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テレビをちょっとだけ便利にするウィジェットを考える  
2008.10.29 (Wed)
長い沈黙を経て復活した百式企画塾
参加させていただきます。
なにげにトップ10にランクインしてたりします(笑)


今回のテーマは、「テレビをちょっとだけ便利にするウィジェット」

普段テレビを見ているときに「あ、ひょっとしてこれがあれば便利じゃね?」と思いついたあなたは、アプリキャストのコンテストで見事優勝してしまいます。2009年、全国のブラビアに搭載されたという、あなたが考えたウィジェットについて次のことを教えてください。

多くの人は(A)しているときにテレビを見ているはずだから、(B)なる問題を抱えているはずだと気づいたあなたは、テレビの横に(C)なる情報を表示することにしてみたらなんと大当たり!しかも毎日その情報が見たくなるように(D)なるちょっとした工夫も仕込んでみました。そのウィジェットの名前は(E)。




回答。

多くの人は、事前に番組情報をチェックできないときにテレビを見ているはずだから、
その時間、どの番組が盛り上がっているかわからないという問題を抱えているはず。
そこで、テレビの横に各局のリアルタイム視聴率ランキングなる情報を表示!
しかも毎日見たくなるように、前日の瞬間最高視聴率ランキングが見れるという
ちょっとした工夫も仕込んでみた。

その名は、ただいまの勢いランキング





これは、今テレビを見ているその時間の
各局の視聴率がランキングでリアルタイム表示されるというもの。

これがあれば、笑点を見てる間に、裏で日本がメダルとってた!
なんてことがなくなる。
次の日学校に行って初めて、昨日ジブリやってたのかよ!
って知ることがなくなる。

突然視聴率が上がりだしたチャンネルに
なんだなんだとワラワラ人が集まっていく様子を観測できるのも
今までになかったテレビの楽しみ方になるだろう。


おまけとして、前日の瞬間最高視聴率のランキングを
ダイジェストで見ることができる機能がつく。

これで、ゆっくりテレビを見る時間のない人でも、
その日の話題を一通りさらっておくことができる。


これでソニーのTシャツをいただいたあかつきには
どんなレビューをすればいいんでしょうかね・・・。



タグ:百式企画塾
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edit |  23:28 |  その他雑談  | トラックバック(1) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
開けっ放しのドアはいかにして生じるか―情報共有と現状維持バイアス(後)  
2008.10.29 (Wed)
前回の続き。


現状維持バイアス

人は変化を恐れる生き物だ。

人生のプロジェクト』では、
「人は今より悪くなることと同じくらい、今より良くなることに恐怖心を抱くようだ」
と表現されていたが、言い得て妙である。

「ドアは必ず閉めましょう」という貼り紙が
目に入る場所に貼ってあったとしても、
目の前のドアが開けっ放しになっていれば
あえてそれを閉めようとはしないものだ。

実際、明文化されたルールと機能しているルールが違うことはよくあり、
そういうとき、しばしば機能している暗黙のルールが優先されるものである。


だから、新しいルールを早く定着させたければ、
「~しましょう」と呼びかけるよりも、
既にそうなっているように振舞うほうが賢い。

貼り紙をするならば、「ドアは必ず閉めましょう」ではなく、
「このドアは常に閉められています」となる。

そんなアホな貼り紙あるかと思うかもしれないが、
そういう貼り紙は既に存在する。

見たことがあるはずだ。
「いつも当店のトイレをきれいにご利用いただき、誠にありがとうございます」
というやつ。

この貼り紙は、感謝の意を示したくて貼っているわけではなく、
「このトイレはいつもきれいである」という事実を作るために貼っているのである。


募金箱にあらかじめお金を入れておくのも、
「お金を入れる人がいる」という事実が、人の募金行動を促すからである。

そういう意味で、「貼紙禁止!」という貼り紙は最悪。
そこに貼り紙があるという事実を、それ自体が作り上げてしまっている。


情報の共有のほうで、過去の変遷を記録しておくことが
新ルールへの移行の妨げになる可能性があると書いたのは、
それまでのルールを忘れさせてしまったほうが
現状維持バイアスは働きにくくなるからである。

