2008.11.01 (Sat)
ホッテントリメーカーで作ってみたタイトルだが
なかなか的を射ている気がするので採用。
ちょっと機会があってノートのとり方をいろいろ調べていたので、
どんな宗教があるか、ざっくりまとめてみる。
●トニー・ブザン教
ズバリ、マインドマップ。
『ザ・マインドマップ』を経典とし、近年急激に勢力を拡大している。
上から下へ項目を並べていくノートの書き方に強く否定的で、
マインドマップの形こそが脳の情報体系構造を再現したものだと説く。
ウェブサイトでは、mindmap.jpなどが詳しい。
ほかに、みんなで描いた!マインドマップ ギャリーでは、
いろんな人の描いたマインドマップの見本をたくさん見ることができる。
トニー・ブザン教徒的には、
『頭がよくなる本』も読んだほうがいいらしい。未読。
中心概念を真ん中に書くという意味では、
Ajatus Karttaを使うフィンランド教(経典『図解 フィンランド・メソッド入門』)、
マンダラチャートを使うマンダラ教(経典『図解 マンダラ チャート』など)
も同系統と考えられる。
●コーネル教
スバリ、コーネル式。
日本語の経典をあえてあげるなら、
『アタマが良くなる合格ノート術』あたりだろうか。
ノートのページを、「ノート」「キュー」「サマリー」の3領域に分けて使うのが特徴。
「講義ノートの取り方と復習のコツ」が詳しい。
(当ブログの「ナポレオンをコーネル式でまとめてみる」も参考のこと)
●東大教
東大生のノートのとり方を模範とするもの。
経典は『東大合格生のノートはかならず美しい』。
基本的なポイントは特設サイトでも見れるが、以下の7つ。
本書の中では、「大胆に余白をとる」ことの説明として、
あとで補足情報を書き足せるためと書いてあったが、
余白を使うのは、大事な情報を目立たせるテクニックでもある。と思う。
ちなみに、「東大生のノートは本当にかならず美しいのか?」という問題だが、
さまざまな東大生の勉強法を調査して書かれた
『東大生が選んだ勉強法』によると、
ノートは「完璧にきれいに書く」派と「ぐちゃぐちゃ書きなぐり」派がいるというが、
とのことなので、ある意味で「東大生のノートはかならず美しい」は正しいといえそうだ。
『東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法』にも、やはり
「ノートはあとで自分が見てわかるように書く」ということが書かれていた。
例えば、矢印には、何の矢印かわかるように解説を書く。
「以前→以後」「原因→結果」「結果→原因」「理由→主張」「主張→理由」など
矢印はいろんな意味で使われがちなので、
どういう意味で使った矢印かがわかるように書いておくということである。
●100円ノート教
100円ノートにインデックスをつけ、検索性を持たせることを重んじる宗教。
主な宗派として、
「100円ノートで超メモ術」派と、
『情報は1冊のノートにまとめなさい』派がある。
前者はあくまでも100円ノートそれ自体での検索性を追求するのに対し、
後者はインデックスをテキストデータとして管理し、PC上で検索する。
両者に共通しているのは、情報の一元化とタグ付けである。
学習科目によってノートを使い分けたりせず、
同じノートに時系列順に書いていき、タグによって検索できるようにする。
●無信仰者
無宗教という宗教。
すなわち、ノート不要論。
しかし、一口にノート不要論者といっても、
裏紙に覚えたいことをひたすら書き散らかし、覚えたら捨ててしまうタイプの者、
テキストの余白に全てを書き収めようとするタイプの者、
初めから書くこと自体をせず、テキストをただ読むタイプの者など
実際にはその性格は多岐に渡る。
特に近年は、ノートPCやモバイル端末の発達によって
アナログ不要論者という、新しいタイプも見られるようになった。
●まとめに代えて
勉強ブームという言葉を聞くようになって久しいが、
生涯学習の時代、自分なりのノートのとり方を早い時期に確立しておきたいもの。
どれが優れているということは、きっとない。
宗教なんてみんな我こそ真理と思っているものだ。
まずは何かひとつを選び、それを信じきってみよう。
信じるものは救われるかもしれない・・・。
関連エントリー:
ナポレオンをコーネル式でまとめてみる
フィンランドの5年生が作った議論のルール
「やらないこと」を決める
なかなか的を射ている気がするので採用。
ちょっと機会があってノートのとり方をいろいろ調べていたので、
どんな宗教があるか、ざっくりまとめてみる。
●トニー・ブザン教
ズバリ、マインドマップ。
