2008.08.29 (Fri)
教育に携わる全ての学生のための勉強会、
第4回「教師学のススメ」開催のお知らせです。
第4回のテーマは、
「いつも宿題をやってこないアキラくん(仮名)。
宿題をやってきてくれるようになるよう、
家庭教師であるあなたは彼にどうアプローチしますか?」
というもの。
コーチングも学んでいる大谷氏が担当してくれます。
日時: 9月1日(月) 18:30~20:30
場所: 北大図書館本館 グループ学習室
参加無料。持ち物筆記用具のみ。
お問い合わせは、kyoshigaku あっと ヤフー .co.jpまで!
友人を連れてきてくださる人がいたり、
当日の飛び入り参加者がいたり、
少しずつ人が増えてまいりましたが、
今回もいつもと変わらず濃い~話し合いができるといいですね。
タグ:教師学のススメ
第4回「教師学のススメ」開催のお知らせです。
第4回のテーマは、
「いつも宿題をやってこないアキラくん(仮名)。
宿題をやってきてくれるようになるよう、
家庭教師であるあなたは彼にどうアプローチしますか?」
というもの。
コーチングも学んでいる大谷氏が担当してくれます。
日時: 9月1日(月) 18:30~20:30
場所: 北大図書館本館 グループ学習室
参加無料。持ち物筆記用具のみ。
お問い合わせは、kyoshigaku あっと ヤフー .co.jpまで!
友人を連れてきてくださる人がいたり、
当日の飛び入り参加者がいたり、
少しずつ人が増えてまいりましたが、
今回もいつもと変わらず濃い~話し合いができるといいですね。
タグ:教師学のススメ
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2008.08.24 (Sun)
8月25日から29日まで、北海道大学にて開催される
「第10回国際音楽知覚認知会議」(ICMPC10)に
ポスター発表で参加させていただきます。
The Role of Musical Environment at Home in the Infant's Development
という研究の一部として、
"Japanese Mother's Understanding and Practice of Taikyo and its Effects on the Mother's Labor and the Infant's Development"
というタイトルで発表させていただきます。
29日が一般公開日となっているようなので、
ご興味のある方は足を運んでみてください。
※29日は、会場がモエレ沼公園になるようです。
The official website for The 10th International Conference on Music Perception and Cognition
(プログラムはこちらから)
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
「第10回国際音楽知覚認知会議」(ICMPC10)に
ポスター発表で参加させていただきます。
The Role of Musical Environment at Home in the Infant's Development
という研究の一部として、
"Japanese Mother's Understanding and Practice of Taikyo and its Effects on the Mother's Labor and the Infant's Development"
というタイトルで発表させていただきます。
29日が一般公開日となっているようなので、
ご興味のある方は足を運んでみてください。
※29日は、会場がモエレ沼公園になるようです。
The official website for The 10th International Conference on Music Perception and Cognition
(プログラムはこちらから)
札幌だけの家庭教師「考動力研究会」
2008.08.17 (Sun)
少し前に、珍しくおーせんちっくなバーなんぞに足を運んだ帰りに
