっている。


じゃあ答えはっていうと、自分では「社会に貢献しているかどうか」かなとか思った。

でも、たぶんこれも本質じゃない。
学生だって社会に貢献していないわけじゃないと思う。
うーん・・・。


そこで逆に、学生と社会人の共通点は何だろうと考えてみた。

この答えは簡単だ。

それは「人」であるということ。


だから結局、学生も社会人も変わんないんだよっていうのが自分の中での結論。
だって人なんだもの。

社会に出れば、周囲の環境や、文化や、生活条件は変わる。
同年代で気が合う人とばかり交流するわけにはいかないかもしれないし、
「ビジネスマナー」というお約束を身につけなければいけないかもしれないし、
一定水準以上のお金を稼がなければいけないかもしれない。

でもそれをやっているのは、一人残らず全員「人」なのだ。


就職活動支援とかをやっていると本当に思うけど、
「学校」と「社会」があまりにも切り離されすぎているから、
どちらも中にあるものは同じ「人」なんだっていう単純なことを忘れてしまいそうになる。

というか、誰より自分がそうだったな・・・。

学生のうちから「社会」と「かっこいい社会人」の姿が見えれば、
働くということがもっと身近なことに感じられるはず。

そんな社会を作りたい。


そんな社会を作りたいと思っている人が、身近な人だけでも数人いるということを知った。

「理想の社会はこうすれば作れる!」と、妄想のようなビジョンを語り合う、
そういうときのワクワク感を常に忘れないことが、
今の自分にとっては何より重要なんだな。

edit |  00:52 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(4) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
[洋楽英語]Radiohead "There There"  
2008.03.16 (Sun)
やはりレディオヘッドからいきたいと思います。
Hail to the Thief収録の"There There"より。

 We are accidents waiting to happen

という表現。


waitingは現在分詞ってやつですね。accidentsを修飾。
"wait to ~"は「~するのを待つ」なので、訳すとこんな感じ。

「我々は起こるのを待っている事故だ」
深い。

「起こるのを待っている」ってのがイマイチだったら
「発生待ちの」とかでもいいかも。


こういう感じで、意味深なフレーズをポンと紹介すると
この曲全体の歌詞が気になって、自分で訳したくなるんじゃないかなと思うんですが、
どうでしょうね。



【続きを読む】

edit |  12:20 |  洋楽英語  | トラックバック(0) | コメント(3) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
[洋楽英語]はじめに  
2008.03.15 (Sat)
英語教育のとっかかりとして、洋楽の歌詞の導入を試みる教師は少なくないが、
思いのほか、生徒のウケはそんなによくなかったりする。

なぜだろうか。

ひとつには、応用可能性の低さがある。

ポップスの歌詞というのは、
えてして口語的(もっといえばスラングまみれ)であったり、
メロディに合わせて語順が変になってたりして、
ちょうどいい教材を探すのが意外に難しい。

教材として使えそうな曲を探そうとすると、
どうしても結果的に、文法的に簡単すぎる歌、
同じフレーズの繰り返しが多い歌などになってしまいやすい。

そうなると、わざわざ歌を用いて学ぶ意義がなくなってくる。
「この歌詞は訳せたけど、それがなんなの?」
という感じになってしまいかねない。


このこととも大いに関係あるが、もうひとつの理由として、
いかにも教科書的な選曲が問題である場合も考えられる。

前述のように、文法的に理解しやすく、スラング等もない曲、
しかもある程度なじみのある曲が良いだろうということで選ぶと、
たいてい出てくるのは、ビートルズ、マライヤキャリー、スティービーワンダーetc.

