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ハチヨン世代の働く理由  
2010.07.05 (Mon)
先週末、「84ism」の桃子さんという方から取材依頼を受け、
お会いして様々なお話をさせていただいた。

この、84ism(ハチヨンイズム)というウェブマガジン、
存在は知っていたのだけれど、今回はじめて、ちゃんと拝読した。

ハチヨン世代(=1984年度生まれ)の人たちに焦点を当てたサイトで、
それ自体、みなハチヨン世代の人たちによって運営されている。

それで今回、
「ハチヨン生まれでよくわからんことをやっている人@北海道」ということで
私めなぞを見つけていただき、ご連絡くださった次第であった。

そんなわけでこちらが取材を受けるということだったんだけど、
このライターの桃子さん自身が相当おもしろいことをされてる人で、
むしろこちらから取材をお願いしたい心境だった。

 
桃子さんは大学卒業後、アルバイト&ボランティアの生活や、
4ヶ月にわたる海外での国際交流の経験などを経たのち、
東京のマスコミ企業で1年半のあいだ働いていたが、
この5月に退職を決意。

「働く」ということについて改めて真剣に考えるため、
日本全国をまわっていろんなハチヨン世代に会ってみようなどと
思いついてしまっただけでなく実行にうつしてしまったからすごい。

それでこの度、北海道へやってきたわけである。
新潟から船にマイカーを積み込んで。ようこそ!

以下、桃子さんのコラムから転載。

今月から、車で日本旅行に出発します。
仕事辞めて、家を解約して、車買って。

旅行内容はブログ「拝啓、おばあさま」でぐだぐだと更新していく予定ですが
ついでなので、いろいろなハチヨン世代に会ってきます。
同じ日本とはいえ、違う場所、違う業態、違う目的、違う考えを持っている
いろんなハチヨン世代に会って
「ねえねえなにして生きてんの?」と訊いてこようかなーと思っています。
「なにがしたくて生きてんの?」
「そのためになにをしてんの?」

“就職氷河期”だの
“終身雇用制崩れた”だの
“男女同権”だのと言われながら大人になった世代です。
(ギリギリ“ゆとり教育”は違うけれど、
大人にとっては似たようなものかもしれないです)

ずっと同じ会社で働き続けることは
全員共通の魅力でもリアルでもない。安心でも安全でもない。
意味が無いと感じれば、やる気もわかないかもしれない。

“働く”、つまり、“生きる”ことについて
ちょっとばかし考えて向き合ってかなきゃあいけない。

だからこそ、
みんなどうしてんの?って、
ナマの同世代の声を聞いてこようかな〜と思っています。



自分も4月に転職したばかりの身だったので、
そのときに考えていたこと、そのときから考え続けていることを
いろいろと想起させられた。

自分の世代の特徴は何だと問われたら、
客観的に分析して解を出すことはなかなか難しい気がするけれど、
そうだな、学生時代の就職期に一番耳にした言葉は、あれかな。
「3年3割」ってやつかなと。

時には根気のない若者を非難する言葉として。
時には、会社に終身を委ねられなくなった時代への溜息として。


世代間に価値観のギャップがあるのは当然であろう。
我々の世代にも、親の世代との間にあるべきそれが確かにあって、
あえて考察してみれば、ひとつにはそれは
「名の知れた企業に入ってしまえば安心」という価値観とのギャップである。

我々は大手企業がバタバタと倒れていくのを間近で見てきたし、
また、ぼけっとしているだけで自動的に年収が上がっていくシステムが
いまにも過去の遺物になろうとしていることを知っている。

親の世代ももちろんこれらを知識としては知っているが、
彼らはそうではない時代を生きた実体験がある分、
簡単に従来の価値観を捨てきれないところがある。


更にいうなら、
上の世代が目の色を変えて求めた「安定」というものの価値が、
我々の世代の一部には既にピンとこないものになっている。

簡単にいうと、飯が食えない生活を我々は想像することができない。
コンビニや飲食店で毎日大量に食料が廃棄されている社会におかれて
飢え死にする自分を想像する作業はなかなか困難なものだ。

そういったレベルでの「安定」というものは
我々の世代の一部の(もしかしたら大多数の)人間にとって、
あえて求める気になるようなものではなくなっている。

いくら経済的に困らない生活ができたって、
毎日毎日やりたくもない仕事をして、上司にどなられ客に怒られ
耐え忍ぶだけの人生じゃあ仕方ないじゃん。
それくらいのことを自然と考えてしまう程度には裕福に育ってきたのだ。

だから、もしも求めるべき「安定」があるとしたら、
それは精神的な安定(≠退屈)に他ならない。


すると、次に行き着くところは?

ずばり、「働くってなんだろう?」である。

我々の世代というのはつまり、嫌々働かなくっても
そこそこ生きていけることを知ってしまっている世代なのだ。

週3日4日の簡単なアルバイトだけでもいいし、
フリー無所属で好きな仕事だけ請け負ってもいいし、
株だって、FXだって、アフィリエイトだってある。
いい人を見つけて主婦/主夫コースも悪くない。
最悪、ニートでも親が食べさせてくれるし、
生活保護という素晴らしい制度だってある。
ベーシック・インカムだって実現するかもわからないし!

精神の安定を求めるなら、「働かない」というのは
容易にそれを実現する一つの魅力的な選択肢である。

じゃあ、なんでわざわざ働く必要があるんだろう?


だから我々は、働く理由を求めるのだ。

単にお金のためだけではない、魅力的な何かを「仕事」に求めるのだ。

就活のいわゆる「自己分析」というものを無意味だと切り捨てる人もいるけれど、
あの「自己分析」は、ひとつにはこれを考えるための大事な作業なのだ。

つまり、自分は仕事に何を求めるのか。

達成感?
社会貢献?
人との出会い?
仕事自体のおもしろさ?
自己成長?

これらは決して、企業が社員を働かせるための
体の良いきれいごとではない。
なぜ自分は働くのか、働く当人とってこそ深刻な意味をもつ問題である。

そしてこのように「働く」ということについて頭をめぐらせるとき、
それが「生きる」ということの思考へつながるのは、極めて自然なことだ。

結局は、自分が人生に何を求めるかということなのだから。


だから、同世代のほかの人たちが、この「働く」ということについて
どんなふうに考えてるのかっていうこと、
気にならないはずがない!

今後、桃子さんの目を通じて、全国のたくさんのハチヨンの頭の中が覗けることを
心より楽しみにしております。



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