2008.07.13 (Sun)
ネット上ではここんところ連日話題沸騰中だった
毎日新聞の英語版サイトのWaiWaiの問題。
これだけの騒ぎになってるんだから、
てっきりネチズンに限らず広く認知されたもんだと思ってたら、
友人数人と話してるときに、自分以外誰もこの話を知らなくて、
かなりショックを受けたので、とりあえず貼っときます。

毎日新聞の英語版サイトがひどすぎる まとめ@wiki
毎日新聞問題の情報集積wiki
(とりあえずこのページを読むのが一番わかりやすいかな)
(※07.21追記:GIGAZINEさんにわかりやすいまとめ記事ができました。
テレビや新聞で詳しく報道されない「毎日新聞英文サイト変態記事事件」、一体何が問題なのか?)
この件は、記事を真に受けた外国人が日本に来て性犯罪を犯すんじゃないかっていう
実害について怒っている人も多いが、
「日本を代表する報道機関のくせになんばしょっとか!!」
ってことで怒ってる人も多いと思う。
「教育」もそうだけど、
「報道機関」という職も、社会的に特別視する見方がある。
特に報道機関に身をおいて働いている人には
自分達が真実を世に知らしめるんだという社会的使命感に燃えて
働いている人も多い(と願っている)。
今回の件でいうと、残念ながら毎日新聞の中の人には
そういう特別な存在である報道機関としての自覚は全くなかったわけだ。
騒動になった後、毎日新聞はなんと、
Mainichi Daily Newsのrobots.txtに検索エンジンのクローラーを拒否する設定を記入。
(参考:毎日新聞が検索エンジンを拒否!? メディアの自殺行為か)
これはつまり、「Google先生、このページは見にこないでください><」
っていうことである。
報道機関のニュースサイトがである。ギャグとしか思えない。
今回の件であらためて思ったのは、悪いことはできなくなってきたなぁっていうこと。
最近は不祥事が相次いでいるような印象を受けるけど、
今までは隠し通せてきたものが、
隠せなくなってきたということなのかもしれない。
大きいのはやっぱりインターネットの成熟。
情報伝達経路の発達と、オフラインへのそこそこの影響力アップ。
個人の発信があっという間に日本を巻き込むことも可能になってきた。
今回の件も2ちゃんねるに書き込まれて騒動になったものだし、
robot.txtに関してははてなブックマークのいちユーザが見つけて発覚した。
それでインターネットは恐いみたいなイメージをもたれることも多いが、
勘違いしてはいけないのは、
インターネットそれ自体が勝手に騒ぎを大きくしてくれるわけではないということ。
インターネット自体は便利なツールでしかなく、
それを利用して騒いでいるのは、他ならぬ人間である。
それに考えてみると、
最近の不祥事の内部告発とかは、インターネットは関係ない。
これは漠然とした印象でしかないけど、
なんか社会的に「悪を憎む意志」が強くなってるのかなーというイメージ。
「正義」というのとはちょっと違う感じで、
どちらかというと「子ども」みたいな感じ。純粋な心の子ども。
悪を憎むっていうか、大人の「汚さ」や「ズルさ」を憎むような感じ。
働きたがらない若者が問題とされているのと関係があるのかわからないけど、
普段学生たちと話していても、なんというか、
みんな「お金の臭い」を嫌うようなところがある。
何か面白いことをやっている人や、興味深いことを言っている人がいても
