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用例の収集が言葉の意味を規定する  
2009.11.02 (Mon)
理想の国語教科書』が名著なのは、
小学生が一読しただけでは完全に理解できないような文章を音読させ、
あきらかにわからない語句もあえて意味を説明しないという、
「齋藤メソッド」のコンセプトゆえである。

一見乱暴なように思えて、
実はきわめて理にかなったやり方なんじゃないかと思った。


言葉とは、そもそも文脈で覚えるべきものなのである。
国語教育の教材に、わざわざまとまった文章を用いる意味も
ひとつはそこにある。

「不謹慎」という言葉の意味を調べて、
「つつしみがないこと」という解を得てもピンとこないが、
「死んだ人のことをネタにして笑うなんて不謹慎だ」
という例文を読めば、だいたい意味を推してはかれる。


言葉の意味は例文で覚えたほうがわかりやすい、というよりは、
用例の収集によって言葉の意味が規定されるといったほうが
真理に近いのではないか。

ツンデレ」、「リア充」など、
ウェブ上で生まれるスラングを見ているとそれがよくわかる。

「今日から○○という表現を使います。△△という意味です」と
誰かがある日突然宣言するわけではなく、
どこかで誰かがたまたま用いた表現を、別の人が真似して使い、
広まっていくうちに、○○とは△△という意味なんだなというのが
文脈の中でなんとなく認知されていく。

もちろん、一人の学者が論文の中で新語を用いる場合など、
初めから意味が明確に定義される言葉もある。
しかしその場合でさえ、その後言葉のみが一人歩きして
使われ方が変化していくことも少なくない。

そうやって言葉の使われ方が変化していくときに、
それを「乱れ」ととらえるか「変化」ととらえるかというのは
また難しい問題であるが・・・。


ともかく、ここで私が強調したいのは、
文脈を抜きに言葉の辞書的意味だけ覚えて
それでわかった気になるのは危険だということだ。

たとえば、「檄を飛ばす」という言葉は
しばしば誤用されがちな表現としてとりあげられる。
「元気のない人に刺激を与える」という意味で使われやすいが
正しくは「自分の主張を広く知らせる」という意味だと。

以下のページでは、こういった誤用の解釈について、
「省略されているため言葉の意味を正確に表してはいない2つの文を持ってきて、
 一方的に正しい/誤りを決めつけるのはおかしい」とバッサリ。

五・一五事件の「檄文」などを例に、
「檄」を表すにはどちらの表現でも十分でないと解説されている。

たしかにこれらの文は「自分の主張を広く知らせる」文ではあるが、単に「自分の主張を広く知らせる」という説明で思い浮かぶものとはかけ離れている。
 檄の一番重要な部分は、人々に対して行動することを求めているという部分だ。理由を示して「△△だから○○すべきだ」と言うが、一番言いたいのは「○○すべきだ」の部分である。

 (「檄を飛ばす」の本当の意味 | iwatamの個人サーバ


文脈の中で新しい言葉を覚えるという意味では、
漫画本だって大いに役立つ。

天津飯がやられるシーンで「む、無念…。」とつぶやく。
また、ある日の新聞で「無念の敗退」という言葉を読む。
そのうちに、なんとなく「無念」を使う場面がわかってくる。
そういう感覚をもった上で辞書の意味を調べれば、
実感を伴った理解ができる。

そうすることで初めて、「使える」言葉を手に入れられるのではないだろうか。



関連エントリー:
「よろしかった」は過去形じゃなくて完了形でないだろか
日本語にも定冠詞と不定冠詞の違いは存在するッ・・・!!
現代文の授業がなんのためにあるのか、ずばり答える。
edit |  21:57 |  我思う  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑ | あとで読む このエントリーを含むはてなブックマーク
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