特に自分より年齢が下の人たちの輪に入っていこうと思ったら、
どうしたって「ウザがられるフェーズ」っていうのが初めにあって、
それを乗り越えなければならないんだろうなと、ふと思った。
建物の中でそうじしているおばちゃん、
屋台でたこ焼き売ってるおっちゃん、
学校でいえば教頭先生(笑)
もともと深く介入する必要のない人だから、
いきなりなれなれしく寄ってこられたら「なんだこいつ」ってなる。
それは当然の反応である。
現代を生きる我々はそういうコミュニケーションには慣れていないのである。
しかし、そのウザがられるフェーズを乗り越えたときに初めて
一定数の評判を得られるようになり、
「そうじの○○さん良い人だよね」
「あそこのたこ焼き屋の親父が面白くてさぁ」って感じで
(うまくいけば)親しまれる存在となれるのだ。
若いうちはそれなりにちやほやしてもらえるからいいけど、
年をとっても若い人と付き合いをもっていこうと思ったら、
「若者の感性」以上にそういう度胸が必要になってくるのかもしれないですなぁ。
そんなこと考えてたら、小学校の先生に教わった、人間関係のシンプルなルールで
guri_2さんが、「オレなんかにされても…」って思っちゃうよねってことを書かれてた。
オレなんかに話しかけられても迷惑だよなぁ…とか。
そういうときに、「やるのは、この自分」っていう要素を忘れちゃうっていうのも
なるほどなーと思ったけれど、もしそれでやってみてうまくいかなかったとしても、
「今はまだウザがられるフェーズにいるだけだ」
って思うようにしてへこたれないぜっていうのも手かなと。
参考
小学校の先生に教わった、人間関係のシンプルなルール(Attribute=51)
PCメールと携帯電話でのメールとで文体を変えている社会人が多い気がする。
あれは何なんだろう。
ケータイでメールするときは「このあいだはどうもー。」なんてメールをくれる人が、
PCだと急に、
「○○様 先日はどうもありがとうございました。今後とも~」
なんてかしこまったメールになったりする。
きっと、意識してか意識せずか、
会社のアドレスを使ってメールする以上はきちんとしたビジネスマナーで
とかそんな感じなのかな。
これまで、PCからのメールに携帯で返信するのは若干失礼かなって気がしていたが
むしろ意図的に携帯メールで返信するっていうのもアリかなと思いはじめた。
それで相手も携帯から返信しだしたらしめたもので、
より気さくにメールできる関係になれるかも?
その場合、携帯のメールアドレスはできるだけふざけたものにしておいたほうが
効果があるかもしれません。
hanamizu12345@ドコモとか、kuinige_master12345@エーユーとかね。
こんなアドレスで「以上のほどよろしくお願い申しあげ~」なんてかしこまられても
いや、おまえ食い逃げマスターだろって話でしょ(笑)
というわけで、みんな携帯のアドレスはふざけたものにしようというお話でした。
「行きたい大学に入るのに役立つじゃん」って言ったら
なんか妙に納得してた(笑)
でもこんなズルい回答では納得できない子が多いだろうなあ。
学校の勉強が生きていく上で役に立たないということは決してない。
勉強を頑張ることで頭のトレーニングになるっていうだけでなく、
学んだ内容が直接役に立つことだって決して少なくない。
でもそういうことは、今振り返ってみて言えることであって、
当時は何のために勉強するかなんてわかるわけないんだよなぁ。
リアルタイムで物事の意味なんてわからん。
ちょっと歳をとって言えば、若いもんは意味を求めすぎるきらいがあるわい。
経験の意味を考えるとしたら、人生の意味を考えねばなるまい。
なぁ。
参考
やりたいからやる思考へ(五里夢中)
マイナスイオン、デトックス
コラーゲン、コエンザイムQ10
手かざし、水からの伝言、胎教
アルファ波、ゲーム脳 etc.
何を信じるのも、何を試してみるのもいいと思うけど、
科学と疑似科学の区別ははっきりさせておきたい。
そして科学的根拠のないものは、基本的にat your own risk.