これだと、いくら教師が「たまには教科書を離れて・・・」と意図をもっていても、
どうしても教科書的な感じがぬぐえないのである。


とはいえ本来的には、歌で言葉を学ぶというのは非常に有効な方法だと思う。
メロディーに合わせてフレーズを覚えると記憶に残りやすいし、
「洋楽の歌詞がわかる」というのは、動機づけとしても悪くない。

そこで、自分なりに、あまり用いられない曲を使って、
フレーズレベルでの歌詞紹介みたいなことをやってみようと思ったのです。

そんなこんなで、新カテゴリ[洋楽英語]

上記のような問題点を払拭できるのかはわからないが、
洋楽を使った英語学習の可能性を模索してみたい。

とりあえずかっちょいいと思ったフレーズを紹介していきます。
授業の合間とかにサッと出すと「おっ」ってなりそうなやつを。


さて、ネタがどの程度あるものか・・・。

edit |  00:50 |  洋楽英語  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
スト(苦笑)、反省文(苦笑)  
2008.03.12 (Wed)
やっぱり胸糞が悪いので書いておく。


この前の北教組のスト、実は当日生徒から聞いて知った。
「今日、先生がストやってた」と。

はぁ!?って思った。
さすがにありえんだろーと。
ありえてましたなぁ。

教員がこの大事な時期に職場を放棄して違法なストをして、
その処分が1時間職場放棄した分の2000円程度の減給で、
教頭昇任試験合格者も全員反省文を出してお咎めなしってか。

いやー、すごい世界だ。


今、どれだけの人間が教員を目指して
5倍10倍以上(教科によっちゃ100倍以上)の採用試験を受けてると思っているのだろう。

道教委では「教頭としての資格に疑問を持たざるを得ない」としながらも、教頭がいなくなる恐れがあるとして、登用に影響させないとしている。




教頭やりたい人間なんてオレがいくらでも連れてきてやるよ。
教職員として違法なストをやるような人間でも合格できるテストなら
登用の基準として機能していないということでしょ。


査定昇級制度に関しての詳しい内容や事情はわからないけど、
それでも反対の主張が
「導入すれば、教職員の人間関係がばらばらになり、子供の教育に悪影響が出る」
なんていうんじゃお話にならないだろう。

教員人事評価制度で教員間の人間関係が悪くなるってことは、
要するに今までは年功序列に甘えてぐーたら仕事しててもよかったのに
これからは若手でもちゃんと働くヤツが先輩より高給とりになるから
気まずい雰囲気になるってことか?

それはつまり、クラスの優等生に良い成績をつけると
成績の悪い子からいじめられるから、成績に差はつけません
ってこと?


もっとも、「短期的な業績しか重視されなくなる」とか、
「評価するのが校長と教頭というのがおかしい」といった
制度上の問題に関する批判は、それなりに納得できる。

だが、教職員ともあろうものが、それを訴える手段として
違法なストライキという選択しかできなかったというのは残念すぎる。

それも1万2千人で。
明らかに「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という発想。

そんな教員が、生徒に校則を守る必要性を教えられるわけがない。
授業がつまらないと感じたら、授業をサボってもよいということを
教師が体をはって教えてるようにしか見えないだろう。

これこそまさに、「貼り紙禁止」という貼り紙である。


以前、北海道、札幌で家庭教師をする意味という記事で、
北海道民は教育費をかけているわりに学力が低いようだということを書いた。
また、全国学力テストでも、都道府県別の成績で北海道はワースト5に入っている。

今回の件で、「こんなことやってるから北海道は学力低いんだよ」
という声をネット上でもちらほら見かけるのがとてもくやしい。

頑張っていこうよ北海道。



 参考
教職員1万2千人を懲戒処分 道教委、スト参加者(iza)
ストで懲戒処分の49人、「反省文」提出で教頭昇任(iza)



関連エントリー:
 便座クリーナーを設置しとけば便座は勝手にキレイになる
 文部科学省の全国学力テストを検証した目次



札幌だけの家庭教師「考動力研究会」

edit |  00:49 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
教育人間塾:「人望のある人」とは  
2008.03.09 (Sun)
7日からスタートした、「教育人間塾」に参加。