お金をもらってやってるってことがわかると
「なんだ金儲けかよ」って冷めちゃうような、そんな感じ。
自分が働くときにも、「お金のため」と割り切ってどんな仕事でもやれるという人は
なかなか少ないんじゃないかと思う。
就職活動中には「企業理念に共感できる会社で働きたい」みたいな
かっこいい声もよく聞くが、決して嘘を言っていないと思う。
だから、想像でしかないけど、
内部告発する人の心理も、正義感からっていうより、
そういう二面性のある企業に属していると、
なんか疲れちゃうんじゃないかなーって思った。
当事者意識を持って働いている社員ほどそうだろう。
というわけでまあ企業に関してだけいえば結局は
公開できない「暗部」のある組織はもうもたない、でもそれだけのことっていう
アンカテさんの話に集約されると思うんですが、
企業だけでなく、個人の悪事も隠しにくくなってきつつある気がします。
mixiの日記で飲酒運転したって書いたら広まって問題にされたり、
いじめの動画がネットにアップされて学校特定されたり、
大聖堂に落書きしたら騒がれてイタリアまで謝りに行くはめになったり
(それで感動されて学校名入りの銘板作られちゃったり…)。
誰もが、自分の行った悪事について
顔も名前も知らない大勢から一斉に非難を受ける可能性を持っている
(まあ警察に捕まった場合と同じかとも思うけど)。
これはなんでなんだろう。
飲酒運転とかいじめとか落書きとかは
企業の汚さとか、お金の臭いとかとは違うよな。
落書きに関しては、野蛮で残酷な日本的茶番では、
日本人の「道徳」と呼ばれているような「権威主義」によるものだと考察している。
うーむ。
いずれにしても、ある個人の悪事が、
それが法で裁かれぬものであっても、
多数派の気分を著しく害するものであった場合、
匿名の働きかけによって大勢に公表される可能性がある。
少年法という法も保護してはくれない。
なんてスリルのある日常!
でもまあ、もともと悪事ってのは千里を走るものなのかも。
少し昔の村社会的生活スタイルを考えれば、
どこそこの家の悪ガキがこんな悪いことをした
なんて話は、あっという間に村中に広まったものだろう。
それが最近は、人々の活動範囲が広くなった分だけ
近所の付き合いが希薄な人達が多くなってた。
社会で接する人の総数は増えても、
親しい人、深い交流のある人の数は少なくなってた。
そこにインターネットというツールが登場して、
離れている人とも深く交流することができるようになってきた。
このままの流れで、世界中が皆仲良しになっちゃえばいいのにな~とか、
話が飛躍しすぎですか・・・。
関連エントリー:
やりがい
悪者を排除しようとすることほど非建設的なことはない
組曲「ニコニコ動画」全自動マリオVer.に人間の恐ろしさを垣間見た
教育人間塾:「人望のある人」とは
毎日新聞の英語版サイトのWaiWaiの問題。
これだけの騒ぎになってるんだから、
てっきりネチズンに限らず広く認知されたもんだと思ってたら、
友人数人と話してるときに、自分以外誰もこの話を知らなくて、
かなりショックを受けたので、とりあえず貼っときます。

毎日新聞の英語版サイトがひどすぎる まとめ@wiki
毎日新聞問題の情報集積wiki
(とりあえずこのページを読むのが一番わかりやすいかな)
(※07.21追記:GIGAZINEさんにわかりやすいまとめ記事ができました。
テレビや新聞で詳しく報道されない「毎日新聞英文サイト変態記事事件」、一体何が問題なのか?)