そういえば消費税が内税表示になったのも、
増税しても変化がわかりにくいようにするためだと言っていた人もいた。


まとめ

開けっ放しのドアは、情報の共有ミスと現状維持バイアスによって生じる。

●情報共有
 1. 明文化
  ・過去の変遷は全て記録に残しておく
  ・例外を認めるケースも必ず明文化する
  ・重要でない情報を共有できる機会を設ける
  ・情報の重要度は媒体で区別する
 2. 目に入るしくみ
  ・誰がその情報を確認したか、はっきりわかるようにする
  ・情報を確認しなければ目的の行為ができないようにする
  ・ルールは極力全員参加で決める
●現状維持バイアス
 「~しましょう」よりも、事実を作ってしまう
  ・「いつもきれいにご利用いただき~」
  ・募金箱にはお金を入れておく
  ・旧制度を早く忘れさせたほうが、新制度は早く根付く



関連エントリー:
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edit |  22:20 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
開けっ放しのドアはいかにして生じるか―情報共有と現状維持バイアス(前)  
2008.10.29 (Wed)
デパートやビルの入り口のドアが、
気がつけば開け放されていることがある。
「ドアは必ず閉めてください」という貼り紙をしても効果がなかったりする。

このような「開けっ放しのドア」が生じてしまうのはなぜか。
それはおおよそ、次のようなプロセスを経て生じていることに気がついた。

最初にドアを開けて中に入った人が、
すぐ後ろから入ってくる人のためにドアを開けたままにしておく。
      ↓
後ろの人が、開いたままのドアから中に入る。
すぐ後ろから人がやって来るので、やはり開けたままにしておく。
      ↓
後ろの人が、開いたドアから中に入る。
最初の人がドアを開けるところを見ていないので、
初めからドアが開いていたものと思い、開けたままにしておく。



若輩者ながら、これまでいろんなところに身をおいて
プロジェクトっぽいことに参加する中で、
チームとして何らかの目的のある活動を行うときには
この「開けっ放しのドア」を生む構造を作らないようにすることが
ひとつの課題でないかと思うようになった。

そのためには、情報の共有現状維持バイアスの理解
重要なポイントとなるのではないかという考察。


情報の共有

上記において開けっ放しのドアが生じたのは、
「もともとドアは閉まっていた」という情報が
いつのまにか共有されなくなっていたからである。

活動の規模が大きくなるほど情報の共有は難しくなり、
ホウレンソウホウレンソウと叫ぶだけでは解決しない問題となる。

情報の共有について、自分なりに大事だと思ったことをまとめておきたい。


情報の共有においてもっとも大切なことは、
必ず明文化することと、それが目に入るしくみを作ることである。


◆明文化

情報の明文化を考える際に、まず意識すべきポイントは、
新しい情報だけでなく、現在のルールに至るまでの
過去の変遷を全て記録として残しておくことである。

隣の芝は青いといわれるように、現在のルールより他のルールのほうが
いいように思えることはしばしばある。

いろんなルールを試してみるのはいいが、
過去に試した方法と、その際の問題点を記録しておかないと
何度も同じ道を堂々巡りすることになる。

「ドアなんて開けといたほうが入りやすいじゃん」と批判をする者に対しても、
「そしたらホコリ入りまくりでひどかったんだよ」と反論することができる。

ただし、現状維持バイアスのほうで詳しく述べるが、
過去のルールについては、その問題点をはっきり書いておき、
現行の情報と明確に区別しておかなければ、
新ルールへの移行の妨げになる可能性がある。