『ザ・マインドマップ』を経典とし、近年急激に勢力を拡大している。
上から下へ項目を並べていくノートの書き方に強く否定的で、
マインドマップの形こそが脳の情報体系構造を再現したものだと説く。
ウェブサイトでは、mindmap.jpなどが詳しい。
ほかに、みんなで描いた!マインドマップ ギャリーでは、
いろんな人の描いたマインドマップの見本をたくさん見ることができる。
トニー・ブザン教徒的には、
『頭がよくなる本』も読んだほうがいいらしい。未読。
中心概念を真ん中に書くという意味では、
Ajatus Karttaを使うフィンランド教(経典『図解 フィンランド・メソッド入門』)、
マンダラチャートを使うマンダラ教(経典『図解 マンダラ チャート』など)
も同系統と考えられる。
●コーネル教
スバリ、コーネル式。
日本語の経典をあえてあげるなら、
『アタマが良くなる合格ノート術』あたりだろうか。
ノートのページを、「ノート」「キュー」「サマリー」の3領域に分けて使うのが特徴。
「講義ノートの取り方と復習のコツ」が詳しい。
(当ブログの「ナポレオンをコーネル式でまとめてみる」も参考のこと)
●東大教
東大生のノートのとり方を模範とするもの。
経典は『東大合格生のノートはかならず美しい』。
基本的なポイントは特設サイトでも見れるが、以下の7つ。
と:とにかく文頭は揃える
う:写す必要がなければコピー
だ:大胆に余白をとる
い:インデックスを活用
の:ノートは区切りが肝心
お:オリジナルのフォーマットを持つ
と:当然、丁寧に書いている
本書の中では、「大胆に余白をとる」ことの説明として、
あとで補足情報を書き足せるためと書いてあったが、
余白を使うのは、大事な情報を目立たせるテクニックでもある。と思う。
ちなみに、「東大生のノートは本当にかならず美しいのか?」という問題だが、
さまざまな東大生の勉強法を調査して書かれた
『東大生が選んだ勉強法』によると、
ノートは「完璧にきれいに書く」派と「ぐちゃぐちゃ書きなぐり」派がいるというが、
いかに"ぐちゃぐちゃ"派とはいえ、「書きなぐったような汚い字でも、記述内容自体はあとで自分が見たときのことを考えて、わかりやすく」と心がけている人がほとんどのようだ。
とのことなので、ある意味で「東大生のノートはかならず美しい」は正しいといえそうだ。
『東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法』にも、やはり
「ノートはあとで自分が見てわかるように書く」ということが書かれていた。
例えば、矢印には、何の矢印かわかるように解説を書く。
「以前→以後」「原因→結果」「結果→原因」「理由→主張」「主張→理由」など
矢印はいろんな意味で使われがちなので、
どういう意味で使った矢印かがわかるように書いておくということである。
●100円ノート教
100円ノートにインデックスをつけ、検索性を持たせることを重んじる宗教。
主な宗派として、
「100円ノートで超メモ術」派と、
『情報は1冊のノートにまとめなさい』派がある。
前者はあくまでも100円ノートそれ自体での検索性を追求するのに対し、
後者はインデックスをテキストデータとして管理し、PC上で検索する。
両者に共通しているのは、情報の一元化とタグ付けである。
学習科目によってノートを使い分けたりせず、
同じノートに時系列順に書いていき、タグによって検索できるようにする。
●無信仰者
無宗教という宗教。
すなわち、ノート不要論。
しかし、一口にノート不要論者といっても、
裏紙に覚えたいことをひたすら書き散らかし、覚えたら捨ててしまうタイプの者、
テキストの余白に全てを書き収めようとするタイプの者、
初めから書くこと自体をせず、テキストをただ読むタイプの者など
実際にはその性格は多岐に渡る。
特に近年は、ノートPCやモバイル端末の発達によって
アナログ不要論者という、新しいタイプも見られるようになった。
●まとめに代えて
勉強ブームという言葉を聞くようになって久しいが、
生涯学習の時代、自分なりのノートのとり方を早い時期に確立しておきたいもの。
どれが優れているということは、きっとない。
宗教なんてみんな我こそ真理と思っているものだ。
まずは何かひとつを選び、それを信じきってみよう。
信じるものは救われるかもしれない・・・。
関連エントリー:
ナポレオンをコーネル式でまとめてみる
フィンランドの5年生が作った議論のルール
「やらないこと」を決める
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