何でも言われるがまま言説に踊らされて
期待通りの結果が得られなかったときに
話が違うだの、説明責任だのと騒ぎ立てるのは
消費者レベルとしては底辺だと思う。
日本って、自己責任の精神を育てるような基盤はないよなーと思う。
いや、外国がどうなのかってことは知らないけど。
親からも、学校の先生からも、
「やめなさい!」
「しちゃいけません!」
って言われることはいくらでもあるけど、
「自己責任で!」って言われることはないよなぁ・・・。
自己責任意識を育てる教育って、どんなのだろう。
財界さっぽろ様主催の就活生向けトークイベントに出席させていただきます。
以下概要。
<財界さっぽろ45周年記念トークイベント>
【日 時】 5月18日(日)午後2時~午後3時
【場 所】 紀伊國屋書店札幌本店1Fインナーガーデン
(札幌市中央区北5条西5丁目sapporo55ビル、℡011-231-2131)
※イス70席、入場無料
【出演者】 前田健郎 ジェイ・ブロード北海道支社長
赤坂明生 学生団体コンパス
現役就活生(北大4年)
【テーマ】 最終面接から内定辞退まで
いまこの時期に知りたい!就職お悩み解決セミナー
・最終面接の必勝ポイント
・内定する「1社」の決め方
・正しい内定辞退のマナー
・これから就活を始める人へ
(for何もやってない4年生/これから活動始める3年生)
・2009年度就職戦線 など
詳しくは↓こちら
財界さっぽろ 創刊45周年記念イベント
という感じで、学生団体コンパスの名前で出演してまいります。
お時間ある方、ぜひ足を運んでみてください。
さらにお時間ある方はイベント後イノダコーヒーでもご一緒にいかが?
学生団体コンパス
学生を対象に公開で開催する運びとあいなりました。
「教師学のススメ」という名前でございます。
「教育学」というほど高尚なものでなくて、
もっと塾や家庭教師、あるいは教育実習とかみたいな
学生が教育に携わる場面で実践的に役立てられるような方法論を学んだり
あるいは単純に悩みを共有できたりするような場にしたいなと。
でもみんなで集まってワイワイやれればいいやって感じではなくて、
むしろ少人数で遠慮なくガッツリやりたいような、
そんな感じの「教師学」でございます。
以下、メンバーが作ってくれた告知文。
教師学のススメのご案内です。
家庭教師や塾講師など教育に関わる活動をやっていると、悩みにせよコツにせよ、思うところはあっても、それを共有する機会ってなかなかありません。そこで、教師学のススメと銘打って、継続的に共有の場を作っていこうという思いで、イベントを企画しました。
今回はその1回目ということで、教科は国語とし、題材には羅生門を選びました。教え方に幅のある国語を取り上げることで、教育に対する個々の考えを表現しやすくなることを意図しています。悩みやコツの共有の前に、羅生門の読みを通じてざっくばらんに教育観を交流できたらいいかなと思います。以下詳細です。
日時:5月13日(火)18時半~
場所:図書館グループ学習室(本館3階ゲート近く)
持ち物:筆記用具
概要:羅生門の読解と試験問題案の作成
興味のある方は、kyoshigaku あっと yahoo.co.jpまでメールをください。
また、ご友人にもお誘い合わせの上、ご参加いただければ幸いです。
日も近いですが興味ある方はどうぞ。
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
一言でいえば「必要になったら、必要なところだけ勉強する」
という方法のようだ。
プログラマの間ではけっこう知られた方法論だったっぽいな。
ハッカーと遅延評価勉強法「遅延評価」という言葉を調べてみると、「ある式を、その結果が本当に必要になる時点までは評価しないでおくテクニック」とあります。そのメリットは、「条件次第で捨ててしまうような値を事前に準備することは非効率的である。このような場合遅延評価を行うと必要なときだけ値が計算されるので計算量を低減できる」とありました。
ここから遅延評価勉強法とは、「その知識が必要になった時に初めて勉強する方法」です。もっと言えば、「○○を学んだから××をやってみる」ではなく、「××をやりたいから○○を勉強する」と定義できます。
似たような方法論として、数学の勉強法には、
「パラシュート勉強法」と呼ばれるものがある。
(誰が作った言葉かは存じ上げませんすいません!)