そして、ルールを明文化した後は、例外を認めないこと。
例外を認めだした途端に、明文化された情報の価値がなくなる。

認めざるを得ない例外が出てきたときには、
必ずその例外についても明文にしておくこと。


加えて大事なのは、重要でないことを話せる機会を作ることである。

いくら頑張って全ての情報を明文化しようとしても、
どうしても抜け落ちる情報が出てきてしまう。
だからこそ、たいして重要でない情報を共有できる場を作ることで
その抜け落ちに気づける機会を増やすのだ。

たとえばそれは喫煙室のようなたまり場や、
ネットワークを利用したBBSや社内ブログでもいい。
メンバー同士で食事などの余白の付き合いがあることも望ましい。


あとは、よくメールや社内回覧ファイルで、
重要度のランク付けをしているようなものがあるが、あれはあまり良くない気がする。

重要度のランク付けをするよりも、媒体を変えるべきだ。

同じ受信メールに重要度1のものと重要度5のものがあったって、
選択的に見る人なんて普通いないだろう。
どうせ全部見ることになる。
結果、重要メールまで見落としてしまうことが出てくる。

それよりは、緊急で重要なものはメール、心に留めておいてほしいものは掲示板、
どうでもいいつぶやきはブログ、というように媒体を分けるほうが実用的だろう。


◆目に入るしくみ

必ず情報が目に入るしくみを作ること。

「ドアは必ず閉めましょう」という貼り紙が、
ドアが開いている状態で見えない位置に貼ってあっては意味がない。

それと同じで、社内ブログを作っても全員がアクセスしなければ意味がないし、
メールを回しても読まれなければ意味がない。


そのためには、誰がその情報に触れたかをはっきりさせるしくみが必要だ。

会議の議事録であれば、会議の出席者または欠席者の名前を記録しておく。
回覧なら、必ず見た者はサインをするようにする。
メールなら、読んだ合図として携帯電話へワンコール(ワン切り)させるというのもいい。
そうやって、あとで「知らなかった」と言い訳ができないようにする。


情報を確認することを、目的の行為のための条件にするという方法もある。

ウェブサービスなどにユーザー登録する際に
利用規約を最後までスクロールさせないと
次の画面に進めないようになっているやつなんかがまさにそれだ。

「ドアは必ず閉めること」という情報を確認することで、
初めてドアが開けられるシステムにする。
(もちろんそんなシステムより自動ドア作るほうが早いですけど・・・)


しかし、一番良いのは、ルール自体を全員参加で決めることである。

自分のいないところで決まったルールには
どうしても不満を言いたくなるものだし、
可能ならば全員が納得した上でルールが作られるのが望ましい。



ふぃー、長くなってしまったので、後半はまた次のエントリーとして。

 →後編へ
edit |  10:09 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
フィンランドの5年生が作った議論のルール  
2008.10.28 (Tue)
ベンチャー経営者のための資金調達マニュアル Vol.1」で
経営者のベースのスキルアップのための教材として紹介されていた
図解 フィンランド・メソッド入門』を読んだ。

なにげにここ最近フィンランド・メソッドにはまりつつある・・・。


その中に、フィンランドの小学5年生が自分たちで作ったという
議論における10のルールというものがあった。
すごいので紹介。

このルールをやぶる人がいたら、班長が「それルール違反だよ」と指摘するらしい。


1. 他人の発言をさえぎらない
2. 話すときは、だらだらとしゃべらない
3. 話すときに、怒ったり泣いたりしない
4. わからないことがあったら、すぐに質問する
5. 話を聞くときは、話している人の目を見る
6. 話を聞くときは、他のことをしない
7. 最後まで、きちんと話を聞く
8. 議論が台無しになるようなことを言わない
9. どのような意見であっても、間違いと決めつけない
10. 議論が終わったら、議論の内容の話はしない




1番目と7番目は違いがよくわからなかったりするけれど
彼らなりのこだわりがあるのかもしれない。

ちょうど最近、橋下知事と大阪の高校生の意見交換会の様子を見て、
つくづく日本の子どもは議論ってもんができないなーと思った。
学校で議論のやり方なんて習ってないんだよな。

