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札幌のまちの教育屋  
2008.03.24 (Mon)
先週末は、家庭教師のVamos !の今野さんと沖縄料理店にて会食。
いやー、このお忙しい時期にお時間とっていただいて感謝っす!

それにしてもアツい人に出会ってしまった。
本当に生徒たちがかわいくてたまらなくって仕事してますって感じ。


一度、指導先の家庭のご主人が酔っ払って
「うちの子どものバカの病気は治ったか?」とか言ったとき、

「あんたの子かもしれないが、同時にオレの教え子だ」
と言ってキレたという・・・。

すごいなー。きっと自分にはできない。

ただのアルバイトとして働いていた学生時代ならまだしも、
今では立場とか責任とか、いろいろ考えてしまうなー。

なんて、想いだけで動けなくなっていることに改めて気づかされた。

雑念多いわ、雑念。


愛だろ、愛っ。







札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
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edit |  22:07 |  家庭教師業界話  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
教育人間塾:世話の字の義  
2008.03.24 (Mon)
恐れ多くも先生からご期待いただいているようなので、
今回もまとめます、学問のすすめ@教育人間塾。

第2回は「世話の字の義」について。


福沢曰く、「世話」には2つの意味がある。
ひとつは「保護」、もうひとつは「命令」

「保護」とは、人の傍について、財物を与えたり時間をかけたりして
その人の利益や面目を失わせないようにすること。

「命令」とは、その人のためになることを差図(指図)し、
その人のためにならないことに異見を加え、
心の丈を尽くして忠告すること。

おおかたどんな人間関係でも、世話をするか、世話をされるか、
あるいはその両方が含まれているものだ。
先生と生徒の関係然り。
親と子の関係然り。
国家と国民の関係然り。


「保護」と「差図」とは、ふたつながらその至るところを同じくすべし!

「保護」を求めるなら、「差図」も受け入れるべきである。
「一身独立」できずに、人から何らかの恩恵を受けているにもかかわらず、
「保護」のみを要求して「差図」するななどということはもってのほか!

また、人に「差図」をするのは、「保護」の届く範囲でなければならない。
「保護」もせずに「差図」だけをするのは、まさしく「大きなお世話」である。

逆に、「差図」もできずに「保護」だけを与えているのは、
5升の米をもらえば3升は酒にして飲んじゃうような者に、禁酒もさせずに米を与えるようなもので、
「大きにご苦労」である。


福沢のこのような考え方が、「名分をもって偽君子を生ずるの論」につながっている。
身分や権威の上にあぐらをかいているようなやつぁ「偽君子」だと。

大人と大人の付き合いは「他人」と「他人」の付き合いなのだから、
対等な規律があってしかるべき!
(とはいうけど、人の交際は「和して真率」なんだよなぁ。このへんが深い)


本題に戻りまして。

当日の議論では、今の社会は「保護」と「差図」のバランスが崩れていて、
「保護」ばかりを要求する人間が多い、というような話があった。
(クレーマー、モンスターペアレント etc.)

でも個人的には、それって相手の顔が見えづらくなってるだけだと思うんだよなぁ。

自分が誰からの「保護」を受けているかがわかりづらくなっていて、感謝の対象が見えにくい。

子どもも学校で権利ばかり主張するとかいうけれど、
家庭教師のように1対1で相手が見える状況では、
「差図」も受け入れてくれるし、ちゃんと感謝してくれてますよ、子どもは。



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