算数・数学の勉強はしばしば積木に例えられるように、
基礎から積み上げていかなければいけないというのが常識。
しかしこの「パラシュート勉強法」は、
「下から登らなくても、パラシュートでいきなり好きな所に着地していいんだよ」
と提唱する。
例えば高校生の時点で小中学校の数学の基礎が抜け落ちている生徒の指導の場合
普通は小学校や中学校の内容まで遡って、
順番に抜け落ちている穴を埋めていく。
二次関数をやろうとするなら、その前に二次方程式がわかっていないとダメだし、
当然その前に一次方程式がわかっていないとできない。
また累乗計算や分数の計算自体も理解できていなければ、
そういった基礎計算からやり直す必要がある。
しかしパラシュート勉強法では、そういう生徒にもいきなり二次関数の問題を教える。
その中で分数計算の知識やらなんやらが必要な場面に遭遇したら
その都度、その部分だけ教えるようにして、
とにもかくにも目の前にある二次関数の問題を解けるようにするのである。
この方法の大きなメリットは、
数学に関してすっかり失われた生徒の自尊心を取り戻してやれることにある。
高校生にとって、小中学校の問題を解かされるっていうのは
けっこうストレスのたまることだ。
プライドは傷つけられるし、なかなかゴールが見えてこないし。
そういう意味では、先に着地点を見ることができるこの方法は有効である。
ただ、やってみると、口で言うほど簡単ではないけどね・・・。
穴だらけの知識を継ぎはぎだらけにして無理くりゴールに連れて行ったところで、
結局「で、これがなんなの?」って感じの反応になってしまうことも多い。
自分がメラとかヒャドしか使えない状態でスライムに苦戦してた経験をしているから
ベギラゴンやイオナズン使えるようになって強い敵を倒したときの感動があるわけで、
冒険開始直後から魔法使い放題では、ありがたみがわからないどころか、
「何のためにこんなに魔法あんの?メラとか使わねえじゃん」って感じ?
そして、火炎系の魔法はこの敵には効かないとか、
そもそもメタルスライムに魔法は効かないんだよとか、
そういうことを経験から学んでいないっていう辛さもある。
それはもう仕方のないことなのだけど。
「遅延評価勉強法」についていえば、
勉強が苦手な人向けの「遅延評価勉強法」に書かれている、
「インプットとアウトプットが同時にできる」っていうのは絶対に必要なことだと思う。
勉強が苦手な人ほど、勉強=インプットだと考えている傾向にある。
それで勉強なんて退屈だー退屈だーと言っている。
これもRPGの例でいうなら、
「レベル上げ」の時期が全てインプットだけだとしたらどうなるか。
強いボスを倒せるだけのレベルになるまで、
勇者は毎日魔法学校に通って、魔法を唱えるための理論を学び、
フィールドに応じた有利な戦闘隊形の組み方を学び、
ボスの動きを研究したビデオを見ながら弱点をレクチャーされ、
町の道具屋でアルバイトをして、その学校に通うための資金を稼がなきゃならない
(それはそれで面白いかも・・・)。
「必要に応じて勉強する」っていうのは、
極端にいえば「勉強しない」っていうことなのかもしれない。
とにかくやってみる。
受かりたい大学ができたら、とにかくその入試問題を解きまくってみる。
話せるようになりたい言語ができたら、とにかくネイティブと会話しまくってみる。
組みたいプログラムができたら、とにかく似たようなソフトのコードをいじりまくってみる。
倒したい敵ができたら、とにかく近くの敵を倒しまくってみる。
勉強のための体系だてられた理論だって、
もともとは先人達がそうやってがむしゃらに学んだものを
逆ルートで整理したものなんだよなー。
参考
勉強が苦手な人向けの「遅延評価勉強法」(ロケスタ社長日記)
遅延評価的勉強法(IT戦記)
ハッカーと遅延評価勉強法(@luke_silvia.diary)
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ファンキー末吉「才能がなければ1000曲作ればいいじゃない」
できるまでできるふり
暗記は脳との対話
まだ見てない人は、何も言わずに↓これを見るよろし。
(ニコニコが見れない人は、ここなら見れるのかな?)