全然子どもに限った話じゃないんだけれど、
自分の意見が否定されると、人格が否定されている気がして
感情的になって声を荒げる、泣き出す。
議論の内容を引きずって、議論後も仲が悪くなる。


それで国際的に見ると、↓こういう評価になるようだ。

端的に言って、日本人は切れる。ぶっちぎれる。本人の怒りの導火線に火がつくと止まらない。でも、何故怒っているかという部分に関し、よくわからないことが多い。「何で?」と。もちろん切れた本人もわかってないことがある。とにかく切れている。そこに意図がない。制御できない怒りの発露と言えば聞こえがいいけども、要するに暴走。

一方、中国人が怒っている場合、その目的は結構わかりやすい。これまた端的に言うと、「怒ることでメリットがある」場合が多い。「何故、怒るのか?」に答えがある場合が圧倒的に多い。ベースには計算がある。損得勘定がある。怒ったことでトクをするから怒っている。

実は短気な日本人(タケルンバ卿日記)



テレビで著名人たちの議論を見てても、
「他人の発言をさえぎらない」すらできていないし。

まあテレビ的演出があるにしても。



関連エントリー:
あまのじゃくと社会構成主義―いわゆるフィンランド・メソッド
就活のグループディスカッションで一目おかれるためのTips
edit |  01:50 |  その他雑談  | トラックバック(11) | コメント(21) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
あまのじゃくと社会構成主義―いわゆるフィンランド・メソッド  
2008.10.21 (Tue)
ちょっと保育施設で働く友人が悩んでたから
したり顔でふぃんらんど・めそっどを語ったら
なんか不服申立てされたので、ちゃんと記事書きます。


テーマは、生徒が悪いことを悪いと思わない場合どうするの?ってこと。

つまり、「なんで謝んなきゃいけないの?」って言われたときに、
「自分が同じことされたら嫌でしょ?」って言っても、
そういう気持ちにならない子に対してはそれは意味のない言葉で、
だけどそういうルールを教えないわけにはいかないし・・・っていう話。


ちょっと小学校のときの体験を思い出したのでまずその話から。

小学3年のとき、クラスの女の子が廊下で嘔吐しちゃって、
それを同じクラスの悪ガキがからかったことがあった。
当時流行ってたWE ARE THE CHAMPのメロディで
「オ~エ~オエオエオエ~」っていう替え歌作って。

それを後で先生が叱ったんだけど、やはりというか、
「○○くんもそういうことされたら嫌でしょ?」って咎めた。
そしたら○○くんは「別に。楽しいじゃん」みたいに答えた。

そのとき、最終的にその先生は
「じゃあ○○くんはあまのじゃくなんだね。みんなと違って」
っていう言い方をしてた。
そのときのことは、確かに自分の中でちょっとひっかかってた。


学校の教師として、こういうときにどういう指導をするべきなんだろうか。

やはり「吐いた人をからかっちゃだめだよ」っていうことを教えるべきなのだろうけど、
「なんで?」ってなったら、なんでなのだろう。


ちょうど先日の教育人間塾で、フリースクールについて考えるとき、
村山先生が「"学校"とは何なのだろう」という話をされていた。

先生曰く、学校とは
「ある一定のカリキュラムを、特定の年齢集団に対して組織的・集団的に教える場」
であって、そこにある要素は、第1にカリキュラム、第2に教師と生徒、
そして第3に、社会的義務(期待)なんじゃないかと。

そう考えると、フリースクールの「フリー」っていうのは
この3番目の要素、つまり
「学校が生徒に教えるべきこととして社会から期待されるもの」
からのフリーなのではないかとおっしゃっていた。


