2008.03.19 (Wed)
学生団体コンパスとしての活動が、初年度はひとまず終了。
締めくくりとしての、「コンパスってそういうことだったのか会議」という大会議を終え、
ある者は社会へ巣立つべく、ある者は自身の就活へ専念するべく、
みなそれぞれの道へ歩きだした。
最近、ふと「学生と社会人の違いって何だ?」と考えることがあり、
学生たちとの飲み会のなかで、聞いてみた。
ある人は「責任の重さじゃないっすか?」と言った。
ある人は「付き合う人を選べるか選べないかじゃないですか?」と言った。
またある人は「時間の価値じゃないですか?」と言った。
なんか、どれも合っている気がするが、どれも本質ではない気もする。
学生だって責任を背負っている人はいるし、
不特定多数と活動を共にしている人もいるし、
一刻一秒を惜しみながら生活している人だっている。
じゃあ答えはっていうと、自分では「社会に貢献しているかどうか」かなとか思った。
でも、たぶんこれも本質じゃない。
学生だって社会に貢献していないわけじゃないと思う。
うーん・・・。
そこで逆に、学生と社会人の共通点は何だろうと考えてみた。
この答えは簡単だ。
それは「人」であるということ。
だから結局、学生も社会人も変わんないんだよっていうのが自分の中での結論。
だって人なんだもの。
社会に出れば、周囲の環境や、文化や、生活条件は変わる。
同年代で気が合う人とばかり交流するわけにはいかないかもしれないし、
「ビジネスマナー」というお約束を身につけなければいけないかもしれないし、
一定水準以上のお金を稼がなければいけないかもしれない。
でもそれをやっているのは、一人残らず全員「人」なのだ。
就職活動支援とかをやっていると本当に思うけど、
「学校」と「社会」があまりにも切り離されすぎているから、
どちらも中にあるものは同じ「人」なんだっていう単純なことを忘れてしまいそうになる。
というか、誰より自分がそうだったな・・・。
学生のうちから「社会」と「かっこいい社会人」の姿が見えれば、
働くということがもっと身近なことに感じられるはず。
そんな社会を作りたい。
そんな社会を作りたいと思っている人が、身近な人だけでも数人いるということを知った。
「理想の社会はこうすれば作れる!」と、妄想のようなビジョンを語り合う、
そういうときのワクワク感を常に忘れないことが、
今の自分にとっては何より重要なんだな。
締めくくりとしての、「コンパスってそういうことだったのか会議」という大会議を終え、
ある者は社会へ巣立つべく、ある者は自身の就活へ専念するべく、
みなそれぞれの道へ歩きだした。
最近、ふと「学生と社会人の違いって何だ?」と考えることがあり、
学生たちとの飲み会のなかで、聞いてみた。
ある人は「責任の重さじゃないっすか?」と言った。
ある人は「付き合う人を選べるか選べないかじゃないですか?」と言った。
またある人は「時間の価値じゃないですか?」と言った。
なんか、どれも合っている気がするが、どれも本質ではない気もする。
学生だって責任を背負っている人はいるし、
不特定多数と活動を共にしている人もいるし、
一刻一秒を惜しみながら生活している人だっている。
じゃあ答えはっていうと、自分では「社会に貢献しているかどうか」かなとか思った。
でも、たぶんこれも本質じゃない。
学生だって社会に貢献していないわけじゃないと思う。
うーん・・・。
そこで逆に、学生と社会人の共通点は何だろうと考えてみた。
この答えは簡単だ。
それは「人」であるということ。
だから結局、学生も社会人も変わんないんだよっていうのが自分の中での結論。
だって人なんだもの。
社会に出れば、周囲の環境や、文化や、生活条件は変わる。
同年代で気が合う人とばかり交流するわけにはいかないかもしれないし、
「ビジネスマナー」というお約束を身につけなければいけないかもしれないし、
一定水準以上のお金を稼がなければいけないかもしれない。
でもそれをやっているのは、一人残らず全員「人」なのだ。
就職活動支援とかをやっていると本当に思うけど、
「学校」と「社会」があまりにも切り離されすぎているから、
どちらも中にあるものは同じ「人」なんだっていう単純なことを忘れてしまいそうになる。
というか、誰より自分がそうだったな・・・。
学生のうちから「社会」と「かっこいい社会人」の姿が見えれば、
働くということがもっと身近なことに感じられるはず。
そんな社会を作りたい。
そんな社会を作りたいと思っている人が、身近な人だけでも数人いるということを知った。
「理想の社会はこうすれば作れる!」と、妄想のようなビジョンを語り合う、
そういうときのワクワク感を常に忘れないことが、
今の自分にとっては何より重要なんだな。
匿名希望 |
2008.03.22(土) 19:33 | URL |
【コメント編集】
>匿名希望さん
貴重なお考えをどうも!
