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まともな人間の集まった組織がまともでない問題を起こしうる4つの行動バイアス  
2013.02.02 (Sat)
桜宮高校、ならびに日本女子柔道の体罰問題について、
ずいぶんと話題になっていました。
そんな最中、AKB48峯岸みなみの坊主謝罪動画が出てきて、
「あれは体罰の構図そのものではないか」といった意見も聞こえていた。

ここで個々の問題について論じるつもりはないのだけど、
たまたま見たテレビで
「どうして周りの誰かが指摘しなかったのか」
「まともな人間は誰もいないのか」
というようなことを言っていた人がいて、ちょっと気になったのです。

わりと他人事ではなくて、どんな組織でも異常な状況は起こりうるものだよね、
ということを認識しておくために、集団における認知・行動のバイアスとして
一般的にどんなものがあるかおさらいしておきましょう
(たまに自分自身の復習も兼ねて…)。


■トピックス


・役割効果
・ミルグラム効果
・傍観者効果
・リスキー・シフト(集団極性化)


■役割効果


あまりにも有名なスタンフォード監獄実験は映画にもなっている。

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模擬刑務所を作り、大学生を囚人役と看守役にランダムに割当てて、
実際の刑務所と同じような服装で、同じような生活をさせた。
それだけで、看守は次第に演技の枠をこえて攻撃的・権威的になり、
囚人は従属的・自己否定的になっていったというもの。
実験は、予定された2週間の半分の期間で中止されるに至った。

看守グループが囚人グループに対して行った、非人道的な行為に
注目されることが多い実験だが、もう一点興味深いのは、
実験参加者の家族や友人が途中で見学(面会)に来ていたにもかかわらず、
だれも異常な事態が起きていることに気づけなかったという点だ。

以下「情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは」から引用。

つまり囚人側は、実験と関係のない外部の人間に対しては、本音を漏らすことや助けを求めることは恐らく可能であったにも関わらず、そうしなかったのだ。また例えば、看守側の人間が決してそうした苦情をもらさないよう、囚人側に命令していた(例えば苦情を漏らした場合は、面会後に体罰を加えるといったように)としても、何も囚人側はそれに盲目的に従う必要はなかったはずである(何故ならば彼等は涙を流してさえ、途中離脱を訴えたのだ)。しかし彼等がそうしなかったのは、恐らく看守の仕打ちを恐れたためであり、それは即ち、彼等の間で実験という枠組みを超えて、看守と囚人という主従関係が、強固に成立していた事を示唆していると言える。つまりこの段階で、既に囚人側の被験者はあたかも本物の囚人のように従順な服従者へと変貌し、そして看守側もまた、日を追うごとに自分たちの”責任”に対して真摯になり、彼等囚人を決して釈放(=途中離脱)させまいと、支配的に、さながら本物の看守へと変貌していたのである。



人は役割を当てられるだけで、その役割らしいような行動をとるようになる。


■ミルグラム効果


ユダヤ人を収容所へ輸送する立場にあったナチス親衛隊員の名前をとって
「アイヒマン実験」と呼ばれている有名な実験。

「学習に関する実験」と説明されてやってきた実験参加者は、
もうひとりの参加者と2人ペアになって、くじ引きで生徒役と教師役に分けられる。
が、実はペアの相手は実験主催者の用意したサクラで、
くじは、必ず本当の参加者が教師役に、サクラが生徒役になるように作られている。

教師役の参加者は、生徒が出された問題に間違う度に、
送電盤から生徒へ電気ショックを送るように指示される。
しかも、1つ間違えるたびに電圧を15ボルト強くするように言われた。
電圧は15ボルトから、最大で450ボルトまで設定可能で、
送電盤の電圧のところには、315ボルトに「きわめて激しいショック」、
375ボルトに「危険」、435ボルトからは「××」と書かれていた。

実際には電気ショックは流れないが、生徒役のサクラは
電圧に応じて相応の演技をしてみせた
(150Vで悲鳴をあげる、330Vで完全に無反応になる等)。
参加者は、生徒の反応がなくなった後も、
無反応は誤答とみなして電気を送るように指示された。

参加者が、続行して大丈夫かと主催者に確認したときには、
主催者は「続けてください」と促した。
ただし、2度継続を促しても、さらに中止を申し出られたときには
そこで実験を中止した。

結果は、驚くべきことに、約6割の参加者が
反応を示さなくなった生徒に対して最大の450ボルトまで電気を送り続けた。

この実験結果は、ナチス戦犯のアイヒマンが
いたって平凡な性質の人間であった可能性を十分に示している。

どんな人でも、権威のもとに置かれたときには
命令者への責任転嫁によって、残虐な命令に服従し得る
ということだ。


■傍観者効果


ニューヨークで、キティ・ジェノヴィースという女性が路上で殺害される事件があり、
この事件の異常性がきっかけとなって提唱され始めた理論。

この事件で被害者の女性は、30分以上の時間をかけて殺され、その間、
38人もの近所の住人が彼女の悲鳴を聞いたり、現場を目撃したりしていたのに、
誰一人、助けに入ることも、警察に通報することもしなかった。

やはり最初は「都会の人々の残忍さ」という象徴として話題になった。
だが後にB.ラタネとJ.M.ダーリーという心理学者の行った実験で、
近くにいる人が突然発作で苦しみだしたとき、
自分以外にそれを目撃している人数が多いときほど
援助行動に出るまでの時間が遅くなる傾向が見られることがわかり、
これが「傍観者効果」と名づけられた。

緊急事態での援助行動は、目撃者の数が多くなればなるほど抑制される。


■リスキー・シフト(集団極性化)


集団での意思決定が個人での決定より優れたものになるとは限らない。

話し合いにおいて生じるバイアスのひとつに、集団極性化というものがある。
議論によってもたらされる結論は、話しあう以前の個々人の考えを
より極端な方向に進めたものになるというものだ。

つまり、あるリスクの高い考え(「よさそうな話があれば転職したい」等)を
持っている者同士での議論は、その考えをよりリスクの高いほうへ進めた結論
「今すぐ仕事を辞めて転職活動だ!」)を導く可能性が高く、
これをリスキーシフトと呼んでいる。

このような現象は、人が話し合いの中で他人からの評価を上げようとして
他の賛成を得られる方向に、少し話を進めて発言しようとする過程で
生じるのではないかと考えられる。

優れた政治家が集まって愚かな戦争を始めてしまう例、
ネット上の掲示板から極端に大規模な運動が発生する例など、
思い当たる事例は少なくないだろう。

グループでの意思決定は、個人での意思決定に比べて
より極端な結論に集約されていく。



■まとめ


とりあえず思いついたものを4つ挙げてみた。

自分が日々「自由」意思決定を行っているときに、
知らぬ間にどんなバイアスに左右されているかを知ることそれ自体が
そういうバイアスから脱却するための大きな第一歩になる。


誰かが問題を起こしたときに、それが起きた原因を
「あいつはとんでもない人間だったからだ!」といって
その個人のせいにするのは、一番説明も楽でわかりやすいのだけど、
それは最後にしませんか。

同じような環境で同じような問題が再発しないことが保証されてから、
初めて個人の糾弾に入ってもよいのではないかと思うわけです。


参考資料:
服従の心理 (河出文庫)
社会心理学キーワード (有斐閣双書―KEYWORD SERIES)

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