教育大の前学長村山氏の主催で、現役の校長やら、教員やら民間人やらで
福沢の「学問のすすめ」を読みながら、教育の本質について議論するアツい会だ。


第1回は「人望論」。

福沢曰く、「人望」のある人とは、人に当てにされる人であり、
「たしかなる人」(=しっかりした人)である、と。

その人望の中身は3つ。

一、言葉
・文章も大事だけど、人に会って自分の考えを伝えるにも、「言葉」以外にないよね。
・用いて不自由なき言葉を用いずして不自由するは、必竟演説を学ばざるの罪だよね。

ニ、顔色容貌
・人の顔色は家の門戸と同じ。君子きどりでことさら渋い風にするのは
 戸の入り口に骸骨をぶら下げて、門の前に棺桶を置くようなものだ。
 誰も近づかないよね。
・「虚飾」じゃないよ。「和して真率」が交際の要だよ。

三、交際
・学者と医者、町人と役人など、「立場が違えば知らん振り」はやめよう。
・旧友を忘れないだけでなく、新友を求めよう。
 10人に会って1人の良き偶然に当たるなら、20人に会えば2人の良き偶然を得られるよ。


このことに関して、「交際の機会を増やすことで言葉も磨かれる」とおっしゃった人がいた。
交際の機会が減っているから言葉も失われると。

これにはすごく同意できる。

自分の場合、小さい頃は友達と遊ぶために友達の家に電話をかけるときというのが、
幼い自分が「他人」である大人に自分から言葉を投げかけねばならなかった機会であり、
ある種のハードルであった。

「○○ですが、××くんいますか?」が原点。

それが成長するにつれ、
「○○と申しますが、××くんいらっしゃいますか?」
「△年□組の○○と申します。こんばんわ。××くんはいらっしゃいますか?」
と、進化を遂げていく。

ヤブンすいません」
オコトヅテお願いします」

と、覚えたての言葉を取り入れてみたりもする。
すると、その友人の家に行ったとき、お母様からの印象が良くなってたりする(笑)

携帯電話の普及によって、こういう機会が失われる。

子ども同士で直接連絡がとれるのは「便利」なんだけど、
「不便」の周辺にあった「交際」も一緒に失われてしまう。


というか、グラウンディングラボの都丸さんがすでにもっといいことをおっしゃっているので、
そちらを引用させていただきます。

100円 < お願い

地域のお祭りをやる意義って、地域の人同士がお願いをし合って、お礼を言い合って、日常で挨拶をするようになることだと思う。だけど、モノが豊かな現代は100円ショップがお願いする機会を奪ってしまっている。ハサミ、ガムテープ、ビニールヒモ、菜ばしetc...ちょっとしたものをお願いして借りるよりも、100円で買って捨ててしまったほうが気が楽なのだ。

モノを貸し借りすることを通じて、流通していた有難うというやり取りが少なくなっているんだなぁと実感。




福沢から学ぶこと、まだまだ多し。

edit |  11:02 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
「Bクラス理論」:Bクラスとは、成果に集中できない人のこと  
2008.03.08 (Sat)

Aクラスの人は、Aクラスの人と一緒に仕事をしたがる。

Bクラスの人は、Cクラスの人を採用したがる。── シリコンバレーの格言

A-level people want to work with A-level people. B-level people tend to hire C-level people.──Silicon Valley proverb

 http://www.bunshun.co.jp/umeda_web/umeda_link_teiri02.htm


「Aクラス理論」:Aクラスの奴はNoを言わない上に褒めるのが上手い。を読んで、
なるほどそれはAクラスだと思ったが、
自分の場合は、Bクラスの人のことのほうがよくわかるなと思った。

私には、Bクラスの人がCクラスの人を採用したがる理由は痛いほどわかる。
自分もやはり、そういうBクラスの人間であったからだ
(今それを抜け出せているかどうかもわからないが)。


一言でいえば、Bクラスとは、「お山の大将」のことを言うのだろう。
自分が大将でありたいがために、自分より優秀なAクラスの人間はもちろんのこと、
自分と同等のBクラスの人間すら組織に居て欲しくないと考えるのだ。

