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現代文の授業がなんのためにあるのか、ずばり答える。  
2009.08.14 (Fri)

 では国語では。特に現代文では。期待されているのは、現代の日本で出回っている書籍のうち、かなりの部分を自由に読む能力を身に着けることだろう。

現代文の授業とかなんのためにあるのかわかんね - G.A.W.

もうまったくもってその通りでしょう。

厳密には、「国語」に期待されるのは「読む」「書く」「聴く」「話す」の
四領域なわけだけれど、ここではとりあえず「読む」について考える。


現代文の授業の大きな目的な、「読む」力をつけること。
そのために授業では、いわばケーススタディとして、
代表的な教材を使って、「読む」練習をするのだ。
この場合の「読む」というのは、つまり「精読」である。

大人からすると、授業でわざわざ精読なんてしなくても
現代文の文章なんて読めばわかるだろうと思ってしまいがちだが、
これは間違い。

そう思う人には昔をよく思い出してもらいたいのだが、
実際には、一読しただけではよく意味がわからなかった文章が
ゆっくり時間をかけて授業で読んでいく中で
ようやく理解できたという経験があったはずだ。

わかりやすい例では、『山月記』は今高校2年生で扱う教材だが、
そこそこの進学校であっても、一読しただけで
「虎になった李微が旧友の袁さんに出会う話だ」
というのが理解できない子が少なからずいる
(学力レベルの高くない北海道の場合ではありますが…)。

もちろん、一読でほとんど理解できてしまう子も多くいるが、
そういう子にとっても、「こう書いてあるからこう読めるんだ」という
論理的な読み方を学ぶことは、間違いなく無駄にならない。

算数であっても語学であっても、
なんとなくわかる問題をしっかり理解することが重要な基礎になるのだ。


「登場人物のこのときの心情を答えなさい」という問題に
正解があるのがおかしいという意見も度々目にするが、
「登場人物の心情がなぜわかるのか」と聞かれれば
「書いてあるからだ」としか答えようがない。

実際に、北海道の昨年度の公立高校入試で出題された
現代文の問題を見てみよう。

「洪か、よく来たな」
 祖父は眼を細めた優しい表情をして、静かな声で言った。洪作は黙って頭を下げた。祖父は改めて頭のてっぺんから爪先まで見廻すようにして、
「大きくなったな。唐とどっちが大きいかな」
 と言った。
「同じくらいです。」
 洪作が少し緊張して答えると、祖父はもうそのことからは思いを移している風で、
「どれ、椎茸飯でも御馳走することにするかな。――どっこいしょ」
 そんなことを言って、台所の方へ廻って行った。

(井上靖「しろばんば」による)

問三
「祖父はもうそのことからは思いを移している風で」とありますが、祖父は、どのようなことから、どのようなことへ思いを移している様子だったのですか。最も適当なものを、ア~エから選びなさい。
ア 長い間顔を合わせることがなかった洪作の成長ぶりから、洪作たちをもてなすことへ
イ 黙って頭を下げたときの洪作の緊張ぶりから、唐平がここに来る途中で言ったことへ
ウ 洪作に会ったのはいつだったかということから、粂さんに洪作たちを案内させることへ
エ 洪作と唐平とではどちらの背が高いのかということから、粂さんが姿を現したことへ



答えはア。

洪作の答えに対して「そのことからは」と書いてあるのだから、
それまで関心のあった「そのこと」というのは
洪作が大きくなったこと、あるいは、唐平との身長差ということになる。
だからイとウは×。
イはそもそも、洪作が「黙って頭を下げた」ときに緊張していたとは書いていない

思いを移した先はというと、「椎茸飯でも御馳走することにするかな」だから、
「洪作たちをもてなすこと」となって、アが正しい。
ウとエの後半は、この先の部分で出てくる内容だ。
イは、もしかしたらそんなことに思いを移していたのかもしれないけど
そんなことは書いていないので、勝手に想像してはいけない。

こう言われると、「自由な想像で読ませろよ!」という人がいると思うけど、
想像力をふくらませて読むのが悪いなんて誰もいっていない。
だた、「別にあんたの想像は今きいてないよ」ということだ。
適切に読みとれることを読みとる前に勝手に妄想を広げてしまうのは
作品に対する侮辱であるし、あまり生産的なことでもない。

つまり、「心情を答えろ」というのは、「心情を想像しろ」
ということではなくて、「心情がどう描写されているか」を問うてるのだ。
あくまで読解の問題である。


ただ、ここまで書いたことは実際には国語教育の達成目標であり、
現実には決して満足のいくレベルで達成されているとはいえない。

特に高校の現代文とかになると、
あまりにも自明な内容の問題では点数に差がつかないからってことで
とにかくひねくれた問題作りに終始することになり、
その結果、その種の問題を解くためのテクニック磨きに力を入れたほうが
利口だという状況が生まれる。

だからこそ国語教育に不満を持つ人がかなり多いんだけど、
みんな「国語の授業なんて意味ねえよ!」っていうほうにいっちゃうから
代案がない以上は続けるしかないだろうってことで
この種の議論はいつもそれ以上進展がないまま終わる。


私は、国語の授業自体はいうほど悪いものではないと思っている。
でもやっぱりテストのやり方はもう少し工夫する必要があるだろう。

授業がつまらない理由に、とりあえず目先の入試で役に立つ気がしないから
というのがある程度あるんでないかと思う。



関連エントリー:
あまのじゃくと社会構成主義―いわゆるフィンランド・メソッド
読解力がなければ独学はできない
読解力を鍛える方法
edit |  11:14 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
コメント
現文の設問って、書いてある以上のことを聞くことはまず無いんですよね。
それに、その設問っていうのは「こいつは人の話を誤解なく聞けているかどうか」を判断するのに良いポイントでもあるわけで。
  |  2009.08.15(土) 13:12 |  URL |  【コメント編集】
かくいう僕も正直国語のテストには文句ばっかり言ってましたけどね(笑)

>「こいつは人の話を誤解なく聞けているかどうか」
これはその通りで、だから題材は小説であっても評論であっても
そんなに関係ないんですよね。
oika |  2009.08.15(土) 20:30 |  URL |  【コメント編集】
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