前から思っていたことについて少し。
タイトル通り。
危うきに近寄らずでは、何が危うきか判断できるようにならないと思うのです。
悪徳商法に対する日本人の消費者としての対策って、
とても「危うきに近寄らず」的だと思う。
たとえば「セールスお断り」っていう貼り紙なんて、
「セールスされたら断る自信がないから勘弁してください」って
言っているようなものじゃないか。
変なものを売りつけられないように勧誘の話を避ける、
基本的においしい話なんてないものだと思っておく、
それが対策だというのが一般的な認識になっている気がする。
でも、それではいつまでたっても、本当に怪しい話と本当はおいしい話とを
区別できるようにはならないだろう。
例えば上記記事の著者自身は、消費者レベルが高いといえばいいのか、
意識が高いといえばいいのか、とにかく賢明なので、
騙されない自信があるため、怪しいとわかっていながらも
最後まで勧誘者の話を聞き、あわよくば目を覚まさせようとしている。
だが、例えば「Kの母親」はそうではない。
あらかた連絡は終えたのだが、唯一連絡が取れないのが先日Dとの会話で名前が出てきたK。実家に電話するとK母が出たのだが、「Kはいません」「夜遅くて、いつ帰ってくるかも分かりません」とのこと。またかける、と伝えて切った。
翌日、また電話してみる。やっぱりいないとの事。自分の電話番号を伝えて折り返し電話をもらえるように頼む。その日はかかってこなかった。
「ひょっとして最初に俺がした電話って、Kのお母さんに悪徳商法だと思われてたんじゃない?」
「大丈夫、今回の件で誤解はとけたから」
子どもを心配する気持ちから、著者からの電話を警戒し、
息子へ取り次がないようにした。
つまり、怪しいのでとりあえず接触を避けたのである。
そうした母の保護のせいかどうかわからないが、
それまでそういう怪しい話への接触の機会をもつことがなかったKは、
避けられなかった接触において、あっさり契約してしまうことになったのだ。
和田秀樹氏も、『頭をよくするちょっとした「習慣術」』で、
疑い深い人のほうがかえって騙されやすいと書いている。
ところが普段から「疑い深い」人は、「疑うべき」ポイントが分かっていないことが多い。結婚詐欺でも、豊田商事でも、何やかやと親切にしてもらっている段階で疑ったって意味がない。何かを要求されてから疑えばいいのだ。
たしかに、真剣に話を聞いていたのに、急に相手が
「まず50万必要なんだ」とか言い出したときには、心底ガッカリするだろう。
時間を無駄にしたなーとも思うだろう。
でも、そういう経験を繰り返す中で、本当に怪しいものと
そうでないものとを区別する能力がついてくるんだと思う。
関連エントリー:
・不必要に疑わない習慣をつける
・自己責任
スルーするのもすっきりしないので言及エントリー。
東京都での自尊教育導入を受けての話。
叱るより褒めるべしってことに異論はないのだけど、
というか、実際その点はよくわからなくて、
川島教授の言うことも一理ある気はするのだけど、
とりあえず「自尊教育」に話をしぼろう。
褒めることで「自分嫌い」がなおるのかってのは
これまでの経験から考えるに、わりと疑わしい。
叱ることがストレスやトラウマになるとか、
褒めることで安心感が生まれるってのはあると思うけど、
それはまた別の話で、
「すごいね!」って言われて
「やったあ自分はすごいんだ!」ってなるほど
単純ではないんじゃないのっていう話。
というわけで、親子関係も含め、子どもに対して
自尊心を持たせるにはどういう教育をしたらよいか。
私が考え得る戦略は2パターンある。
Aパターンとして、とにかく教育者自身が自信満々の姿勢を示す。
というのは、多くの日本人にとって謙遜的な表現っていうのは
もう社会によって条件づけされているようなもので、
自分で内心どう思っていようが、対人シーンでは
「私なんて・・・」っていう態度をとってしまうものなのだ。
もちろんそれだけなら特に問題はないのだけど、
問題なのは、自分で「私なんて」って言ってるうちに
自己暗示的に自尊心が低下していくケースが多いことだ。
普段から「私なんかほんとドジでさー」と口癖のように言っていると、
ちょっとした失敗をしたときに「ああやっぱり私はドジなんだ」と
抵抗なく思えてしまうものなのだ。
なのでこの場合、まず自分が率先して、
「楽勝だよ」「余裕だよ」っていう態度をとり続ける。
ちょっと失敗しても、「油断しすぎたな」とか、「わざとだよ」とか、
全然気にする素振りを見せない。
そのうちに、「あ、こういう姿勢もアリなんだ」って
思ってもらうことを目指すのである。
Bパターンとして、ハナっから自分に自信が持てない子の場合。
そのときは、二段階のプロセスを経る必要がある。
まず、自分がその子どもにとって尊敬に足る存在になる。
その上で、その子どものことを「認めて」あげる。
あなたは自分に自信を持てるだけの人なんだよと認めてあげるのだ。
褒めるというのとはちょっと違う。
たとえばテストで3問しか正解できなかった子に、
「3問も正解できたんだーすごいねー」と褒めるのは、逆にいえば、
相手のことをそれ以上正解できる子だと認めていないことになる。
だから場合によっては、褒めない。
でも叱るわけではない。
「なんで3問しか正解できなかったんだ!」じゃなくって、
「今回は失敗したね。原因を考えてみようか?」みたいな対応になる。
(書いてて思ったけど、このへんはコーチングのメソッドに似てるな)
そのとき子どもは、自分はバカだから無理なんだよとか言うかもしれない。
それはもちろん否定してあげる。
このときに大事なのが、まず自分が子どもに認められていることなのだ。
自分が認められてもいないのに「おまえはバカじゃないよ」と言ったって
なんの効果もない。
認めている存在から認めてもらうことが自信につながるのである。
だから、まず自分が子どもに尊敬される存在にならなくてはいけない。
これはもう、なんとかしてなる!とにかくなる!