自分以外が皆Cクラスの人間のみの環境で、
あの人は仕事ができる人だ、
あの人は部下の面倒見が良い人だと
ちやほやされながら働ける職場を心地よく感じるのである。

そういうBクラスの人間が同じ組織に2人いるとどうなるか。

仮にこのBクラスの2人を、B夫、B朗とする。

2人とも、相手がCクラスでいてくれることを望むから、
B夫はB朗が自分より能力の低い人間であることを望むし、
B朗はB夫が自分より能力の低い人間であることを望む。

B夫は、B朗が仕事でミスをしそうになっていることに気がついたとき、
あるいはB朗が抱える問題の良い解決策を知っているとき、
それをB朗に教えるだろうか。

普通、教えない。
B夫にとってはB朗が大きなミスをしてくれたほうが嬉しいからだ。

では仮に、B夫がそれを教えた場合、B朗はその指摘を受け入れるだろうか。
普通、受け入れない。
B夫の指摘を受け入れて事態が改善された場合、
B夫のほうが能力が上だということになってしまうからである。

このように、自意識を満たそうとすることが、プロジェクト全体のパフォーマンスを確実に低下させる。
まさにこのことが、自分の小さな「箱」から脱出する方法に書いてある。


Aクラスの人に見えて、Bクラスの人に見えないもの。
それは、より広い世界での自分の評価である。

プロジェクト内での自分の地位にこだわったばかりに、
プロジェクト自体のパフォーマンスを低下させてしまえば、
プロジェクト内のメンバーからの評価が得られたとしても、
そのプロジェクトを外から見る人の高評価は得られない。

プロジェクトの全員が成果に集中し、プロジェクト自体が成功を収めれば、
それに携わっていた人間は、そのプロジェクトの外からの評価を得ることができる。


だからAクラスの人間は、純粋にプロジェクトの成果を上げることに集中するため、
当然Aクラスの人と一緒に仕事をしたがる。

Bクラスの人は、プロジェクト内での自分の地位を脅かすことのない、
Cクラスの人を採用したがる。


これを勝手に「Bクラス理論」と呼ぶことにします。


関連エントリー:
 『仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本』に学ぶ
 2007年、最もタイトルの悪かった本 

edit |  16:33 |  我思う  | トラックバック(1) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
「ぜってーチクんなよ、女子。」  
2008.03.06 (Thu)
チクる」っていう言葉。

使わなくなったなぁ。


子ども同士でなんらかのいざこざがあったときに、
大人に告げ口する(=チクる)っていうのは、
良くも悪くも一瞬で事態を収束させてしまう方法で、
それ故、子どもながらに「ずるい」「卑怯だ」っていう感情を持ってしまうんだろうなぁ。

また、「チクんな」って言うときの心境としては、
きっと「前後関係がわからないヤツに判断させんな」っていう気持ちもあったと思う。
一般的な倫理規定とか、校則とか、そんなもので判断されてたまるか、っていうね。


いずれにせよ、大人になると、チクってサクっと解決できるような話はなくなった。
一瞬で事態を解決してくれる存在はいなくなった。

代わりに聞くようになった言葉はこれ。

「ホウ・レン・ソウ」
報告、連絡、相談。

早め早めにチクって、問題をシェアしましょうよと。


さ、僕もマッチョを目指します。


 参考
2010年、マッチョ主義によって日本社会のとてつもない大改革が始まり、人々の生活が根底から変わりはじめた(分裂勘違い君劇場)
edit |  09:13 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
教科書全文暗記は、根気さえあれば誰でもできる  
2008.03.06 (Thu)
テストで良い点数がとれたことがないという人は、
とりあえず教科書を全文暗記しちゃえよ、って思う。