そしてその話を聞きながら、それはまさしくあれじゃないか、
フィンランド教育でいうところの「構成主義」に通じるものじゃないか
とか思った。

フィンランドでは、教育の概念は、
客観主義から構成主義へと発展すると考えられている。

客観主義とは、
「知識や法則というのは客観的なものであり、
 物事の真偽は人間の意識にかかわりなく決定されている」
と考える立場である。

よって学習の目標は、「体系化された客観的な知識を覚えること」となる。
日本の学校教育はこの立場だと考えていいと思う。

対して構成主義とは、
「知識というものは何らかの目的・価値観が前提となって構成されるのだ」
と考える立場である。

知識とは、目的に応じて事実から切り取られ、構成されるものであり、
学校で何をテーマにどこまで学ぶかは、
教師と子どもたちとの共同作業で決められていく。

だからフィンランドには、国が知識を管理するという発想がなく、
教科書もひとつの教材でしかないので、検閲もない。


正確にはフィンランドの教育がとる立場は構成主義ではなくて、
「社会構成主義」だという。
これは、構成主義の「構成」は、社会的な脈絡、
すなわち人間関係や社会との関係の中で起きるものであり、
学習の質は「協同」という活動によって大きく左右されると考える立場である。

学ぶべき知識の「構成」は一人で起こすものではない。
それゆえフィンランドの教育改革は、習熟度別編成から
異質集団方式への転換の道をたどったのだと考えると合点がいく。

ちょうどguri_2さんが
今の小学校では調べ物学習をさせられない」という話をされているが、
ここでいわれている班単位での調べ物学習っていうのは
まさしく社会構成主義的な学習だといえる。

この記事にある、無気力な小学生が多くて調べ物学習ができないっていう現象が
もし日本全体で見られる傾向だとしたら、
日本の教育は本当にフィンランドとは真逆へ進んでいるといえる。


さて今ふたたび、先程のあまのじゃく生徒の問題を考えてみたい。

客観主義の立場からいえば、
「嘔吐した生徒をからかうのは悪い行為だ」という倫理観は
絶対的に正しい事実として初めから存在しているので、
ただそれを子どもに教えてやればよい。

しかし、社会構成主義の立場で考えると、そのような倫理観は絶対的なものではなく、
個人的・主観的なひとつの考え方でしかないということになる。
したがってそれを教師が生徒に強要することには何の意味もなく、
そのような知識は、生徒自らが他の人間との関係性のなかで構成すべきだ
ということになるのである。

実際フィンランドでは、教師が生徒に注意することは極めて少ないという。
授業中に立って歩いたり、ソファーで休んだりしている生徒が普通にいる。
その行為が他人の邪魔になるときだけ注意するのだそうだ。

ではどのように注意するのか、ひとつの例をあげると、
たとえば授業中におしゃべりをする生徒に対しては、
なぜおしゃべりをするのか、その説明を生徒に求め、他の生徒にも意見を求める。
その上で、その行為が今行うものとしてふさわしいかどうかという判断を
最終的には生徒に委ねるのだという。

そうすることで、「なぜ自分が注意されるのかわからない」
という状況だけは避けるようにしているのだ。


さて以上から、日本的な教育の立場にたてば、
「嘔吐した生徒をからかうのは悪いことだ。それが唯一の真実である。
(少なくとも、社会的に期待された価値観である)」
と教えればよいということになる。

社会構成主義の立場にたつならば、
「嘔吐した生徒をからかうのは悪いことだ。私はそう考える。
 あなたの隣の生徒もそのように考えている。
 さて、あなたはどう思うか?」
ということになるだろうか。
少なくとも公教育において強要すべき価値観ではないから、
結局は生徒がどう考えようが自由、ということになる。


「なんだかフィンランドの教育って人間味がないなぁ」
ってことになりそうな気がしたので、一応補足。

重要なのは、フィンランド人にとって、
学校とはあくまでも「勉強」をする場所であって、
しつけや道徳を教わる場所ではないということである。

ではそれらは学校でなくてどこで教わるのかというと、
いうまでもなく、家庭である。
フィンランドの教育は、しっかりとした家庭生活の上に成り立っているのである。

それは教師であっても例外ではない。
法定勤務時間に占める実際の授業時間の割合を比べると、
日本の中学校教師では勤務時間の2割半が授業時間であるのに対し、
フィンランドでは勤務時間の6割が授業の時間に当てられている。
教師の授業以外の負担は最小限にとどめられているのである。