この件は、記事を真に受けた外国人が日本に来て性犯罪を犯すんじゃないかっていう
実害について怒っている人も多いが、
「日本を代表する報道機関のくせになんばしょっとか!!」
ってことで怒ってる人も多いと思う。
「教育」もそうだけど、
「報道機関」という職も、社会的に特別視する見方がある。
特に報道機関に身をおいて働いている人には
自分達が真実を世に知らしめるんだという社会的使命感に燃えて
働いている人も多い(と願っている)。
今回の件でいうと、残念ながら毎日新聞の中の人には
そういう特別な存在である報道機関としての自覚は全くなかったわけだ。
騒動になった後、毎日新聞はなんと、
Mainichi Daily Newsのrobots.txtに検索エンジンのクローラーを拒否する設定を記入。
(参考:毎日新聞が検索エンジンを拒否!? メディアの自殺行為か)
これはつまり、「Google先生、このページは見にこないでください><」
っていうことである。
報道機関のニュースサイトがである。ギャグとしか思えない。
今回の件であらためて思ったのは、悪いことはできなくなってきたなぁっていうこと。
最近は不祥事が相次いでいるような印象を受けるけど、
今までは隠し通せてきたものが、
隠せなくなってきたということなのかもしれない。
大きいのはやっぱりインターネットの成熟。
情報伝達経路の発達と、オフラインへのそこそこの影響力アップ。
個人の発信があっという間に日本を巻き込むことも可能になってきた。
今回の件も2ちゃんねるに書き込まれて騒動になったものだし、
robot.txtに関してははてなブックマークのいちユーザが見つけて発覚した。
それでインターネットは恐いみたいなイメージをもたれることも多いが、
勘違いしてはいけないのは、
インターネットそれ自体が勝手に騒ぎを大きくしてくれるわけではないということ。
インターネット自体は便利なツールでしかなく、
それを利用して騒いでいるのは、他ならぬ人間である。
それに考えてみると、
最近の不祥事の内部告発とかは、インターネットは関係ない。
これは漠然とした印象でしかないけど、
なんか社会的に「悪を憎む意志」が強くなってるのかなーというイメージ。
「正義」というのとはちょっと違う感じで、
どちらかというと「子ども」みたいな感じ。純粋な心の子ども。
悪を憎むっていうか、大人の「汚さ」や「ズルさ」を憎むような感じ。
働きたがらない若者が問題とされているのと関係があるのかわからないけど、
普段学生たちと話していても、なんというか、
みんな「お金の臭い」を嫌うようなところがある。
何か面白いことをやっている人や、興味深いことを言っている人がいても
お金をもらってやってるってことがわかると
「なんだ金儲けかよ」って冷めちゃうような、そんな感じ。
自分が働くときにも、「お金のため」と割り切ってどんな仕事でもやれるという人は
なかなか少ないんじゃないかと思う。
就職活動中には「企業理念に共感できる会社で働きたい」みたいな
かっこいい声もよく聞くが、決して嘘を言っていないと思う。
だから、想像でしかないけど、
内部告発する人の心理も、正義感からっていうより、
そういう二面性のある企業に属していると、
なんか疲れちゃうんじゃないかなーって思った。
当事者意識を持って働いている社員ほどそうだろう。
というわけでまあ企業に関してだけいえば結局は
公開できない「暗部」のある組織はもうもたない、でもそれだけのことっていう
アンカテさんの話に集約されると思うんですが、
企業だけでなく、個人の悪事も隠しにくくなってきつつある気がします。
mixiの日記で飲酒運転したって書いたら広まって問題にされたり、
いじめの動画がネットにアップされて学校特定されたり、
大聖堂に落書きしたら騒がれてイタリアまで謝りに行くはめになったり
(それで感動されて学校名入りの銘板作られちゃったり…)。
誰もが、自分の行った悪事について
顔も名前も知らない大勢から一斉に非難を受ける可能性を持っている
(まあ警察に捕まった場合と同じかとも思うけど)。
これはなんでなんだろう。
飲酒運転とかいじめとか落書きとかは
企業の汚さとか、お金の臭いとかとは違うよな。
落書きに関しては、野蛮で残酷な日本的茶番では、
日本人の「道徳」と呼ばれているような「権威主義」によるものだと考察している。
うーむ。
いずれにしても、ある個人の悪事が、
それが法で裁かれぬものであっても、
多数派の気分を著しく害するものであった場合、
匿名の働きかけによって大勢に公表される可能性がある。
少年法という法も保護してはくれない。
なんてスリルのある日常!
でもまあ、もともと悪事ってのは千里を走るものなのかも。
少し昔の村社会的生活スタイルを考えれば、
どこそこの家の悪ガキがこんな悪いことをした
なんて話は、あっという間に村中に広まったものだろう。
それが最近は、人々の活動範囲が広くなった分だけ
近所の付き合いが希薄な人達が多くなってた。
社会で接する人の総数は増えても、
親しい人、深い交流のある人の数は少なくなってた。
そこにインターネットというツールが登場して、
離れている人とも深く交流することができるようになってきた。
このままの流れで、世界中が皆仲良しになっちゃえばいいのにな~とか、
話が飛躍しすぎですか・・・。
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