ほろ酔いで、狸小路で路上の弾き語りを聴きながらぼーっとしてたときのこと。
粋な和服姿で背中に大きな籠を背負った男2人が歩いていた。
ふと、こちらのほうに目をくれると、
「ちょいちょいちょい・・・」とか口にしながら近づいてきた。
そして2人は私のいた場所の一歩手前で止まり、
「やりますか」とかなんとか確認し合うと、
おもむろに1人が背中の籠を傾け、1人が腰から刀を抜くように火ばさみを抜き、
小さな声で、しかしはっきりとこう言った。
「成敗!」
そしてその火ばさみを使ったり、結局は素手を使ったりしながら、
私の目の前に散らかっていたお菓子の食べかすのようなゴミを拾いはじめた。
そして拾い終わると、静かに、速やかにその場を去っていった。
去っていったほうを目で追うと、さらに同じような2人組が別の方向からやってきて
4人合流して、また新たなゴミを探しに行ったようであった。
私は、一瞬狐につままれたような、夢でも見ていたような心地がしながらも、
とにかく、「かっけぇ・・・」と思った。
酔いはすっかりさめてしまった。
後日調べて、彼らは「一世一代 時代組」というらしいことがわかった。
いや、ほんとかっこいいっす。
「いいこと」を「かっこいいこと」としてやることには、
非常に重要な意味があると思っている。
昔っから思っていたが、
学校の授業で発表したり、募金箱を見つけて募金したり、
そうやって頑張ることが「かっこ悪い」ようにみなされて、
授業さぼって屋上で煙草をふかすような、
ただだらけてるだけのことが「かっこいい」とみなされるような風習というのは
本当に非生産的だと思う。
頑張って授業で発表した上に
「頑張っちゃって、なんだあいつ」と思われるんなら、
そりゃあ誰だって頑張る気なんてなくなるよなぁと思う。
だからこそ、彼らのように、ただゴミを拾うだけでなく、
それをかっこいいものであると、世間の認識を変えてくれることには
2倍以上の価値があると思うのだ。
ほろ酔いで、狸小路で路上の弾き語りを聴きながらぼーっとしてたときのこと。
粋な和服姿で背中に大きな籠を背負った男2人が歩いていた。
ふと、こちらのほうに目をくれると、
「ちょいちょいちょい・・・」とか口にしながら近づいてきた。
そして2人は私のいた場所の一歩手前で止まり、
「やりますか」とかなんとか確認し合うと、
おもむろに1人が背中の籠を傾け、1人が腰から刀を抜くように火ばさみを抜き、
小さな声で、しかしはっきりとこう言った。
「成敗!」
そしてその火ばさみを使ったり、結局は素手を使ったりしながら、
私の目の前に散らかっていたお菓子の食べかすのようなゴミを拾いはじめた。
そして拾い終わると、静かに、速やかにその場を去っていった。
去っていったほうを目で追うと、さらに同じような2人組が別の方向からやってきて
4人合流して、また新たなゴミを探しに行ったようであった。
私は、一瞬狐につままれたような、夢でも見ていたような心地がしながらも、
とにかく、「かっけぇ・・・」と思った。
酔いはすっかりさめてしまった。
後日調べて、彼らは「一世一代 時代組」というらしいことがわかった。
いや、ほんとかっこいいっす。
「いいこと」を「かっこいいこと」としてやることには、
非常に重要な意味があると思っている。
昔っから思っていたが、
学校の授業で発表したり、募金箱を見つけて募金したり、
そうやって頑張ることが「かっこ悪い」ようにみなされて、
授業さぼって屋上で煙草をふかすような、
ただだらけてるだけのことが「かっこいい」とみなされるような風習というのは
本当に非生産的だと思う。
頑張って授業で発表した上に
「頑張っちゃって、なんだあいつ」と思われるんなら、
そりゃあ誰だって頑張る気なんてなくなるよなぁと思う。
だからこそ、彼らのように、ただゴミを拾うだけでなく、
それをかっこいいものであると、世間の認識を変えてくれることには
2倍以上の価値があると思うのだ。
2008.08.11 (Mon)
すっかりごぶさたになってました。教育人間塾まとめ。
今回は、学問のすすめ第3編、「国家の独立」について。
初編で福沢は、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
だから自由平等だよーと言っている。