英語や社会、場合によっては理科や国語も、それだけでだいぶ変わるはず
(あとは保健とか家庭科もかな)。

家庭教師をするなかで、実際に生徒に対して
「教科書の本文全部暗記してみれば?」と言うこともあるが、
まあ、そう言われて愚直に全部暗記してしまうことができるような生徒なら
そもそも成績が悪いことはあまりないわけで・・・。

というのは、決して成績が悪い子に教科書全文を暗記する能力が無いという意味ではなく、
むしろ「自分にはとても本文全部暗記なんてできない」と思い込んで
挑戦しようとしなくなりがちなのが問題だという意味である。

実際は、先日の暗記には二種類あるで述べたとおり、
教科書の本文暗記のようなパスワード系の暗記は、
事象を体系立てて覚えるリンク系の暗記とは全く別物なのだが。


もちろん、パスワード系の暗記にも、人によって得意不得意はある。
それでも教科書の暗記くらい、根気さえあれば誰にでもできる。

「塾や家庭教師を利用していないから成績が悪い」
「高い教材を使っていないから成績が悪い」
「先生の授業がヘタクソだから成績が悪い」

教科書暗記というフィールドにおいては、そんな言い訳は通用しない。
やるか、やらないか。それだけだ。


とまあ、精神論だけで終わるのもあれなので、
ちょっと効率の良いやり方も書いておく。

それは、耳からひたすら聞きまくることだ。
場所を選ばず学習できるし、何度も目で読むのに比べて労力も少なくて済む。
音読が良いとよくいわれるが、それも、自分の声を耳で聞けるのが良いのだ。

しかし、英語ならまだしも、「社会の教科書本文の音声CDなんてないよ!」
って話になるだろう。
ではどうするか。
当然、自分で吹き込むのである。

ICレコーダーを買えなんて言わない。
ICレコーダーなんかよりもずっと多くの子どもが持っているものを利用する。

それは、携帯電話である。

最近の携帯電話の多くに、ボイスレコーダー機能がついている。
しかも最近の携帯の容量は非常に大きくなっていて、かなり長時間の録音が可能だ。
miniSDカード、microSDカード等の外部メモリが使えるものであればもう言うことなし。

ケータイで通話してるように見せかけつつ、
狂ったように教科書の本文を吹き込みまくろう。

ただし、はたから見ると本当に狂ってる人だと思われかねないので注意。



札幌だけの家庭教師「考動力研究会」

edit |  00:03 |  勉強法  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
公立高校入試  
2008.03.05 (Wed)
うー、眠れないもんだ。

でも、残念ながら家庭教師は現場監督にはなり得ないから、
ここまできたら「頑張れ」と言うことしかできない。

頑張れ。



札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
edit |  03:50 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
暗記には二種類ある  
2008.03.04 (Tue)
暗記には二種類ある。

個人的にはめちゃくちゃ大事なことだと思っているのだが、
世の中的にはあまりまだ区別されていないところであって、
ヘタすると自分が第一人者なんぢゃねーかなんて思っている。


さて、本題。

二種類というのは、ずばり、パスワード系暗記リンク系暗記である
(と勝手に命名している)。


パスワード系暗記というのは、
昔のファミコンソフトで前回の続きからゲームを始めるときに入力させられた長ったらしいパスワード
(例えばキャプテン翼「ぬろけぞぜなやぽきずちぷぜべつぼおざぴぶさねえきげぴすたよびぷも」みたいな)のような
覚えにくい言葉や文章そのものを覚える暗記である。

学校の勉強でやることが多いものといえば、
憲法の条文の暗記、古典の名作の本文暗記、円周率の暗記や、
数学の公式の暗記なんかもこれに含まれる。

リンク系暗記はというと、
これは、2つ以上の項目の結びつきを覚える暗記である。

具体的には、英単語とその意味の結びつき、文学作品とその作者の結びつき、
歴史の出来事とその年代の結びつき、地名と地図上の位置の結びつきなどである。

実は、学校の勉強において重要な暗記とは、ほとんどが後者のリンク系暗記である。
「英単語が覚えられないよー」と言っている人は、
実は"agriculture"という単語自体は覚えられるが、
その単語と「農業」という日本語との結びつきが覚えられないのである。


