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「実りある退屈」という感覚  
2009.04.19 (Sun)
齋藤孝氏の『理想の国語教科書』にて、
ラッセル『幸福論』より「退屈と興奮」の抜粋を読む。
うーん、改めて考えさせられるものがある。

ラッセルは言う。退屈には二種類あると。

一つは、実を結ばせる退屈であり、もう一つは、人を無気力にする退屈である。実を結ばせる種類は、麻薬のないことから生じ、人を無気力にする種類は、生き生きとした活動のないことから生じる。


この前者について、麻薬やそれに似た興奮が多すぎることの問題を、
以下のように表す。

多すぎる興奮は、健康をむしばむばかりではない、あらゆる種類の快楽に対する味覚をにぶらせ、深い全身的な満足をくすぐりで置き換え、英知を小利口さで、美をどぎつい驚きで置き換えてしまう。


そして、
「退屈に耐える力をある程度持っていることは、
 幸福な生活にとって不可欠であり、
 若い人たちに教えるべき事柄の一つである」
と結論づける。


さらに、
「偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいるし、
 古来、偉大な生涯は、おしなべて退屈な期間を含んでいた」

という表現。
これは真理ではないか。

特に後者について、
「偉大な事業は、粘り強い仕事なしに達成されるものではない」
というのには説得力がある。


齋藤孝氏は、以下のようなコメントを添えている。

同じ作業を毎日繰り返すことによって、掘られる井戸は深くなり、後で湧き出す泉は豊かになる。ラッセルの「実りある退屈」という考え方は、私たちの生活を捉え直すための決定的なキーポイントだ。退屈さを恐れるあまり、興奮に走れば、より退屈が怖くなる。「実りある退屈」という感覚を幼いときから技とすることによって、生き方はまったく変わってくる。



「実りある退屈」という感覚を幼いときから覚えさせる。
うーん、難しいことですねぇ。

なんせ、現代の生活は刺激に満ち溢れている。

多くの家の子どもは、絶えず小刻みに刺激を提示してくれる
テレビやゲーム、携帯やPCと共に、退屈を感じることなく育つ。
勉強よりも楽しいもの、「くすぐ」ってくれるものが多いから
退屈な勉強のために時間を使うことを嫌がる。

本も映画も音楽も、退屈なものは売れないから、
「どぎつい驚き」によって刺激的なものに仕立て上げられる。


ただ、考えてみると、近年爆発的に増加した「プログラマ」という職業が
実りある退屈を積み重ねて大成する性格のものに感じられるのは興味深い。

10代の「天才プログラマ」なんかもちょくちょく出てくる。
そういう人は、小さい頃から既に「くすぐり」に甘んじることなく
「深い全身的な満足」を得るために時間を使うことを覚えているのだろう。

そう考えると安易に「いまどきの若いもんは・・・」なんて言えないかな。


とりあえずラッセル幸福論をちゃんと読みたい。



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