人は万人皆同じ位で生まれながら上下の別なく自由自在うんぬんと。
第2編ではさらに、人というのは皆「天地の間の造物」で
人と人との釣合は「同等と言わざるを得ない」と言っている。
地頭と百姓とでは「有様」は違うけれど、権利は違わない。
百姓の身に痛いことは地頭の身にも痛いし、
地頭の口に甘いものは百姓の口にも甘いだろうと。
有様の違いで他の権利を害するのは
力士が我に力ありと隣人の腕をひねり折るようなもので、
隣人にすれば、力士よりも力が弱いという理由で
いわれなく腕を折られるのは迷惑至極だと。
そらぁそうだ。
福沢はこれを人民と政府の関係にも当てはめる。
強弱の有様は違っても、権利は対等であるべきだと。
百姓は米を作り、町人は者を売買して世の便利を達する。
一方の政府は法令で悪人を制し善人を保護する。
そのための費用を年貢でまかなう。
これを、人民と政府の「約束」と言っている。
ここでのポイントは、国民は人民としての「働き」(=私立の活計)をすることで
はじめて国と対等になれるということ。
この「働き」がないと、国の威光を恐れてへつらうことになってしまう。
次に福沢は国家と国家の間の関係性についての話をしている。
ここが第3編になる。
はじめに福沢は、国家とは人の集まりなのだという話をしている。
そして、1人の人が1人の人に害を加える道理がないのだから、
100万人が100万人に対して害を加える道理もないのだと説く。
富強な国と貧しい国とで有様の違うことをもって
富強な国が貧弱な国に危害を加えるのは
力士が病人の腕をへし折るようなことだと。
そして、国とは人の集まりなのだから、
国の独立とは、国民が独立するということだと。
これが「一身独立して一国独立」である。
「独立」とは、他人の心に依存しないことであり、
他人の知恵に依らないことであり、
また、他人の財に依らないことである。
福沢曰く、
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、
人に依頼する者は必ず人を恐る、
人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり。
国民に独立の心がないとどうなるか。
1. 国民が国のことをわが身に引き受けようと思わず、
国のことを憂い、国のために尽くすことがなくなる。
2. 国の中で独立できないものは、外国人に対してもまた
独立の権義をもつことができない。
3. 政府を恐れて訴えをおこせない者は
他人に依頼して悪事をなすかも?
よって、国を愛すなら、まずは自己の独立をはかり、
余力があれば他人の独立を助けるべし、ということだ。
人を束縛して独り心配を求めるより、
人を放ちて共に苦楽をともにするべし。
素晴らしい言葉である。
この日の話を聞いているときに考えていたのは、
「独立」には精神的な独立も経済的な独立も含まれるということだが、
経済的な独立、つまり衣食住を確保していくことと、
精神的な独立として、自尊心を持って生きることとは
現実には対立する場面があるだろうなということ。
例えば、会社で上司に、違法行為などを指示されたとき、
自分の意志には反するが、逆らえば職を失うというような場面で
選択を迫られる機会がきっと誰にでもやってくる。
まず生きていくためには経済的独立がなくてはならないから
つべこべ言わずに働いてお金を稼ぐ必要があるんだけど、
かといって、前にも出てきたように、
衣食住を確保するだけなら「蟻」と変わらない。
そこで何を第一に優先して生きるかというのは
けっこう深い人生のテーマであるかもしれない。
漫画家の福本伸行氏は、前にテレビで
男にとっては「命よりも自分が大事だ」とおっしゃっていた。
友達が不良に絡まれているとき、
命を大事にするなら見て見ぬふりをすべきだが、
自分を大事にすべきなら助けに行くべきだと。
人は皆、そういう場面で助けに行けなかったりして
「むむむ」という思いをしながら生きていくんだけど、
その「むむむ」を感じなくなったら、人として問題だよね
みたいなことを話されていたと思う。
そういえば中学のときのある先生は、
「カツアゲにあったら迷わず逃げろ」と言っていた。
それよりちょっと前の時代には