さて、ここからようやく冒頭の問題に対する自分の考えになるわけです。

やっぱりポイントは「他人の迷惑」っていう部分じゃないかと。
いわゆる公共の福祉。

自分のある行為について、
仮に他人がどうしてそれを嫌がるのかがわからなくても、
「嫌がる人がいるのならやめましょう」
って言われて納得することはできるんじゃないかと思う。

廊下で吐いたことをからかわれたら悲しい。
被害者の立場にたって考えた結果その気持ちに共感できるなら話は早いけど、
常にそこを目指すっていうのはやっぱり難しいんじゃないだろうか。

逆に、いろんな文化にいろんな考え方の人がいて、
それぞれ違うんだけどもうまくやっていくことはできるんだ
ってことを学ぶのも、それはそれで大事なことだと思う。


そして他人の迷惑にならないことであれば
いろんな考え方を認めてあげればいいんじゃないかと思うんだけど、
そうはいっても学校教師として働くとしたら
校則違反を注意しないわけにはいかないよなぁ。

「なんで制服のボタンを外しちゃいけないの?」
っていう問いに答えるのは難しい。


校則といえば、高校のとき、学校祭かなんかのクラスの打ち上げで
夜遅くに公園で花火をはじめようとしたら
おまわりさんがやってきて、
「校則違反じゃないのか!」って注意されたのは
なんというか、不思議な体験でした。



参考文献:
競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功』(朝日選書)
受けてみたフィンランドの教育』(文藝春秋)

edit |  21:33 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(5) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
[教師学のススメ]2008.10.20 ゆとり教育と円周率  
2008.10.18 (Sat)




教育に携わる全ての学生のための勉強会「教師学のススメ」、
少し期間が空きましたが、次は第5回ですね。

今回のテーマは「ゆとり教育と円周率」について。
学習指導要領などにもふれながら、
第1回からご参加いただいている、学部一年生の岩井君が担当してくれます。


日時: 10月20日(月) 18:30~20:30
場所: In the Loop (北14条西3丁目)
参加無料。持ち物筆記用具のみ。

お問い合わせは、kyoshigaku あっと ヤフー .co.jpまで!



タグ:教師学のススメ

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夢は逃げない  
2008.10.14 (Tue)
「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」
(高橋 歩 『毎日が冒険』)


ぼくらは、いつ、どこで夢から逃げてしまうのだろう。

理想と現実のギャップを知ったときか。
自分の才能に諦めを感じたときか。
それとも、いかにも真実らしい統計と確率論を覚えたときか。
もしくは体のいい言い訳が見つかったときか。


学生時代の家庭教師のときの教え子から、しばらくぶりのメールがきた。

高校を辞めて、歌手を目指すと。

いいなぁ!と素直に思った。
あの気の強いお母さんを頑張って説得したんだなってのも嬉しかったし、
それを自分に報告してくれたことも嬉しかった。


自分の高校の、ある国語の先生がおっしゃっていた。

夢を持っている状態というのは、=夢が叶っていない状態である。
だから辛いもんなんだと。

これからの道、楽しいことばかりではないかもしれないが、
夢から逃げずに頑張ってほしいなと思って、
「応援してるよ」ってメールした。



関連エントリー:
 「応援してるよ」って言う。
 ファンキー末吉「才能がなければ1000曲作ればいいじゃない」
 教育人間塾:世話の字の義
 僕の後ろに道は出来る

edit |  21:10 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
本を見ながらタイプしたいときに本を開いたままにする方法  
2008.10.13 (Mon)
本の文章を引用したいときとか、
何か本を見ながらPCでタイピングしたいときに、
本を開いたままにしておくのが意外と煩わしい。

そんなふうに思ってたときに、↓こんなツールを発見。

ブックストッパー
ブックストッパー

さっそく購入してみようと思ったが、
ただの「クリップ+重り」にしてはちょっと値が張るなぁ
ってのと、
外で作業したいときはいちいちこれを持ち歩くのかぁ
ってことが気になって、二の足を踏んでいた。

なんとか身近にあるようなもので代用できるといいのだが・・・。


とか考えていたある日、ふと思いついたことがあって、
試してみたら、見事に解決してしまった!


