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教育人間塾:一身独立して一国独立す  
2008.08.11 (Mon)
すっかりごぶさたになってました。教育人間塾まとめ。
今回は、学問のすすめ第3編、「国家の独立」について。


初編で福沢は、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
だから自由平等だよーと言っている。
人は万人皆同じ位で生まれながら上下の別なく自由自在うんぬんと。

第2編ではさらに、人というのは皆「天地の間の造物」
人と人との釣合は「同等と言わざるを得ない」と言っている。

地頭と百姓とでは「有様」は違うけれど、権利は違わない。
百姓の身に痛いことは地頭の身にも痛いし、
地頭の口に甘いものは百姓の口にも甘いだろうと。

有様の違いで他の権利を害するのは
力士が我に力ありと隣人の腕をひねり折るようなもので、
隣人にすれば、力士よりも力が弱いという理由で
いわれなく腕を折られるのは迷惑至極だと。
そらぁそうだ。


福沢はこれを人民と政府の関係にも当てはめる。
強弱の有様は違っても、権利は対等であるべきだと。

百姓は米を作り、町人は者を売買して世の便利を達する。
一方の政府は法令で悪人を制し善人を保護する。
そのための費用を年貢でまかなう。

これを、人民と政府の「約束」と言っている。

ここでのポイントは、国民は人民としての「働き」(=私立の活計)をすることで
はじめて国と対等になれるということ。
この「働き」がないと、国の威光を恐れてへつらうことになってしまう。


次に福沢は国家と国家の間の関係性についての話をしている。
ここが第3編になる。

はじめに福沢は、国家とは人の集まりなのだという話をしている。
そして、1人の人が1人の人に害を加える道理がないのだから、
100万人が100万人に対して害を加える道理もないのだと説く。

富強な国と貧しい国とで有様の違うことをもって
富強な国が貧弱な国に危害を加えるのは
力士が病人の腕をへし折るようなことだと。

そして、国とは人の集まりなのだから、
国の独立とは、国民が独立するということだと。
これが「一身独立して一国独立」である。

「独立」とは、他人の心に依存しないことであり、
他人の知恵に依らないことであり、
また、他人の財に依らないことである。

福沢曰く、
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、
人に依頼する者は必ず人を恐る、
人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり。



国民に独立の心がないとどうなるか。

1. 国民が国のことをわが身に引き受けようと思わず、
国のことを憂い、国のために尽くすことがなくなる。

2. 国の中で独立できないものは、外国人に対してもまた
独立の権義をもつことができない。

3. 政府を恐れて訴えをおこせない者は
他人に依頼して悪事をなすかも?

よって、国を愛すなら、まずは自己の独立をはかり、
余力があれば他人の独立を助けるべし、ということだ。

人を束縛して独り心配を求めるより、
人を放ちて共に苦楽をともにするべし。


素晴らしい言葉である。


この日の話を聞いているときに考えていたのは、
「独立」には精神的な独立も経済的な独立も含まれるということだが、
経済的な独立、つまり衣食住を確保していくことと、
精神的な独立として、自尊心を持って生きることとは
現実には対立する場面があるだろうなということ。

例えば、会社で上司に、違法行為などを指示されたとき、
自分の意志には反するが、逆らえば職を失うというような場面で
選択を迫られる機会がきっと誰にでもやってくる。

まず生きていくためには経済的独立がなくてはならないから
つべこべ言わずに働いてお金を稼ぐ必要があるんだけど、
かといって、前にも出てきたように、
衣食住を確保するだけなら「蟻」と変わらない。

そこで何を第一に優先して生きるかというのは
けっこう深い人生のテーマであるかもしれない。


漫画家の福本伸行氏は、前にテレビで
男にとっては「命よりも自分が大事だ」とおっしゃっていた。

友達が不良に絡まれているとき、
命を大事にするなら見て見ぬふりをすべきだが、
自分を大事にすべきなら助けに行くべきだと。

人は皆、そういう場面で助けに行けなかったりして
「むむむ」という思いをしながら生きていくんだけど、
その「むむむ」を感じなくなったら、人として問題だよね
みたいなことを話されていたと思う。


そういえば中学のときのある先生は、
「カツアゲにあったら迷わず逃げろ」と言っていた。

それよりちょっと前の時代には
「負けてもいいから立ち向かってみろ!」
みたいな指導のほうが格好良しとされてたんじゃなかろうか。
実際にそう言われたことがあるわけじゃないのでわからないが。

ただ、子ども同士でもナイフで刺されるような事件が目立つようになってきて、
教師も軽々しくそういうことを言えなくなってきた。

最近では、「レイプされそうになったらさせなさい」の覚悟という話を読んで、
こういう愛の形もあるのだと感動した。

しかし教育者として子どもたちに何をどうやって語っていくかというのは
本当に難しい問題だなぁと感じる。



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