「負けてもいいから立ち向かってみろ!」
みたいな指導のほうが格好良しとされてたんじゃなかろうか。
実際にそう言われたことがあるわけじゃないのでわからないが。
ただ、子ども同士でもナイフで刺されるような事件が目立つようになってきて、
教師も軽々しくそういうことを言えなくなってきた。
最近では、「レイプされそうになったらさせなさい」の覚悟という話を読んで、
こういう愛の形もあるのだと感動した。
しかし教育者として子どもたちに何をどうやって語っていくかというのは
本当に難しい問題だなぁと感じる。
「教育人間塾」その他の記事
今回は、学問のすすめ第3編、「国家の独立」について。
初編で福沢は、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
だから自由平等だよーと言っている。
人は万人皆同じ位で生まれながら上下の別なく自由自在うんぬんと。
第2編ではさらに、人というのは皆「天地の間の造物」で
人と人との釣合は「同等と言わざるを得ない」と言っている。
地頭と百姓とでは「有様」は違うけれど、権利は違わない。
百姓の身に痛いことは地頭の身にも痛いし、
地頭の口に甘いものは百姓の口にも甘いだろうと。
有様の違いで他の権利を害するのは
力士が我に力ありと隣人の腕をひねり折るようなもので、
隣人にすれば、力士よりも力が弱いという理由で
いわれなく腕を折られるのは迷惑至極だと。
そらぁそうだ。
福沢はこれを人民と政府の関係にも当てはめる。
強弱の有様は違っても、権利は対等であるべきだと。
百姓は米を作り、町人は者を売買して世の便利を達する。
一方の政府は法令で悪人を制し善人を保護する。
そのための費用を年貢でまかなう。
これを、人民と政府の「約束」と言っている。
ここでのポイントは、国民は人民としての「働き」(=私立の活計)をすることで
はじめて国と対等になれるということ。
この「働き」がないと、国の威光を恐れてへつらうことになってしまう。
次に福沢は国家と国家の間の関係性についての話をしている。
ここが第3編になる。
はじめに福沢は、国家とは人の集まりなのだという話をしている。
そして、1人の人が1人の人に害を加える道理がないのだから、
100万人が100万人に対して害を加える道理もないのだと説く。
富強な国と貧しい国とで有様の違うことをもって
富強な国が貧弱な国に危害を加えるのは
力士が病人の腕をへし折るようなことだと。
そして、国とは人の集まりなのだから、
国の独立とは、国民が独立するということだと。
これが「一身独立して一国独立」である。
「独立」とは、他人の心に依存しないことであり、
他人の知恵に依らないことであり、
また、他人の財に依らないことである。
福沢曰く、
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、
人に依頼する者は必ず人を恐る、
人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり。
国民に独立の心がないとどうなるか。
1. 国民が国のことをわが身に引き受けようと思わず、
国のことを憂い、国のために尽くすことがなくなる。
2. 国の中で独立できないものは、外国人に対してもまた
独立の権義をもつことができない。
3. 政府を恐れて訴えをおこせない者は
他人に依頼して悪事をなすかも?
よって、国を愛すなら、まずは自己の独立をはかり、
余力があれば他人の独立を助けるべし、ということだ。
人を束縛して独り心配を求めるより、
人を放ちて共に苦楽をともにするべし。
素晴らしい言葉である。
この日の話を聞いているときに考えていたのは、
「独立」には精神的な独立も経済的な独立も含まれるということだが、
経済的な独立、つまり衣食住を確保していくことと、
精神的な独立として、自尊心を持って生きることとは
現実には対立する場面があるだろうなということ。
例えば、会社で上司に、違法行為などを指示されたとき、
自分の意志には反するが、逆らえば職を失うというような場面で
選択を迫られる機会がきっと誰にでもやってくる。
まず生きていくためには経済的独立がなくてはならないから