↓これでいいじゃん!!




二つ折りタイプの携帯電話が、ちょうど「クリップ+重り」の機能を兼ね備えている!

携帯電話なら基本的にいつでも持ち歩いてるし、
これなら本を傷めることもないし!

携帯電話の機種とか、本の厚さとかによって
うまくいかないこともあると思うが、ぜひ一度おためしあれ。
(画像のケータイはau: A5523T

edit |  14:16 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
僕の後ろに道は出来る  
2008.10.06 (Mon)
人生の進路なんて、迷ったときには
鉛筆でも倒して決めればいいんじゃないかと思ってる。

ただ、進むべきは鉛筆が倒れたほうじゃなくって、
鉛筆から手を離すときに、ちょっとだけ自分で故意に傾けようとしたほうだ。


結局それが一番後悔のない選択なんだろう。


edit |  19:35 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
大学生協ビジネスセミナーの商品を真剣に食す  
2008.10.02 (Thu)
大学生協のビジネスセミナーというものがあって、
後輩が参加している。

そこで開発、商品化された食品が昨日から発売とのことで
昨日は開店時間に合わせて大学生協へ。


売り場にその後輩含め、セミナー参加学生が数名いた。
聞けば商品の搬入陳列からやったというから感心してしまった。



そして勧められるがままにいろいろ買ってしまった。


一応レビュー。

「根室産!さんま蒲焼おにぎり」
具の位置に大きめのさんまが入っているだけでなく、
ご飯自体にも細かいさんまが散りばめられている。
これはウマイ。

「ピリ辛!肉味噌ジャージャーおにぎり」
「麺は入っていません」との注意書きが秀逸だが、
ジャージャー麺の麺じゃない部分なので要するに肉味噌。
肉味噌と米の相性は良すぎなので当然ウマイ。

個人的にはもっと濃厚な感じでも良かったかなーと思った。
盛岡のアレみたく、それこそお湯かけてチータンタンにできるくらいの。

「シャキシャキ!つくねチ~ズロール」
ウマス!これウマス!
思ったほどくどくないし。
レンジでチンして食べたけど、トースターで温めてもおいしいかも。

「恋の味!?ほろにがモカプリン」
これうまいな~。
パッケージもステキだし。
なんていうか、ウマイ。

食べた後、歯がなんとなくスッキリしない感じだけど、
その後味の悪い感じも、ほろ苦い恋の味なのかもしれませんね。


総評。ウマかった。

おにぎりとかパンとか、
普段何も思わず食べてるものがこれだけおいしく感じられたのは、
きっとそれだけ真剣に食ったからだろう。
もちろん商品自体も良いのだろうけれど。

やっぱり飯は真剣に食わにゃならん。

赤井英和も、
「死ぬまでにあと何回飯食えるか考えると、1回も無駄にできない」
みたいなこと言ってた。天才だ。


そういえば、「日本の高校生が教室でお弁当を食べる映像の海外反応」で、
日本の学生がお弁当を広げて食べる光景に対して
外国人たちがキュートだヘルシーだとコメントしているのを見て、
初めて日本の「お弁当」の素晴らしさに気づかされた。

あの頃は、「また汁漏れてるよ」なんて文句言いながら食べてたけど、
もっと真剣に食べていれば、親への感謝ももっと大きかったろうなぁ。


horoniga02.jpg



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 忙しくて自分を見失いそうな人のためのチェックリスト
 「ごはんつぶを残すな。」

edit |  18:39 |  その他雑談  | トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
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