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教育人間塾:「一身独立」と「交際」  
2008.04.07 (Mon)
第3回教育人間塾は、福沢の人間論。
結論から言ってしまうと、「一身独立」と「交際」についてである。

福沢はまず、人を「身体」からとらえる。
人は皆、他人と離れた"一身"をもっていて、自らの心身の働きを起こしている、と。
これが「一身独立」
(ちなみに「自ら」はもともと「身ずから(躬ずから)」と書いたらしい。なるほどー)

人間は他の動物と同じ自然の生き物であって、
誰でも蚊に刺されたらかゆい、棒でぶたれたら痛い。
皆対等なのだよ、と。

そして、心と身体は1つであり、自分の「かゆい」「痛い」は他人と取り替えられないのだから、
自分の身体は自分の心でもって制すべし。
Aさんの心でBさんの身体に命令しちゃならんし、
Bさんは自分の身体をAさんの心によって動かしちゃならん、と。


というわけで、人は皆一身独立して衣食住を確保すべし、と。
だけど、それだけで「独立の活計」とか「不羈独立」とかいって、えらそうにするなよ?
人が蒔いた種を何百倍にも育てあげるのは、人の力ではなくて自然の力だし、
衣食住の確保ができたところで、動物に劣らないというだけの話だ。

「万物の霊」たる人の目的は、「交際」にこそある、と。
広く人と交わり、世の益をなすべし、と。


こんな感じでしょうか。

個人的に興味深かったのは、近代の自由観は「身体の自由」と「移動の自由」からなるという話。

身体の自由に関しては、体罰やセクハラの問題に代表されるように、
他人の身体にふれることは重大な問題であるということ。
外国人は日本人よりも身体の接触に関して敏感だという話も挙げられていた
(これについては一度論文を書いたことがあるので、そのうち別エントリーで)。

移動の自由に関しては、まさにこれが制限されていたのが、
封建時代の身分制度であったと。
最近ちょうど参勤交代とかを生徒に教えていたので、なるほどと思った。
あとは、東西ドイツ分断も、結局「移動」を制限しきれなくなって崩壊したよねと。


さて、今後読み進めるときに、ちょっと気にかけておきたいポイントいくつか。

・「世の益をなすべし」って具体的にどういうこと?

前回の「差図」って、Aさんの心でBさんの身体を動かすことじゃないの?
 「一身独立」してる限りは、「差図」も不要ってことかな?

・「天は人の上に~」の"天"って何なの?"自然"とは違うの?(他の方より)

・福沢は「人は一身独立だ。但し、分限を越えない(他人の妨げをしない)限り」と言っているから、
 これは既に「交際」があることを前提にしてるんじゃない?(他の方より)


今後も福沢の言動から目が離せない!



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edit |  23:41 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
コメント
■いつもながら見事なまとめですね。
村山です。いつもながら見事なまとめですね。

さらに、今回はとくに、身体の自由や移動の自由について関心を強くされたようで、嬉しいです。これは、近代の自由感の基本にかかわるところで、さらに法律論などでも追求してみると面白いでしょう。

体に触ることに関する、日本人と西洋人との違いについての別コメントも興味深く拝見しました。
村山紀昭 |  2008.04.10(木) 23:10 |  URL |  【コメント編集】
>村山先生

コメントありがとうございます。恐縮です・・・。

セクハラや痴漢等の問題に関する関心度なんかを考えると、
女性に比べて我々男性は「身体の自由」についての意識は弱いかも
なんて考えたりしていました。

法律の成り立ちや時代背景から学んでいくと、また違った発見があって面白そうですね。
oika |  2008.04.14(月) 17:02 |  URL |  【コメント編集】
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