つべこべ言わずに働いてお金を稼ぐ必要があるんだけど、
かといって、前にも出てきたように、
衣食住を確保するだけなら「蟻」と変わらない。
そこで何を第一に優先して生きるかというのは
けっこう深い人生のテーマであるかもしれない。
漫画家の福本伸行氏は、前にテレビで
男にとっては「命よりも自分が大事だ」とおっしゃっていた。
友達が不良に絡まれているとき、
命を大事にするなら見て見ぬふりをすべきだが、
自分を大事にすべきなら助けに行くべきだと。
人は皆、そういう場面で助けに行けなかったりして
「むむむ」という思いをしながら生きていくんだけど、
その「むむむ」を感じなくなったら、人として問題だよね
みたいなことを話されていたと思う。
そういえば中学のときのある先生は、
「カツアゲにあったら迷わず逃げろ」と言っていた。
それよりちょっと前の時代には
「負けてもいいから立ち向かってみろ!」
みたいな指導のほうが格好良しとされてたんじゃなかろうか。
実際にそう言われたことがあるわけじゃないのでわからないが。
ただ、子ども同士でもナイフで刺されるような事件が目立つようになってきて、
教師も軽々しくそういうことを言えなくなってきた。
最近では、「レイプされそうになったらさせなさい」の覚悟という話を読んで、
こういう愛の形もあるのだと感動した。
しかし教育者として子どもたちに何をどうやって語っていくかというのは
本当に難しい問題だなぁと感じる。
「教育人間塾」その他の記事
2008.08.09 (Sat)
山岸先生の本の話がでているのでコメントを加えてみる。
安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している(アンカテ)
英語では、this - thatであるが、
日本語には「これ」「それ」「あれ」という3分類がある。
「これ」が近距離、「それ」が中距離、「あれ」は遠距離
というような説明をされることもあるが、実際はちょっと違う。

英語では自分の外にあるものは全て"that"で指し示すのに対し、
日本語では、相手の近くにあるものは「それ」、
2人から離れたところにあるものは「あれ」を使って指し示すのである。
このように、日本人の意識では、
共同体の中と外を明確に区別していると考えられる。
上のアンカテさんの記事でいえば、コミュニティは「それ」であって、
パブリックは「あれ」の範疇ということになるだろうか。
mixiがすごい勢いで広まった際によく耳にした、
「mixiは承認制だから安心。ブログは誰が見てるかわからない」
というような言葉がまさしく、このような意識の象徴であると思う。
mixiという「コミュニティ」の中は変な人のいない安心社会であって、
実名を出し、プライベートな内容の日記を書いても大丈夫という意識である。
しかし実際には、足あとだけを残していくような業者が大量に発生していたり、
飲酒運転したことを日記に書けば見知らぬ人からの非難の声が集中したり、
mixiというコミュニティに限って見ても、安心社会などとうに崩壊している。
もっといえば、現在の身のまわりの社会を考えてみたとき、
住人同士で挨拶すらしないようなマンションに住んでいて
相互監視システムの働くコミュニティなどそこにあるのか。
そういう意味では、ストリートビューによって
自分の「安心」できる空間がオープンにされることなどを心配するより、
既に「安心」などなくなりつつある社会にいながら
安心社会に身を置いていると思い込んでいることを心配すべきかもしれない。
参考:Google マップ ストリートビュー
関連エントリー:
不必要に疑わない習慣をつける
大人の醜さを憎む子ども心が社会を浄化していくけど、大人も子どもも悪いことはできなくなってきた
安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している(アンカテ)
それと、おそらくアメリカでは「パブリック」であるということは「みんなのもの」ということになるのだけど、日本では「みんなのもの」と言う時には「コミュニティのもの」を意味していて、「パブリック」という言葉は「お上のもの」という風に理解されているのではないだろうか。つまり、日本にはコミュニティの外部にある「みんな」という概念がなくて、「パブリック」という概念を本当の意味では理解してないのである。