何がすごいんだかわからない人には、すごさを説明しづらい動画ではあるけど、
これはすごい。
大げさでなく、人間ってこんな能力があるものだったんだなと思った。
まったく無名でスポットライトの当たらないところにいる素人が、
6ヶ月もかけて、お金になるわけでもない純粋な趣味として、
こんなものを完成させられるものなんだ。
ネット上ではよく褒め言葉(?)として「才能の無駄遣い」っていう表現をするけど、
これだけの能力がインターネット(それもいわゆるWeb2.0的な)がなければ
誰の目にもさらされることなく終わっていたかもしれないのかと思うと、
なんだかぞっとしてしまうものがある。
インターネットの匿名性の問題点についてはずっと議論され続けてきているが、
もっとポジティブな方向で、この日本文化の質を上げている「匿名の職人」を
評価し、社会に生かしていく道はないものだろうか。
なんかまとまってないけど、それでこそさくっとエントリー月間ってもんさ。
日々無駄にしている時間がないか考えながら生活していて、
思い当たったものが2つあった。
それは、ウィンドウ・ショッピングをする時間と、心の準備をする時間である。
もしかしたら、あまり人はしていない時間の使い方かもしれないが、参考までに。
◆ウィンドウ・ショッピングをやめる
今まで自分がウィンドウ・ショッピングをしているという自覚すらなかったのだけど、
何かほしいものがあると、実際に買うまでに何度も店に足を運んで
ただ商品を眺めてううむとうなっている時間があることに気がついた。
今買うわけでもないのに、実物の商品が売られているのを見ると
何かが変わる気がしてしまうのだ(笑)
また、何を食べる気もないのに、なんとなくデパートの食品売り場を徘徊するという、
本当にどうしようもない使われ方をしている時間もある…。
これに気がついて、とりあえず
「結果が変わらないときは行かない」という基準を作って、これをやめた。
◆心の準備に時間をとるのをやめる
ちょっと大きなイベントにのぞむときや、アウェーな環境にとび込むときなど、
心の軟弱な自分は、時間の少し前から、心を落ち着かせるために
近くのカフェに寄ってコーヒーを飲んだりしている。
しっかしこれは本当に非生産的な時間なのだ。
これから起こる事態にあれこれ考えをめぐらせながら
悶々としているだけなのだから。
この時間をとるのをやめようと決意した。
やめるぞー!!
他にもちょこちょこっとした工夫をして、時間の有効利用をはかっております。
またそのうち機会があれば書きます。
関連エントリー:
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朝寝坊をしないための3つの方法
全然知らない仕事を一から教わるという、最近あまりなかった経験をした。
そのなかで、この人から仕事を教わるとわかりやすいなぁっていう人が何人かいて、
その人の教え方の何が素晴らしいのかを分析してみた。
それは、次の3つのことを意識して言ってくれることだと思った。
「なぜそのようにやるのか」
「それをしないと、どう困るのか」
「これまでにどういう経緯があってそうするようになったか」
という3つ。
「AはBというように処理せよ」っていうことを知っているだけでは、
A’の事態に対応することができない。
その都度聞きにいかなくてはならなくなる。
「AはBというように処理せよ」と教わるときに、
「こうやんないとCっていう問題が起きて困るんだよ」とか、
「今までにB’というやり方でもやってみたんだけど、それだとDっていう問題がね」
っていう話を合わせてしてもらえると、
A’の事態に遭遇したときに、知っていることを応用して自分で対処法を考えられる。
いやーこういうことを考えてみると、本当に勉強の指導と同じだなーって思う。
本質を理解することで応用ができるっていうさ。
そういう話でした。
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エラーのない仕事の請け方・頼み方
今までのようにある程度文章をちゃんと考えて書こうとすると
いつまでたっても更新できない気がするので、
5月はもっと思いつくままにエントリーしまくってみることにしよう。
さくっとエントリー月間ということで。
本当にどうでもいいようなことはtwitterでもひそかにつぶやいておりますので
よろしければそちらもどうぞ。