「この人が言うんだから間違いない」と思ってもらうことを目指すのである。
実際には、この2パターンを並行して攻めるのがよいだろう。
自信を持てたときに、自然にそれを表現できるように仕向けていくのである。
まあ、言うは易し・・・ですけどね。
関連エントリー:
・ダメ回答を期待した発問をしちゃいけない
・個性を発揮しろ!※ただし期待されるとおりに
・失敗体験によって学ぶ
学習塾をスタートさせることになりました。
名前を「学習塾イッポ」と申します。
webサイトに載せた文章をここに再掲します。
私が今教育において一番大事にしたいと思っているのは、
一言で表現するならば、「手足を鍛える教育」ということです。
「手」を鍛えるとは、手を挙げられるようになるということです。
「足」を鍛えるとは、一歩を踏み出せるようになるということです。
試験主体の競争原理の中で、日本の教育は頭でっかちの子どもを
量産しているように感じています。
現在の教育制度、受験制度がそうである以上、
その中で良い成績を修めるための努力をしないわけにはいきませんが、
果たしてそれだけでいいのだろうかということを、
我々教育者は常に考えねばならないと思っています。
現時点で私が出した一応の答えが、この学習塾イッポです。
「知的」(intelligent)なだけでなく、
「前向き」(positive)で、「主体的」(proactive)で、
「社交的」(outgoing)な子どもを増やしたい。
そんな思いから、塾名をippoにしました。
とはいっても、そんなに奇をてらったことをやるわけではないです。
ただ、今の学校教育に足りていないものを考えた結果、
従来の塾とはちょっと違ったものになりました。
詳しくは↓のホームページをご覧いただけると幸いです。
札幌市西区八軒の「学習塾イッポ」
札幌市の認定率が毎年徐々に上がっていて、
2007年度には16.2%にまでなっているということだ。
札幌市の就学援助、6人に1人が受給
(今すぐ!!北海道のニュースサイト BNN)
東京や大阪なんかに比べればまだ低い数字ではあるけれど、
それでも6人に1人というのはなかなかの割合だ。
まあ世間の不景気を憂うのは、それはそれとして、
とりあえず利用できるものは利用しておくのがいいでしょう。
ざっくりいって、札幌市の場合、就学援助を利用できるのは
3人の世帯で年収320万未満、4人世帯の場合は350万未満くらいの家庭。
持ち家も自家用車もない家庭だと、もう少し条件が緩い。
自営業者などの場合はまた条件が変わってくるようだ。
援助内容は、学用品費や給食費、修学旅行費のほか、
遠距離通学の場合は通学費なんかも援助される。
詳しくは↓こちらから。
就学援助制度についてのお知らせ
(札幌市教育委員会のホームページ)
札幌以外の方も、まず自治体のホームページか、
教育委員会のホームページを見てみましょう。
関連エントリー:
・文部科学省の全国学力テストを検証した目次
・家庭教師業界における高額教材販売の手口
・市立札幌大通高等学校誕生!
今回のお題は、画期的な鍵。
あなたが考えたその「家の鍵」は、今までの鍵が抱えていた(A)という問題を、一見鍵とは無関係の(B)からインスピレーションを得て(C)という機能を実装することで解決していた。しかも毎日持つものなので愛着がわくように(D)という工夫もされていたという。その「鍵」の名前は(E)。
わたしが考えた家の鍵は、今まで抱えていた
鍵を落とすと家に入れなくなるという問題を、
一見無関係な蛸壺(たこつぼ)からインスピレーションを得て、
逆支弁式オートロックという機能を実装することで解決していた。
しかも愛着がわくように、コイン型・ストラップ型デザインという工夫もされていた。
その鍵の名は、インナー・ロック。

超シンプルだが、逆転の発想。
外から中に入るときは鍵なしで入れるが、
外に出ようとするときには鍵が必要になるという仕組み。
外出中にどっかに鍵を忘れたり、落としたりしてしまっても
とりあえず家の中に入ることができる。
家の中にスペアキーをあらかじめしまっておけば、
それから外出も問題なし。
また、空き巣に入られはするが、逃げられはしない(笑)
ドアを強引に開けようとすると、
警報が鳴るなり警備センターに連絡がいくなりする
(ドアを開けっ放しにしておくことができないように
一定時間開いたままになってると警報がなる機能とかも必要かも)。
鍵の形状だが、コイン型でサイフに入れておくとか
ストラップ型で携帯につけておくとかできれば、
外出の際にサイフを忘れたり、携帯を忘れたりすることがなくなる。
それがないと家から出られないからである。
あからさまに鍵の形をしたものよりも、空き巣にスペアを発見されても
それが鍵だと気づかれないようなもののほうが良いだろう。
家に帰って全然知らないオッサンが家の中にいたら
心臓止まりそうになるかもしれないけど・・・。
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