英語では、this - thatであるが、
日本語には「これ」「それ」「あれ」という3分類がある。
「これ」が近距離、「それ」が中距離、「あれ」は遠距離
というような説明をされることもあるが、実際はちょっと違う。

英語では自分の外にあるものは全て"that"で指し示すのに対し、
日本語では、相手の近くにあるものは「それ」、
2人から離れたところにあるものは「あれ」を使って指し示すのである。
このように、日本人の意識では、
共同体の中と外を明確に区別していると考えられる。
上のアンカテさんの記事でいえば、コミュニティは「それ」であって、
パブリックは「あれ」の範疇ということになるだろうか。
mixiがすごい勢いで広まった際によく耳にした、
「mixiは承認制だから安心。ブログは誰が見てるかわからない」
というような言葉がまさしく、このような意識の象徴であると思う。
mixiという「コミュニティ」の中は変な人のいない安心社会であって、
実名を出し、プライベートな内容の日記を書いても大丈夫という意識である。
しかし実際には、足あとだけを残していくような業者が大量に発生していたり、
飲酒運転したことを日記に書けば見知らぬ人からの非難の声が集中したり、
mixiというコミュニティに限って見ても、安心社会などとうに崩壊している。
もっといえば、現在の身のまわりの社会を考えてみたとき、
住人同士で挨拶すらしないようなマンションに住んでいて
相互監視システムの働くコミュニティなどそこにあるのか。
そういう意味では、ストリートビューによって
自分の「安心」できる空間がオープンにされることなどを心配するより、
既に「安心」などなくなりつつある社会にいながら
安心社会に身を置いていると思い込んでいることを心配すべきかもしれない。
参考:Google マップ ストリートビュー
関連エントリー:
不必要に疑わない習慣をつける
大人の醜さを憎む子ども心が社会を浄化していくけど、大人も子どもも悪いことはできなくなってきた
2008.08.05 (Tue)

イチゼロ卒向けの第1回就活コンパスが無事終了。
豪華な内定者ゲストの面々と、
意欲の高い参加者の皆様のおかげで
なかなか満足度の高いイベントになったと思います。
北海道の就職活動としてはやや早い感のあるこの時期に
意欲ある参加者があれだけ集まったのは良かった。
皆が集客を頑張った成果だろう。
イベントに人が集まるかどうかっていうのは
ある種の社会的ジレンマなところがある。
ある程度人が集まったほうが、みんなにとって楽しいイベントになる。
しかし、人が集まるかどうかわからないイベントに参加するのは
誰しも不安なのである。
思い返せば、高校の休み時間のサッカーのときから
この種の社会的ジレンマは存在した。
当時、男子たちの休み時間の過ごし方には「流行」があり、
バスケが流行りだすとみんなでバスケをやり、
教室でダラダラ過ごすのが流行ると学年中でダラダラしだすようなところがあった。
この流行がサッカーのとき、
学年中の男子が集ってやるサッカーがたまらなく楽しかった。
昼休みのサッカーの時間をたっぷり確保するために、
弁当は午前中の授業の合間にさっさと早弁してしまって、
昼休みになると同時に外へ飛び出すくらいだった。
(みんなそうしてたw)
しかし、人数が集まって盛り上がっているうちはいいが、
次第にぽつぽつとサッカーから抜けていく人が出始めると、
なんとなくその冷めたムードが伝染して、
サッカーをしなくなる人が増えていく。
そうなると、ゲームが成立する人数に達しなくなってきて、
サッカーをしたくても「ワンバン」や「鳥かご」くらいしかできなくなってくる。
つまり、「参加者の集まらないイベント」になって、
結局誰もサッカーをしなくなるのだ。
そうして時代が次の流行を求めだすと、
自分にとっては「冬の時代」で、
再び昼のサッカーが復権するのをひたすらに待っていた。
(バスケはレベルが高くてついていけないので見学…)
ゼロからそういう流行というか、ムードを作りだすのは大変労力のいることだ。
まだまだ動き出しの遅い北海道の学生たちの中で、
