2009年7月~12月分の発表です!
7月:袋は欲しいけどストローはいらない
味のあるコトリコ氏のブログから。
袋は欲しいけどストローはいらない - コトリコ
店員さんが間違えると、その都度フクロではなくてストローですなどと主張しなくてはならない。これは自己主張苦手な日本人には辛い。欧米人なら我先に手柄を主張して、フクロとストロー間違いで裁判を起す。しかしアジアの人々は利口ですから、そんなことはしません。フクロではなくてストローですと、笑みを浮べて静かに発言するばかりなのです。これはとても面倒くさい。
コトリコ氏の書く文章は、1文1文、手を抜くことなく、
全ての表現に読み手を楽しませようという心持ちが感じられるのがいい。
これはマネをしようと思ってもなかなかできない芸当だ。
完全に蛇足ながら、今のレジ袋はビニール製じゃないみたいですよ。
(出典は『偽善エコロジー』)
8月:ぜんぶ、ストIIのせい
心地よいリズムのある文体。音読向きである。
ぜんぶ、ストIIのせい - 飲めヨーグルト
愛するものが間違っていることを分かっていて、それでもなお、愛する。簡単なことだ。僕たちが何度も何度も繰り返してきたことだ。しかし、こうした愛の作用を、無反省に信じ切ることは、果たして許されることなのだろうか?
書き出し方が実に巧みだ。
当時「ストII」にはまったゲーマーならば、書き出しの1単語を見た時点で、
すごい勢いで本文に引き込まれてしまうだろう。
考察も面白い。
このゲームを知らない人であってもわかるような配慮もされているし。
個人的にも「ストII」は初めてやり込んだ格闘ゲームだったりして
愛着があるのだけど、こんな視点は全く持ち合わせていなかったなぁ。
9月:いま、学校教育に求められているもの
内田樹氏のブロブから、教育論的なものをひとつ。
いま、学校教育に求められているもの (内田樹の研究室)
学校が成熟の場であるということは、平たく言えば、学校で、子どもたちは「すぐれた探偵」になるための訓練を受けるということである。
手がかりは現場に残された意味不明の断片と、つじつまの合わない証言だけ。
それを手がかりに、一人また一人と「行き先を教えてくれそうな人」を探り当て、彼らからそのつど有用な情報と支援を引き出し、最後に関係者全員を前にして、「ここでほんとうは何が起きたのか」についてつじつまのあった物語を一篇語る。
このような論説文を音読することのひとつの効果は、
筆者が選択したひとつひとつの言葉をもらさず咀嚼できること。
普段から速読の習慣がついてしまっている人などは特に、
自分の内的辞書に載っていない言葉をとばして読んでしまったり、
自分で解釈しやすい別の語に置き換えて読んでしまったりということを
どうしても無意識的にしてしまいがちである。
その結果、
「学校で子どもたちは、すぐれた探偵になるための訓練を受ける」
という簡易な表現の結論部だけを見て、
こいつはトンデモナイことを言っているな!なんて
半分しか理解していない状態で批判してしまったりする。
文章を読んで、いまいち何を言っているのかわからないなと思ったときには
ぜひ一度、音読をお試しいただきたい。
10月:東京ゲームショウで会ったコンパニオンと自分のこと
ゲーム業界で働かれているIDA-10氏のブログより。
東京ゲームショウで会ったコンパニオンと自分のこと - GAME NEVER SLEEPS
「や、でも自分の作ったゲームをすごく楽しみにしてくれるって嬉しいですよ。お姉さんも、綺麗だなーって写真撮ってもらうのって嬉しくないですか?」
「別に。辞めるし。キモいから。」
「え、辞めちゃうんですか?」
「いじめとかちょうウザいし、23のババアのくせに。寄ってくるのもキモいし。すぐ別に行っちゃうし。あ、あたし行くから。」
まったく意思決定の論理体系を異にするような人を見ることで
かえって自分と同じ部分に気づき、内省することができるのだから、
とかく人間は面白い。
2人の登場人物に対し、今の自分を重ね合わせてみたくなる人もきっといるだろう。
声に出して読んで、いまいちど深く噛みしめておきたい。
11月:不良芸人日記
お笑いコンビ「ダイノジ」大谷氏のブログから。
ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: 不良芸人日記
一生背負っていくものがあるとしたら、その答えなんぞいらないから
ネタにだけしたいなって思った。
芸人になって、なんとやさしい世界だと思ったとき、そう思ったからだ。
ここでは悲劇が喜劇に変わる。
なんてやさしい世界なのだろうか。
唐突にあっちこっちに話が展開。
そこに何の脈絡もないようにみえて、
実はなんともトリッキーな構成になっていたりする。
「現在」の自身の思想から、「最近」の息子の出来事へ、
さらに「過去」の話へと深く潜り込まされたかと思うと、
そこから「過去」→「最近」→「現在」とちゃんと引っぱりあげられて
もといた場所に着地する。
芸人ならではの気の利かせ方か、ひとつのアトラクションのような文章だ。
ちなみに、もとのブログで見ると段落分けが全くされていないように見えるが、
一度本文をコピーして別のテキストエディタなどに貼り付けてみると
実はちゃんと内容のまとまりで行間が空けられているのでした。
12月:「水のにおい」に関する小文
いつもは店舗経営に関する興味深い考察を提供されている
コンビニ店長nakamurabashi氏の素朴なエッセイ。
「水のにおい」に関する小文 - G.A.W.
ある作品の、ストーリーや全体像ははっきりと覚えていないのに、特定の文章や、マンガなら1コマ、そんなものばかりがやたらにくっきりと記憶されているという現象はよくある。俺にとって「水のにおい」という表現はそうしたもののひとつだ。
「におい」という感覚に対するメタ認知。
素朴ながら奥深い。
作品のストーリーをすっかり忘れてしまっても
なお記憶に残るひとつの表現。
そんな素敵な表現を作り出せる人はすごい。
またそれをそのように受容できることも素敵なことだ。
2010年はそんな表現をたくさん受容できるといいなあなどと思った。
以上、2009年に発表された文章から、
音読に値するものをいくらかピックアップしてみた。
なんとか年内に間に合った!
いかがだったでしょう。
なかなか力のある文章を集められたのではないかなと思う。
ちょっと観測範囲に偏りはあるものの・・・。
それにしても1年はあっという間だ。
それでは、来年もよろしくお願いいたします。よいお年を!