つまり、社会の一員になるっていうことは、ネットワークの中で利益を上げることだということでしょうか。
学生のアルバイトであっても、働いているときはある意味「社会人」だっていうことですね。
「ネットワークの中で利益を上げること」(=社会還元的であること?)が重要なのかもしれないですね。
また、そう考えると結局「学生」か「社会人」かと二分することに意味はないのかもしれませんね。
大変参考になります。これからもよろしくお願いします!
貴重なお考えをどうも!
つまり、社会の一員になるっていうことは、ネットワークの中で利益を上げることだということでしょうか。
学生のアルバイトであっても、働いているときはある意味「社会人」だっていうことですね。
「ネットワークの中で利益を上げること」(=社会還元的であること?)が重要なのかもしれないですね。
また、そう考えると結局「学生」か「社会人」かと二分することに意味はないのかもしれませんね。
大変参考になります。これからもよろしくお願いします!
社会人とは社会に属す人ですよね。
ならば、学生も日本国民であり、ある自治体の住人なのだから、社会人なのではないでしょうか。
学生と社会人とは対称の存在ではなく、社会人の中に学生や会社員という区部があるのではないでしょうか。
世間一般でいう社会人とは、会社員等、職をもつ人を指すようですが。
ならば、学生も日本国民であり、ある自治体の住人なのだから、社会人なのではないでしょうか。
学生と社会人とは対称の存在ではなく、社会人の中に学生や会社員という区部があるのではないでしょうか。
世間一般でいう社会人とは、会社員等、職をもつ人を指すようですが。
ななし |
2010.03.10(水) 01:12 | URL |
【コメント編集】
>ななしさん
おっしゃるとおり、学生だって立派に社会の構成員なわけですから
本来の意味からいえば「社会人」といったときに
学生もその中に含めるべきかもしれませんね。
上記事は世間一般でいうところの「社会人」を前提に書いていましたが
そもそもの言葉の定義から疑問をもってみてもよかったかもしれないですね。
おっしゃるとおり、学生だって立派に社会の構成員なわけですから
本来の意味からいえば「社会人」といったときに
学生もその中に含めるべきかもしれませんね。
上記事は世間一般でいうところの「社会人」を前提に書いていましたが
そもそもの言葉の定義から疑問をもってみてもよかったかもしれないですね。
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これらは「金を稼いでいるかどうか」という判断基準を元に分割されるものであり、より端的に言えば、「企業」に属するかどうかで分けられる。
(厳密ではなく、この場合は金を稼いでいる=何らかの社会ネットワークに所属している=企業に属しているという具合である)
金を稼ぐ=社会人である。しかし、金を稼がない=学生とはいえない。「学生」はそのナのとおり「学校」に所属している人間である。学生の身だが、アルバイトなどで利益を上げるものもいる。また、ボランティア(この場合は無償行為)だけで生活している方々は、また少し異なる位置づけだと考える。
結論 私は社会=ネットワーク<の中の利益を上げられる立場>であると現時点では考えます。
終わりに 勝手な主義を展開して申し訳ありませんでした。また、このように社会と学校を視点を変えて評価する機会をいただいて感謝します。これからも、応援しています。