早く始めようぜっつって就活のムードを広げていく。
当面はそういう役割をコンパスが担っていけたらいいかなって感じ。
そんな感じ。
学生団体コンパス
2008.08.01 (Fri)
Excelというソフトは奥が深いもので、
ショートカットキーを覚えたり関数を覚えたり、
使い込めば使い込むほどに効率アップできるようになってくる。
しかし、自分が便利なショートカットをいろいろ覚えて
うはーオレってばプロってるぜっていう状態になると、
パソコン操作にあまり慣れていないような人に対して、
何から教えていいかわからなくなりがち。
今回は、エクセル初心者を脱初心者にしてあげるために
早めに覚えさせておくべきことをまとめておく。
目安としては、アシスタントのイルカを別のキャラに変えて楽しんだり、
じっと待ってイルカの挙動を楽しんだりしている頃のユーザが対象だ。
さらっと説明していくので、知らないのがあったら
自分で試しながら覚えてください。
◆フィル
セルの右下にカーソルを持っていって「+」になるところで
ドラッグすると、連続データを簡単に作れる。
[1日][2日][3日]・・・みたいなデータを作るときに重宝。
◆ウィンドウ枠の固定
例えば、シートの1行目に各列の項目名が書いてある場合、
2行目の左端のセルで[ウィンドウ]>[ウィンドウ枠の固定]をすると、
シートをずっと下のほうに動かしていっても
1行目の項目名が隠れずに見えたままになる。
これも初期の作業効率を大きく左右する。
◆複数の列の幅をまとめて調整
エクセルの列の幅はマウスのドラッグで簡単に調整できるが、
複数の列を選択した状態で列の幅を調整すれば、
選択されている全ての列の幅が一緒に変更される。
行についても全く同じ。
◆表示形式を「文字列」にする
[007]の先頭の[00]が勝手に消えた!
[6/4]が勝手に[6月4日]に変換される!なんて場合。
入力したままのデータを表示させたいときは、
右クリック>[セルの書式設定]から表示形式を[文字列]にすればいい。
あるいはセルの先頭に「'」を入力しても文字列表示にできます。
◆文字をセルの枠内に収める
長い文なんかを入力するときに、
そのまま入力すると、横にだら~っと長くなって
見栄えがよくなかったり、印刷に困ったりする。
そういうときは、右クリック>[セルの書式設定]から[配置]で
[折り返して全体を表示する]とか
[縮小して全体を表示する]を試してみよう。
あるいは、文字が右のセルにはみ出すのが気にくわない場合は、
その右のセルに何かデータを打ち込めばいいので、
何も入力したくないときは、「スペース」を打ち込んでおこう。
◆計算結果のみをコピーする
セル[A1]と[A2]の足し算の結果を[A3]に表示させているとき、
[A3]を普通にコピーしようとすると、計算結果の数値でなくて、
その計算式ごとコピーされてしまう。
計算結果の値のみをコピーしたいときは、
貼り付けの際に、右クリック>[形式を選択して貼り付け]を選び、
[値]にして張り付ける。
以上、知っていると便利なエクセルの11のショートカットに
インスパイヤされたエントリーでした。
せっかくなので、自分のお気に入りTipsも紹介しておこう。
●[ctrl] + [D]
たった3秒のパソコン術で知ったやつ。
上のセルのデータをコピーして貼り付け。
左のセルのデータを貼り付けたいときは、[ctrl] + R
●[shift] + [ctrl] + [+]
セルの挿入。
[shift] + [スペース]で行を選択した後にすれば行の挿入。
[ctrl] + [スペース]で列を選択した後なら列の挿入。
●DATEDIF関数
生年月日から年齢を計算できる関数。
↓こちらを見るのがわかりやすいかな。
生年月日から年齢を計算-DATEDIF関数
●何でも図に変換する技
適当にコピーしたものを、オートシェイプか何かの図の上にペーストすると、
コピーしたものが図に変換されて貼り付けられる。
エクセルのセルを利用して作ったグラフなど、
図にすれば大きさを自在に変えられるようになるし、
別のスライドファイルとかに貼り付けるのも楽になる。
やってみやってみ。
でも、きっと人生にショートカットはないんですよね。
※追記
↓こちらのまとめも素晴らしいので、合わせて読みましょう。
第97回 これだけは押さえておきたいエクセルの知識 前編
ショートカットキーを覚えたり関数を覚えたり、
使い込めば使い込むほどに効率アップできるようになってくる。
しかし、自分が便利なショートカットをいろいろ覚えて
うはーオレってばプロってるぜっていう状態になると、
パソコン操作にあまり慣れていないような人に対して、
何から教えていいかわからなくなりがち。
今回は、エクセル初心者を脱初心者にしてあげるために
早めに覚えさせておくべきことをまとめておく。
目安としては、アシスタントのイルカを別のキャラに変えて楽しんだり、
じっと待ってイルカの挙動を楽しんだりしている頃のユーザが対象だ。
さらっと説明していくので、知らないのがあったら
自分で試しながら覚えてください。
◆フィル
セルの右下にカーソルを持っていって「+」になるところで
ドラッグすると、連続データを簡単に作れる。
[1日][2日][3日]・・・みたいなデータを作るときに重宝。
◆ウィンドウ枠の固定
例えば、シートの1行目に各列の項目名が書いてある場合、
2行目の左端のセルで[ウィンドウ]>[ウィンドウ枠の固定]をすると、
シートをずっと下のほうに動かしていっても
1行目の項目名が隠れずに見えたままになる。
これも初期の作業効率を大きく左右する。
◆複数の列の幅をまとめて調整
エクセルの列の幅はマウスのドラッグで簡単に調整できるが、
複数の列を選択した状態で列の幅を調整すれば、
選択されている全ての列の幅が一緒に変更される。
行についても全く同じ。
◆表示形式を「文字列」にする
[007]の先頭の[00]が勝手に消えた!
[6/4]が勝手に[6月4日]に変換される!なんて場合。
入力したままのデータを表示させたいときは、
右クリック>[セルの書式設定]から表示形式を[文字列]にすればいい。
あるいはセルの先頭に「'」を入力しても文字列表示にできます。
◆文字をセルの枠内に収める
長い文なんかを入力するときに、
そのまま入力すると、横にだら~っと長くなって
見栄えがよくなかったり、印刷に困ったりする。
そういうときは、右クリック>[セルの書式設定]から[配置]で
[折り返して全体を表示する]とか
[縮小して全体を表示する]を試してみよう。
あるいは、文字が右のセルにはみ出すのが気にくわない場合は、
その右のセルに何かデータを打ち込めばいいので、
何も入力したくないときは、「スペース」を打ち込んでおこう。
◆計算結果のみをコピーする
セル[A1]と[A2]の足し算の結果を[A3]に表示させているとき、
[A3]を普通にコピーしようとすると、計算結果の数値でなくて、
その計算式ごとコピーされてしまう。
計算結果の値のみをコピーしたいときは、
貼り付けの際に、右クリック>[形式を選択して貼り付け]を選び、
[値]にして張り付ける。
以上、知っていると便利なエクセルの11のショートカットに
インスパイヤされたエントリーでした。
せっかくなので、自分のお気に入りTipsも紹介しておこう。
●[ctrl] + [D]
たった3秒のパソコン術で知ったやつ。
上のセルのデータをコピーして貼り付け。
左のセルのデータを貼り付けたいときは、[ctrl] + R
●[shift] + [ctrl] + [+]
セルの挿入。
[shift] + [スペース]で行を選択した後にすれば行の挿入。
[ctrl] + [スペース]で列を選択した後なら列の挿入。
●DATEDIF関数
生年月日から年齢を計算できる関数。
↓こちらを見るのがわかりやすいかな。
生年月日から年齢を計算-DATEDIF関数
●何でも図に変換する技
適当にコピーしたものを、オートシェイプか何かの図の上にペーストすると、
コピーしたものが図に変換されて貼り付けられる。
エクセルのセルを利用して作ったグラフなど、
図にすれば大きさを自在に変えられるようになるし、
別のスライドファイルとかに貼り付けるのも楽になる。
やってみやってみ。
でも、きっと人生にショートカットはないんですよね。
※追記
↓こちらのまとめも素晴らしいので、合わせて読みましょう。
第97回 これだけは押さえておきたいエクセルの知識 前編