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人見知りをしなくなった  
2014.01.25 (Sat)
年々加速する時の流れに戸惑いを隠せないで居る僕です。
お久しぶりです。


ここ数年で確信していることだけど、
人見知りというものをほとんどしなくなった。

この歳にして何を言っているんだと思われるかもしれないが、
かつての自分を知る自分からすると
これはけっこう大きな変化なのだ。

ここで「人見知り」といっているのは、
初対面だと何もしゃべれなくなるとか
緊張して極度に疲労するとか、そういうのもそうだし、
もっといえば、相手を警戒して打ち解けるまでに時間がかかる
というようなことも少なくなった。

自分も成長したもんだなぁなんて思っていたけど、
ひょっとしてこれって別に成長でもなんでもなくて、
極端に文化の違う人と出会うことが無くなっただけじゃないのか
という話。


ここ数年の人との関わりを振り返ってみると、
仕事では直接関わる人数が非常に限られているものの、
2011年頃からプライベートで同世代くらいの遊び友達が増えて、
ありがたいことにいまだに10人以上集まって飲んだりすることもある。
2010年頃は札幌界隈のIT関係の方々を中心に
新しい人と知り合う機会が多かった。

しかし大部分は、なんというか、
自分と最低限は同じような文化を共有していて、
簡単にいうと、自分目線で「常識人」だ。
出会い頭に唾を吐きかけられることもなければ、
気を抜いた瞬間に財布からお金を抜き取られることもない。

かつて中学校から高校に進学したときに感じた
あの、話の合う感じの人が寄せ集められた感。
あの集合からさらに絞り込まれているような感覚で、
今ふと周りを見渡してみると、「常識人」ばかりだなと思ったりする。

そうなったのは、自分がそういう環境を無意識に
選びとってきたからなのかもしれないし、
あるいは多くの人は年齢を重ねるにつれて
社会に適合すべく「常識人」になっていくのかもしれない。


ともかく、そんなわけだから
今の自分は新たな人との出会いについて
どうせ彼も「常識人」だろうとすっかり安心しきっていて、
いちいち警戒をしなくなってしまっている。

それはそれで良いというか、実に快適ではあるけれど、
これでぽっと、この「常識」から外れる人が現れたときに
排他的になってしまうのは嫌だなぁと思う。

人付き合いに限らず、例えばニュースで耳にする、
理解できない犯罪を犯す人間、
およそ共感できない発言をする人間について
「頭がおかしい」
「違う世界の人間だ」
と、理解の対象から外すことで心の平穏を保つことが
既に、少なからずある。


自分と違う文化のものを排除していけば
それはそれはストレスのない生活ができるかもしれないが、
そういう大人の考えを押しつけられる子供のストレスは
子供だった経験がある人なら誰しも知っているものだ。

ただでさえ、歳を重ねれば自分の考えに反発してくれる人も少なくなる。
自分と違う文化に意識的に触れるようにしていかないと、
気がつけば快適なぬるま湯から抜け出すだけの体力が
無くなっていたりするかもしれない…。



関連エントリー:
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あまのじゃくと社会構成主義―いわゆるフィンランド・メソッド
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