いちからプログラミングを勉強しはじめて1ヶ月と半分、
それなりに書けるようになってきた。
楽しい。
今は、こういうの作れっていう課題を先輩から出してもらって、
行き詰ったら質問させてもらいつつ、基本自由にやらせてもらってる。
知的好奇心を刺激する絶妙なレベルの課題を用意してくださるもんだから、
それまでに覚えた知識を応用させて組み立てていくのが大変面白い。
なんとなく懐かしい感覚を伴うなーと思って、
なんだろうと思ってたけど、あれだ。
数学の問題を解くときの感覚に非常に似てる。
そもそもプログラミング自体が数字の処理そのものであるし、
絶対的なルールがあって、それゆえにルール上での自由が保障される点、
答え(目指すもの)はひとつだけど解き方がいくつかある点など
似ている点はたくさんあるのだが、
学習時に感覚的に懐かしさを覚えるのは、特に、
どちらも模範解答が用意されているという点に由来する。
受験数学の問題集ほどではないにしろ、
学習初期の時点で取り組めるような課題の多くは
少し検索すれば似たようなコードをすぐに見つけられる。
だから長時間かけて自分であれこれ頭を悩ます間に
サクッと検索して答えを見つけて真似しちゃったほうが
はるかに効率が良かったりする。
そんなその場しのぎのやり方では力が身につかない、
自分で考えることが大事なんだという意見もあるだろうけど、
実際のところどうなんだろう。
数学の受験勉強でも、自分で考えて問題を解くことが大事かどうかは
議論が分かれる部分である。
「問題を解くな」派の代表として、暗記数学の和田秀樹氏がいる。
ベストセラーとなった著書『受験は要領』でも
和田氏は以下のように述べている。
問題集は解くためにあるのではない。解かずにすぐ答えを見て、憶えるためにあるのだ。
受験勉強を能率的に進めるには、自分で問題を解こうとする「自力主義」は、百害あって一利なし、確実に点を落とすだけである。なぜなら、自力で考えるために、時間を必用以上に浪費し、しかも、ときには間違ったイメージを頭に残してしまうからだ。
また、自身が家庭教師をしていたときの経験として、
東京の名門私立高校生に数学を教えたときのエピソードを以下のように書いている。
私は彼に数学を教えるとき、受験数学は暗記力テストなのだということを、こんこんと説いた。(中略)ところが、彼はそんな私のやり方に頑として抵抗した。いや、抵抗したというより、なまじ頭の良かった彼は、手強そうな問題にあたると、何時間でも机の前にかじりついて、自力でその問題を解こうとしてしまうのである。これでは、ノルマも消化できるわけはない。結局、彼は、東大はおろか、世間で言う二流大学に甘んじた。
後者のエピソードはさすがに極端だが、
和田氏の主張はつまるところ以下のようにまとめられる。
・受験数学の力は解法を数多く暗記することで身につく
・自力主義は効率が悪い
私はこの主張自体に特別反論があるわけではない。
自分自身の経験から納得できる部分も多くある。
ただ、今は考えるのが楽しいんだよなぁ。
API見て、これ使えばひょっとしてうまくいくんじゃね?って思ったのを試して
思い通りの結果が得られたときの高揚感。うはー!っていう感じ。
あるいは、どうにもうまくいかなくて、散々悩んだ後に正解を見て
こんな簡単にできたのかよおおおって悶える感じ。
会社のためにも自分のためにものんびりはしていられないので、
必要以上に時間をかけずどんどん効率的に学習していく必要はあるのだが、
ここはぜひ自力で解いてみたい!っていうポイントは
少し時間をかけてでも考えてみるようにしている。
学習意欲を高く保つことも効率に影響しますからね(自己正当化)
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