世の中には本当にいろんな暗記メソッドが出回っているが、
それらを用いる際に、2つの暗記を区別して考えることは非常に重要。

例えば「音読すると覚えられるよー」という人は(教師にさえ)とても多いが、
音読が効果を発揮するのは、どちらかというとパスワード系暗記のときである。

リンク系暗記に音読を用いる場合は、
ゴロ合わせを作る、項目の頭文字だけ並べるなどして、
パスワード系暗記へ変換するための作業を間にはさんだほうが効率的だ。


勉強において苦戦させられるのは、たいていリンク系暗記のほうである。
逆にいえば、パスワード系暗記なんて音読しまくれば何とかなってしまったりする。

だから、長い文章を覚えなければいけないときに、
「単語だって覚えられないのに無理だ~」なんて尻込みする必要は全くないのだよ。


関連エントリー:
 ノウハウを知ればやりたくなる
 円周率はコロ助風に覚える
 暗記は脳との対話



札幌だけの家庭教師「考動力研究会」

edit |  12:12 |  勉強法  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
つまようじよりもプリッツ  
2008.03.04 (Tue)
あるケーキ屋が、チーズケーキの試食を出すときに
つまようじの代わりに、短く折った「プリッツ」を刺してた。

コストが多少上がっても環境に配慮しようとしたんだとしたら、
感心してしまうなぁ。


実際につまようじがどの程度環境に悪なのかわからないが、
大量に使い捨てられるつまようじを見ると、あまりいい気はしない。

あとはデパートやスーパーの傘袋とか、
飲食店のおしぼりを包んでるビニールとか、
なんとなくいい気がしない。

まあそんなこと言い出したら、
スーパーのビニール袋も無駄すぎだし、
いたるところにある大量の紙ビラもそうだし、
ビニール傘だって割り箸だってそうだしな。

ああ、あと本。
本のカバーってなんのためについてるんだろうかと思う。
しかもそのカバーの上に帯をつけられて、
さらに購入時にはブックカバーをつけられて、
なんなんだあれは。


というわけで何がいいたいかというと、
安易につまようじを使う前に、プリッツの使用を検討しましょう。

でも、プリッツの二重の外装が結局ゴミになるけどね。


関連エントリー:
 消費大国でゴミ大国
 傘にはそろそろ本気で画期的になってほしい。
 画期的な食器
 ビジネスのあり方
edit |  01:03 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
携帯の新機種は買う前に"借り"たい  
2008.03.02 (Sun)
ジャストアイデアだけどメモ的にエントリー。


日本の携帯電話の通信料金が高い理由として、
販売奨励金の存在が問題視されつつある昨今。
(参考:揺れ動く携帯電話の販売奨励金----目次
     au新料金に総務省が激怒


仮に今後、これまでのように「1円」機種がなくなる流れになるとして、
いろんな機能がごったごたに付加されてそれなりに高額な新機種携帯を
今まで通りユーザーに購入させるためには、どんな工夫が必要だろうかと考えた。


それで、ひとつのアイデアとして、新機種のレンタルサービスがあるといいかもと思った。

ケータイを機種変する前に、あるいは新規契約する前に、
1~2日程度でも、希望の機種をレンタルして使ってみることができるサービスがあれば
いいなぁと思う。

ケータイの機種を検討するときには、本体の重さ・薄さや、
カメラの性能や対応アプリなんかで判断しがちだけど、
ユーザーにとってもっと大切なのって、もっと細かい部分での使用感だと思う。

例えば、キー反応がどれだけ敏感かとか、
予測変換がどれだけ賢いかとか、
バイブの強さとか。

そういうのって、店頭で見ただけではなかなかわからない部分だ。
実際にちょっと使ってみてから判断したい人も多いんじゃないかなぁ。

edit |  15:30 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク